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史上最強の十両

「十両」の正式名称は「十枚目」。かつて幕下10枚目以上の力士に報酬が支給されたことからついた呼び名だが、「東十枚目2枚目」などと呼称がかぶるのがメンドクサイので、当時の俸給額10両からついたと言われるが、諸説あるようで定かではない。

さて、史上最強シリーズなのだが、十両は難しいな。というのも、ここはあくまで通過点なので、最強力士たちは強烈な成績でさっと通り過ぎてゆくのが普通だからだ。

たとえば最近では、遠藤。十両をたった1場所、それも14勝1敗の優勝で通過したのだから、このまま将来十両に陥落することがなければ、通算十両勝率9割3分3厘、優勝率100%になるのだ。うん、最強だな。これじゃ面白くもなんともないが。

そこで、まずはいつものように、十両在位場所数の上位から探っていこう。平成27年1月場所までの数字で見ると、こうだ。

当然だろうが、よく知らない名前ばかりですね。

じゃあ、在位記録ナンバーワンの大潮が最強十両に決定……いや待て待て。

大潮憲司といえば、長く現役をつとめ、数々の記録をも持つ「幕内力士」じゃないか。その一端を紹介すると、通算出場数歴代1位(1891番)、通算勝ち星数歴代第3位(964勝)、現役在位場所数歴代第2位(156場所)、その他にも幕内昇進回数とか、十両昇進最年長とか、通算負け星数歴代第2位とか、三賞も2回受賞し、金星だって3個ある。十両優勝3回も上位の記録だが、やはり大潮は最強「十両」ではないよな。

そう思って見ると、やはり長く勤めた力士ばかりなので当たり前だが、みなさん幕内在位も少なくない。それに、例えば第4位の朝登は横綱・柏戸を引退に追い込む最後の金星を奪取した「記憶に残る力士」だ。

やはりここは、通算十両在位場所数第1位のくせに幕内はたった4場所の蜂矢、47場所も十両にいながら幕内昇進なしの魄龍あたりが最強候補なのかもしれないな。そう言われても、顔もよく覚えていなかったりするんだが。

ついでに、十両関連の記録をいくつかひもとこうかな。まずは十両での優勝回数。

これは通算5回優勝の益荒雄が単独トップ。千代の富士時代の人気力士の一人で「白いウルフ」の異名をとった人ですが、意外に十両優勝が多かったんだな。最高位関脇で、幕内通算20場所在位。じつはこれ、関脇以上最高位の力士の通算幕内在位では最少の記録なのだ。十両在位は通算21場所。

次いで十両優勝4回は朝登、鳳凰、播竜山、大錦、小城ノ花、若の里の6人。現役の若の里は史上最高に躍り出る可能性が充分にあるが、そのためには十両陥落が必要なので、複雑ではある。

十両での15戦全勝優勝は、栃光(1955年3月場所)、豊山(1961年11月場所)、北の富士(1963年11月場所)、把瑠都(2006年3月場所)、栃ノ心(2014年9月場所)の、たったの5人。これはけっこう貴重な記録だ。そのうえ、現役の栃ノ心以外は全員が大関以上に昇進しているのだ。これは栃ノ心関、将来の大関昇進が約束されたようなものかな。

それにしても、北の富士以降は40年以上もなかった十両全勝優勝。把瑠都と栃ノ心の間隔は8年半と大幅に短縮されている。遠藤(2013年7月場所で14勝1敗)や逸ノ城(2014年7月場所で13勝2敗)も惜しかったし、そう言えばこの3月場所には、学生横綱やアマ横綱を制した大物が角界入りする。凄い記録が出ることを期待しよう。

最後に、今回調べていて気づいた珍記録をふたつ。

十両在位通算51場所の大文字は、元プロレスラー。めずらしくないって? いや、元力士のプロレスラーじゃなくて、元プロレスラーの力士だったのだ。中学卒業後、大阪にあった全日本プロレス協会(ジャイアント馬場の全日本プロレスとは別)に田村研二のリングネームで所属していたそうだが、1956年に角界入り。といっても1940年生まれなので、レスラー生活はいくらもなかったと推測されるし、試合をしたかどうかも不明だが。

在位場所数の多い十両力士は上記のとおりだが、逆に在位場所数が少ないほうの極限は、1932年2月場所新入幕の瓊ノ浦(のち関脇・両國)。彼はこの場所前に起きた春秋園事件(力士の大量離脱)の影響で、東幕下3枚目から一気に幕内の西前頭7枚目までに抜擢されたのだ。その後、引退まで一度も十両に陥落したことがないので、十両在位はゼロ場所。昭和以降の幕内力士ではほかに誰も成しとげていないし、今後更新される可能性もほとんどない大記録だ。

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