【ピリカ文庫】「三月・晴天、蜂があふれる」
ブーンと車中のどこかで、スマホが鳴った。てきとうに放り投げたバッグの中で鳴り続けている。
無数の音が私を刺す。虫に刺されたみたいに皮膚がそくそくと痛む……ああ、もうイヤ。
無視していると運転席の24歳イケメン、槙(まき)さんが、いつものように尖った声で言う。
「比呂(ひろ)さん。止めて、うるさいよ」
「めんどうだもん。偉そうに言わないで、幸人(ゆきと)おじさんの居候のくせに」
「居候じゃなくて『恋人』。言葉は正確に使ってくれよ」
「うげー」
「品がないな。とっとと『ユキ養蜂場』のハチミツ持って帰りな、お嬢ちゃん」
駅から15分で、なだらかな山のふもとに着く。車を降りると、青空の下で幸人おじさんが手を振っているのが見えた。
「比呂ぉ! こっちこっち!」
手を振りかえすけど……ほんとは、のんきにハチミツもらいに来ている場合じゃないんだよね。
でも、八方ふさがりの状況から、半日でもイイから逃げ出したかった。
『おじさんのハチミツをもらいに行く』って言い訳を使ってでも。
私は大岡 比呂、18歳。
高校は卒業ずみ。でも美大受験に失敗したから、先行きは――ない。
底抜けに何もない春休みが平べったく、だらしなく伸びていた。
昼食には槙さんがオムレツを作った。ハチミツが入っていてほんのり甘く、チーズとの相性は抜群。
食べ終わると槙さんがお茶を入れた。着ているシャツがまぶしいほど白い。この人、自分で服を作ってオンラインで売っているんだ。それなりに有名みたいで、ときどき名古屋のタウン誌で写真をみる。
イケメンで才能あり。なんでこんな人がおじさんと一緒にいるのか、さっぱりわからない。もう4年くらい、この家にいるんだけど。
そこへ電話がかかってきた。おじさんは話を聞いてから、
「わるい、ちょっと出てくるわ。末井のじいさんが玄関で転んだらしい」
「ああ。あの家は年寄り二人だもんね」
「比呂にわたすハチミツの準備をしておいてくれ、槙」
「いいよ」
こっちは全然よくないけど、仕方がない。槙さんについて野原へ出た。
三月初め、草も木もまだ茶色く乾いている。
槙さんは後ろも見ずに、ザクザク歩いた。私は急に、意地悪を言いたくなる。
「ねえ、イケメンで才能があるってどんなかんじ?」
「は?」
「雑誌で見たよ。『注目のイケメンデザイナー』って」
「向こうが勝手に書くんだよ。俺は好きなことをやっているだけ」
「そのフレーズ、成功してる人がよく言うよね。イヤミだね」
槙さんはため息をついて、私を見おろした。
「あのさ、勝手にうらやましく思って、勝手に攻撃しないでくれ。
今だから言うけど、俺だってここに来たときはズタボロだった。
信じていた仲間にデザインを持ち逃げされ、SNSで個人情報までさらされた。
死にたいと思ったよ。
誰だって、心がボッキリ折れる時ってあるんだ。甘えんな」
「……どうやって立ち直ったの」
槙さんはカラの巣箱を足でつついた。
「……分蜂」
「ぶんぽう?」
「日本ミツバチは春の初め、桜の咲くころに巣から別れるんだ。個体を増やすためにね。
もとの巣には若い女王バチと半分の働きバチが残って、古い女王と半分の働きバチが新しい巣へ出ていく。それを、見たんだよ」
槙さんは空を見上げた。ガラスのように透きとおり、ちょとつついたら鋭い破片になって襲いかかってきそうな空だ。
「はじめは、小さな音が聞こえた。次に黒い雲みたいなものが沸き上がったと思うと、一気にやって来た。
気がついたら俺は蜂のど真ん中にいて、まわりは羽音でいっぱい。
蜂がひとつ羽ばたくごとに、俺に巣くっていた怒りや恨みが掃きだされていくみたいだった。
その時、近くで作業していた幸人さんが言ったんだ」
槙さんは言葉を切って、少し照れくさそうに笑った。
「『こいつら、居心地のいい巣を次の世代に明け渡して、
新しい世界を目指してきたんだ。
君と同じだな。かっこいいな』って。
目の前で、世界がひっくり返ったよ。
仲間の裏切りも攻撃も、別の角度から見ることができたんだ。
俺は、あいつらに追い出されたんじゃない。
古い巣を譲り渡して、新しい世界を開くために出てきたんだって。
そう思ったら、死ぬのがばからしくなった」
ふわっと、どこかから風が吹いてきた。
まだ冷たい風に金色の筋が一本、二本と入っているみたいだった。金色の筋はミツバチのように共鳴しあいながら、世界を揺るがしていた。
春の予兆のように。
「あんたさ、まだ絵を描きたいんだろ」
「……うん」
「描けよ。美大だけが学校じゃないよ」
「……うん。専門学校とか、浪人して再受験する子もいるし」
そうだ。
道はある。いつだって探せば道はあるんだ。
でも他に道なんてないと思うほうが、楽だった。新しい道でまた失敗したくなかったからだ。
私は臆病者だ。
槙さんは蜂のいない巣箱を見た。
「この巣にも、もうじき新しい蜂が来る。今年がダメでも来年は可能性があるんだ――くそ、しゃべりすぎたな。ハチミツを持ってくるよ」
私は、足元の地面を見おろした。
小石を拾った。
先がとがってて、何かを描くのにちょうどいい石だ。
たとえば絵を。
たとえば未来を描くのにちょうどいい石。
手が、勝手に動いた。
まず大きくて快適な巣を描く。巣からのぞく若い女王バチは不安そうな顔。
春の空では、古い女王バチがほほえんでいる。彼女の後ろには元気いっぱいの蜂たちが浮かんでいる。
女王を信じて新世界へ切り込んでいく命が、ブンブンと羽音をたてている。
私は何も考えず、どんどん描いた。
乾いた地面の上に蜂の群れがあふれていく。春の命が沸き上がる。
ふいに影が落ちた。
「ただいま。槙は?」
「ハチミツを取りに行った」
「ふうん……いい絵だな、比呂」
「うん、私もそう思う。おじさん、今夜とめてよ。この続きを描きたいから」
おじさんは笑い出した。
「いいけどさ、地面だと消えちまうぞ」
「いいの。これはいま、ここに浮かんだ絵だから」
春とともにやってきて、命を放つための絵だから。
新しい世界を押し広げるための絵だからだ。
ゆっくりと日が沈む。
耳の中では、ブンブンと蜂の羽音が鳴りつづけていた。春を呼ぶ音、未来の音だ。
私は夢中で描きつづける。
おそい春休みが、ようやくはじまった気がした。
【了】
今回は、ピリカ文庫さんに参加させていただきました。
いつか書かせていただきたいなあと思っていたので、
ひっじょーーーに嬉しいのです!
なんというか……人間、がんばっていれば
報われることもあるって事ですね。
ステキな企画に参加させていただきました。
ありがとうございました💞
マガジンには、
ほかにも心にしみる作品がたくさん収録されています。
よろしければどうぞ!
#ピリカ文庫
ヘッダーはUnsplashのDaiga Ellabyが撮影
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