鉤十字の旗のもとで
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ナチス・ドイツの軍人って、大昔の戦争映画では問答無用の悪役だった。将校だけでなく一兵卒にいたるまで、たいていは残忍なサディストで、捕虜の虐待や拷問、卑怯な攻撃も厭わない、極悪の集団。
もちろん、そんなのはファンタジイです。
ナチスそのものの理念は、現在では「悪」と断じてもいいんでしょうが、それは国のトップにのみ帰せられる責任。ほとんどの将校や兵士は、アメリカ人やイギリス人と同じく、ごく普通の、常識ある人々だったはず。
という視点が戦争映画のなかでも定着してくるのは、やはり戦後しばらくたってからでした。そうした問題の理解と解決には、時間が必要だったのです。
たとえば1963年の「大脱走」 舞台はドイツ空軍が管理する捕虜収容所なのですが、ここの監視兵たちは捕虜の虐待などは行なわず、かなり紳士的に接します。
なかでも収容所長のルーゲル大佐(ハンネス・メッセマー)は優秀な指揮官で、部下にも捕虜にも、厳しくも公平に当たります。映画のラストで解任された所長が捕虜のヒルツ大尉(スティーヴ・マックイーン)にむかって語るセリフ「ベルリンを見るのは、きみのほうが先になりそうだ」は、泣かせました。
ただ「大脱走」では、脱走した捕虜たちの捜索にあたる親衛隊(SS)や秘密警察(ゲシュタポ)は非常にシンプルな悪役として描かれます。まだ戦後18年しかたっていないこの時期には、「ドイツ=悪」という図式も必要だったのでしょう。
これが6年後、1969年の「レマゲン鉄橋」になると、だいぶ変化します。
大戦末期、ドイツ本土への侵攻口となる、ライン河に架かる鉄橋をめぐる攻防戦を描くこの映画で、橋を防衛するドイツ軍の指揮官クリューガー少佐に扮するのは、「荒野の七人」やテレビ「0011ナポレオン・ソロ」の人気スターで、もちろんアメリカ人のロバート・ヴォーン。この起用だけでもけっこう画期的。
単純な悪役ではなく、優秀な軍人なのにドイツという国や組織のなかでもがくうちに破局へと向かってしまう悲劇の軍人ぶりで、アメリカ側のジョージ・シーガル、ベン・ギャザラ、E・G・マーシャル、ブラッドフォード・ディルマンらを圧倒する存在感を見せました。
スペクタクルな戦闘シーンだけでなく、こうした人物配置が、映画に厚みをもたらしたのです。そこには「ドイツ=敵=悪」というシンプルな図式はもう見られません。
1976年の「鷲は舞いおりた」になると、この傾向はいっそうハッキリしてきます。
ドイツ軍による英国首相チャーチルの誘拐作戦を描くこの作品では、主人公になるのは米英の連合軍側ではなく、極秘の誘拐作戦の指揮を執るドイツ特殊部隊の指揮官シュタイナー大佐。演じるのは英国人のマイケル・ケイン。
かつては悪役でしか考えられなかったナチス・ドイツの軍人が映画のヒーローになり、物語全体も、はっきりとドイツ側の視点から作られたわけですから、戦後31年を経て、時間が「ドイツ=悪」の図式を押し流したということでしょうか。
もちろん、その後も単純にナチス・ドイツを悪役に配する娯楽映画は少なくありません。しかしそれは、「悪」の象徴として、使いやすい記号だからにすぎません。
たとえば、「レイダース/失われたアーク」や「キャプテン・アメリカ」などなど。
そしてそれらでは、ナチスは完全にカリカチュアライズされています。その存在感は、スペクターとかショッカーと変わりません。いまや逆に、「ドイツ=悪」の図式を単純かつクソ真面目に描いたら、娯楽映画としてのリアリティは失われるんでしょう。
まあ、それだけ第2次世界大戦という大事件が、もはや過去のものになったということでしょうか。
戦争終結から70年。
こうして「歴史」は作られていくのでしたとさ。
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