南の島から来た力士

タマ・トンガがIWGPのタッグタイトルを奪取した。めでたい。

といってもわからん人にはわからんだろうね。新日本プロレスの常連外人としてずっと頑張ってきたタマに、やっと陽が当たったわけで、プロレスファンというのは、こういうのに弱いのだよ。これからどんどんのし上がってほしいね。

で、そのタマ・トンガにわざわざ触れたのは、彼の父親もまた私にとっては思い入れのある1人だからだ。タマ・トンガの父親は、キング・ハクであり、前名はハク、その前はキング・トンガ、その前はプリンス・トンガ、そして福ノ島だった。その頃から見てるからね、彼のことは。

そもそもは今を去ること40年以上前の1974年のこと。大相撲の朝日山部屋の関係者が南太平洋のトンガ王国を訪れ、何がどうなったか知らないが、トンガの若者たちを大相撲に入門させようとしたことから始まる。

前後してトンガからやってきた若者たちは全部で6名。朝日山部屋所属で入門し、それぞれ椰子ノ島、南ノ島、福ノ島、日ノ出島(以上は1974年11月場所初土俵)、幸ノ島、友ノ島(ともに1975年3月場所初土俵)という四股名をもらった。ファンやマスコミの注目も高く(当時はまだ外国人力士はほとんどいなかった)、順調に力士生活を送っていた(ように見えた)

彼らは概して体格も良く、かなりのパワーを有していた。私も何度も国技館で見たが、ほかの力士たちを圧するゴツさと迫力があったもんだ。実際、相撲経験ゼロだったにもかかわらず、椰子ノ島、南ノ島、福ノ島は2年足らずで幕下まで昇進している。

ところが、1975年に朝日山親方が死去。すると部屋の後継をめぐる跡目争いが起き、まあいろいろあったんだろう、けっきょく彼らトンガ6力士は1976年9月場所で全員廃業してしまったのだった。これが世にいうトンガ騒動である。

そんなこんなで、全員帰国していったトンガ力士たちだったが、翌1977年に彼らのうちで番付最上位まで進んでいた福ノ島が、ジャイアント馬場の全日本プロレスに入門した。

すぐにジャンボ鶴田や天龍源一郎も修行したテキサス州アマリロのファンク牧場に送るというエリートコースに乗せたのだから、この時点で馬場は彼を将来のエース候補と見ていたのだろう。翌年にはアメリカで、プリンス・トンガのリングネームでデビュー。

日本に「帰国」したのは1980年だったが、全日本マットではさほどのインパクトを残すことなく再びアメリカへ。その後は各地のテリトリーで暴れまわり、リングネームもキング・トンガに。そして1986年からはWWF(現在のWWE)に転じてハクに改名し、ジ・アイランダーズとしてタッグ戦線をにぎわせた(このときの相棒〔トンガ・キッド のちの リキシ〕のリングネームが、息子と同じタマだったのが面白い)

1990年に、WWFのオールスター勢が来日し、全日本プロレスと手を組んで東京ドームでビッグイベントをぶっ放した。当初はハクの参加予定はなかったものの、谷津嘉章の欠場で急きょ来日し、ジャンボ鶴田とのタッグで緊急出場したところファンは大歓迎。ドームを揺るがす「トンガ チャチャチャ」の「トンガコール」は今でも耳に残っている(ついでにジャンボにも「ニッポンコール」が飛んだ)。

ハクはとにかく腕っぷしの強い男で、数々のリング外の武勇伝も伝わっている。1994年にはSWSに参戦し、谷津嘉章と組む(これも歴史の皮肉だが)と、ナチュラルパワーズを名乗って、大いに天龍を苦しめたものだ。このチームは強かったなぁ。

その後はWCWに参戦し、またWWFに戻ったりとトップレスラーとして存分に活躍した。

申しわけないが、私はとっくに引退したと思っていたのだが、今年の新日本・東京ドーム大会に参戦。バトルロイヤルでの出場とはいえ、現役として試合をしたのには、驚かされた。息子のコネでの出場だったのかな(笑)

そのハクの福ノ島とともに大相撲を去った幸ノ島は、ハクとは別ルートでアメリカへわたり、やはりプロレスラーとして大成した。

1980年にアメリカでデビューし、コンガ・キッドキング・コンガなどのリングネームを経てコンガ・ザ・バーバリアンを名乗り、新日本プロレスの常連外人にもなった。

1990年代後半にはWCWでミングを名乗るハクと合流してフェイシズ・オブ・フィアーなるタッグチームを結成したのは、大相撲時代からの縁を考えるとなかなか感慨深いものがあったな。

もうひとり、南ノ島は、トンガに帰国したのちは警察官となり、またトンガで相撲の道場を開き、後進の指導をしたという。

そして21世紀になってから、自分の息子を大相撲へ送りこんできたのだ。武蔵川部屋に所属し、四股名は父と同じ南乃島を名乗った。2001年3月場所初土俵。2004年3月場所では三段目優勝も飾っているが、最高位幕下21枚目までで、2008年9月場所に引退している。まあ少なくとも父の最高位(幕下37枚目)は越えたわけだ。

他のトンガ力士の消息は伝わっていない。いまはどうしているのだろうか?

トンガ力士の入門は、旭鷲山、旭天鵬らのモンゴル勢が大相撲に入門してきた1991年よりも15年以上早かった。もしもあの時に朝日山部屋の跡目騒動がなければ、彼らが番付上位まで行ったことは間違いないと思う。そうなれば、もっと続々とトンガから大相撲志望の若者たちがやってきたに違いない。

もしもそうなっていたら、今の白鵬や日馬富士や鶴竜ではなく、トンガ出身の力士たちが番付上位を独占、なんてことが起きていたのかもしれないな。

  大相撲/丸いジャングル 目次

  スポーツ雑記帳 目次

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?