史上最大の無駄づかい

思い立って、ひさしぶりに「史上最大の作戦」(1962年)を見直した。第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の趨勢を決めたノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)の24時間を映画で再現した超大作。

なにしろCGなんかない時代。なのに、300万人もの兵士が参加した大作戦をスクリーン上に再現したのだから、大変な事業だ。しかも誤魔化しなし(ほとんど) ミニチュアも合成も最小限しか使わず、真っ向再現しているのだから、たいしたものだ。

製作にあたったダリル・F・ザナックは「アイゼンハワー(上陸作戦の総指揮官)が国の金でやったことを、オレは自分のカネでやった」と豪語したとかいうのも、うなずける。

今と違って、製作委員会なんて軟弱なものはない。ザナックは独力でやってのけたのだ。

いやいや、考えようによってはアイゼンハワーよりもすごいのか。

アイゼンハワーと連合軍は、上陸作戦にあたって多くの建物や要塞を破壊したわけだが、それらを作ったのは彼らではない。もともとフランス人が作った町だったり、ドイツ人が作った軍事施設なのだ。

いっぽうザナックは、それらの建物をも自分で作ったわけだ。だからザナックのほうがすごいんだな。ね?

というところまで考えて、あらためて思った。

すげえ無駄づかい

たとえば、オイストラムの港での自由フランス軍とドイツ軍の攻防戦。ホテルに陣を張るフランス軍と、対峙するカジノのビルに大砲を据えるドイツ軍。双方ガンガン撃ち合い、やがて戦車がフランス軍の助っ人に駆けつけて、砲声一発、カジノを粉砕するシーン。

激しい戦闘で崩壊するカジノもホテルも、いずれも本物(か、あるいは本物サイズのセット)

それを実際に建設したのだ。何のために? 壊すためにだ。

ほかにも、ノルマンディー海岸の通称オマハ・ビーチのコンクリート要塞とか、空挺師団が降下するサン・メール・エグリーゼの焼け落ちる建物とか、数多くの建物が破壊するだけのために建設され、ぶっ壊される。なんという無駄!

しかし、昔の映画はこれが当然だった。だって大きなものをぶち壊すのは、映画というメディアに許された最大の武器だったからだ。

特に戦争映画というジャンルでは、これが映画の「格」を決めた。

これも私の好きな戦争映画に「戦略大作戦」(1970年)があるが、その映画の最初のほうで、テリー・サバラスやクリント・イーストウッドの部隊が道端で休憩しているシーンがある。べつに何かが起きるわけではない。ただ疲れた兵隊たちが愚痴をこぼしているだけ。

だがその背景、はるかに向こうまで伸びている道路を埋めつくしているのは、戦車やジープや兵員輸送車の長い列。それも、5台や10台ではない。そして車両だけではなく、ぞろぞろと歩く何百人もの兵士。画面のはるか奥の奥まで、切れ目なくこの行列が続いている。おまけにその上空を戦闘機が数機、轟音とともに飛び去るのだ。もちろん、CGではないし、合成でもミニチュア模型でもない。全部ホンモノ

このシーンにいくらかかったか知らないが、これが単なる「背景」なのだ。この行列、ストーリーに何の関係もない。いやあえて言えば、なくったって、ぜんぜん困らない。

にもかかわらず、あえてこうした景色を作ったのだ。たぶん大金をかけて。

ケチケチするやつに、大きな映画は作れねえのだ。

考えてみれば、そもそも戦争というのは、破壊するという行為ために、タイヘンな費用をかけるものだった。言ってみれば、戦争というのは人類最大の無駄づかいなのかもしれない。

そうしてみると、その戦争を描く戦争映画が膨大な無駄遣いをする理由も何となくわかるし、そうした無駄を許さなくなった今の映画で戦争映画がつくられなくなった理由も何となくわかった(気がするね)

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