ジャッキー・チェンと勝負する(22)
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今回は「アクシデンタル・スパイ」2001年の作品です。
白状しよう。
じつは20世紀の終わり、1998年の「WHO AM I?」から後、私はジャッキー・チェンの映画をほとんど見ていなかった(ジャッキーの映画に限らないんだが)。つまり、私は21世紀のジャッキー・チェンはよく知らないのである。
ごめん、ジャッキー。
そんなわけで、この「アクシデンタル・スパイ」は、見ていないどころか、その存在すら把握していなかった。今回がまったくの初見。まことに申しわけないことであります。が、いっぽうでこの2000年から2010年くらいまでの10年間の未見のジャッキー映画を見ていけるのは、このシリーズを書いていくうえでの楽しみでもある。
さて、そうして見た「アクシデンタル・スパイ」はどうだったか?
ジャッキー、やるじゃないか。
偶然遭遇した銀行強盗を撃退したことから、国際的な陰謀に巻き込まれる男を描くこの作品、言い古された言い方をあえてすれば、「ヒッチコック風サスペンス」あるいは「巻き込まれ型スパイもの」といったところか(ぜんぜんスパイじゃないけどね)。
従来のジャッキー映画に比べれば、はるかに複雑に入り組んだシナリオは、すでに私の抱いている香港映画のイメージとはかけ離れている。このへんは、「ハリウッド帰り」のジャッキーらしさが発揮された部分なのか。特にラストに至るどんでん返しの連続は、なかなか見せる。もちろん香港っぽく、投げっ放しの伏線とか、そりゃあんまりだろ的な部分もいくらかあるけどね。
とはいえ、じゃあ手放しでジャッキーのベストだと誉められるかというと、そうはいかない。それは90年代以降のジャッキー作品において、たとえば「新ポリス・ストーリー」の回でも触れたように、すでに内在していた問題が、ここではさらに無視できないくらい大きくなっていることだ。
つまり、ジャッキー映画のストーリーの進化と、ジャッキー本来のアクションのバランスの悪さだ。
前記したように、この「アクシデンタル・スパイ」のストーリーは、かなりシリアスだ。固有名詞やアクションシーンを省いたあらすじだけを書いたら、ごく普通の英米のサスペンス映画に見えるだろう。また、たとえばあるキャラクターなど、昔のジャッキー映画では絶対に××せない存在だったのに、この映画ではあっさりと××せてしまう。ここは、ちょっと驚いた。
一方でアクションシーンは、相変わらずのジャッキー・アクション。冒頭と後半の高所恐怖症的見せ場、不必要なまでのぶっこわし、フィジカル全開のカンフーアクション。
それを象徴するようなのが、中盤にイスタンブールのマーケットで展開するチェイスシーンで、ここでジャッキーが全裸である必要はまったくないのに、お尻丸出しで奮闘する。このシーン、数あるジャッキー映画の中でも屈指の面白さであるし、このサービス精神こそがジャッキーアクションの神髄といえよう。
にもかかわらず、それがこの映画の中で効果的だったかというと、そうではない。映画全体のトーンと、アクションのトーンが合っていないのだ。
ジャッキー映画そのものは、確実に進化している。そして、ジャッキーアクションも間違いなく進化し続けている。だがその進化のベクトルが微妙に違う方向を向いているため、進化すればするほど、双方の乖離(かいり)もまた大きくなっているのではないか。
これからこの時期のジャッキー映画を見ていくうえで、これは大事なポイントとして見極めねばなるまい。それが現在のジャッキー・チェンに繋がっているはずだから。
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