タイトル夜話

『火星の人』(アンディ・ウィアー著)が映画化された。「火星版ロビンソン・クルーソー」としてSFファンを中心にけっこう評判になった小説だけに、その出来栄えに期待も高まろうというものだ。来年2月に予定されている日本公開が待ち遠しい。

ところでこの映画、原タイトルは小説と同じ「THE MARTIAN」なのに、なぜか日本での公開タイトルは「オデッセイ」になってしまった。

ん? 意味がよくわからんぞ。

例によって原作小説の読者たちからも、「なんでそんなことするんだ?」「小説のままでいいじゃない?」などと不満の声が溢れてきているようだ(ツイッターによる)

これ、評判になった小説が映画化される際に、よく起きる話題。つい先年もスパイ小説の名作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(ジョン・ル・カレ著)が映画化されたが、日本語タイトルは「裏切りのサーカス」に。まあ、悪いタイトルではないが、タイトルだけ見ても原作がアレだとはわからないよなぁ。

しかし、本はちょっとくらい売れてもせいぜい10万部程度。対して映画はそんな程度の動員では負け試合。しかも対象年齢層がある程度限られる海外翻訳小説に比べると、はるかに幅広い年齢層を相手にせねばならないのが映画だから、もともとつけ方の発想が違うんだよね。

ここで、邦題のつけ方に関して、ちょっと言わせてください(笑)

原題(外国語)を日本語にちょろっと訳せば日本語タイトルになると思ってる人、いないかな? そんなに簡単なものじゃないんだよ

「2001: A SPACE ODYSSEY」を「2001年宇宙の旅」、「HOW TO STEAL A MILLION」を「おしゃれ泥棒」、「MY DARLING CLEMENTINE」を「荒野の決闘」、「A SHOT IN THE DARK」を「暗闇でドッキリ」、「A FISTFUL OF DOLLARS」を「荒野の用心棒」などなど、原題をひとひねりしたり、ちょっと足したり引いたり、あるいは意味を汲んで超訳(死語)したり、過去にはさまざまな手が使われてきた。私の好きな映画「The Longest Day」を「史上最大の作戦」と訳したのなどは、お見事!の一言に尽きる。ま、なかには今回のような意味不明物件もあるにはあるが。

ある時期まで、映画のタイトルは、固有名詞や地名を使う場合以外は、基本的に日本語のタイトルをつけたもんだ。それをつけるのが、映画配給会社の宣伝マンの腕の見せどころだった。たぶん、原語をカタカナで表記してそのまま日本語タイトルにしたら負け、みたいな空気が業界にあったんだろうと思う。

007シリーズの「死ぬのは奴らだ」の原題は「Live and Let Die」 もともとはイアン・フレミングの原作小説に出てくるフレーズで、普通の警察などでは「Live and Let Live(自分も相手も生かす)」を心がけるという相手に、ジェイムズ・ボンドが「われわれの世界ではLive and Let Dieと言うんだぜ」と返すセリフから取られている。

この原作を訳した翻訳家の井上一夫氏ご本人から、タイトルにもなっているこの「Live and Let Die」を訳すのに四苦八苦したと、直接うかがったことがある。散々ああでもないこうでもないとやったあげくにヒネリ出したのが「死ぬのは奴らだ」というフレーズ。お見事!

「でも映画会社の連中は、勝手にこのタイトルを使っておきながら、俺には一銭もくれなかった」とは井上氏の冗談交じりの愚痴だった。

映画の世界からこうした日本語タイトルが減ってきたのは、たぶん70年代の初めごろから。ごぞんじ「ゴッドファーザー」が大ヒットして、一気にカタカナタイトルが普及した。もしも「ゴッドファーザー」の日本語タイトルが「大いなる父」とかになっていたら、映画の歴史は変わっていたかもしれない。

と、まあ強引にまとめた結論からすると、「THE MARTIAN」は「ザ・マーシャン」とかでもいい気もするがね。「麻雀」と間違うからダメ?

ちなみに、わが翻訳小説界では、いまだにカタカナタイトルは避けられる雰囲気がある。意味が分かりにくいとか、イメージが湧かないとかの理由でね。

時代遅れだとは思うが、でもこっちの業界ではまだ「カタカナタイトルつけたら負け」みたいな空気が残っている気がする。もうそういう古い因習はやめようぜ、と毎月、自分の担当作品の日本語タイトルを決める時期になると、そう思うのであります。やめらんないけど。

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