第100代 アジアタッグ・チャンピオン

日本プロレス界・最古のタイトルである、アジアタッグ選手権に新チャンピオンが誕生した。

去る11月27日に両国国技館で開催された全日本プロレスのビッグマッチで、チャンピオンチームの青木篤志&佐藤光留が5度目の防衛に失敗、渕正信&大仁田厚が新王者となったのだ。

いやいや、大変なことになった。

渕と大仁田といえば、ともに1974年に全日本プロレスでデビュー。若手時代には前座でしのぎを削り、1980年代初期にはアメリカでタッグを組み、テネシーやフロリダのタッグ戦線を荒らしまくった仲。凱旋帰国後は二人とももっぱらジュニアヘビー級で活躍したが、大仁田は負傷がもとで1984年にいったん引退して全日本から去り、FMWを創立して邪道一直線。一方の渕はその後の、鶴竜時代、天龍革命、四天王時代、武藤体制、そして現在の秋山体制まで「全日の生き証人」として王道一本と、対照的な生き方をしてきた。

その二人が時代を経てついに再会、王座を奪取したのだから痛快というか感慨深いというか。

面白いことに、長いリング歴を誇りながら、大仁田はなぜかこのアジアタッグには、これまで無縁。渕のほうも2004年に天龍と組んで1回戴冠しただけ。そして、この二人のコンビでは、これまで国内でタッグベルトを獲得したこともなかった。

まことに、プロレスというのは面白い縁を結ばせるものだ。

そしてまた、この全日本の歴史を体現したようなコンビが、アジアタッグ選手権の第100代チャンピオンだというから、ますます面白い。

それにしても、第100代というのはすごい。すでに60年以上続いているのも稀有だ。ほかには、全日本女子プロレスのWWWA世界タッグ選手権が、1971年から全女崩壊の2004年まで、120代を数えた例があるのみだろう。

そこで、アジアタッグの歴史をざくざくっと調べてみた。ほんのヒマつぶしのつもりだったけど、さすがにボリューム満点だったよ。

アジアタッグ選手権が日本のマットで誕生したのは、1955年。日本プロレスが開催したアジア選手権大会のタッグ部門で優勝したキング・コング&タイガー・ジョキンダーが初代チャンピオン。

その後、1960年に力道山&豊登がこの王座を奪取して以来、日本マットに定着し、力道山時代には日本プロレスの看板タイトルだった。力道山の死後、1966年にインターナショナルタッグ選手権が定着すると、二番手タイトルになったが、アジアタッグ・チャンピオンには、力道山、豊登、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、坂口征二、ヒロ・マツダといった日プロのエース連中、あるいはバディ・オースチン、ジン・キニスキー、ザ・デストロイヤー、キラー・カール・コックスといった一流外国人レスラーも名をつらねる。私が小学生のころには、吉村道明&大木金太郎がチャンピオンの常連だった。

1973年の日本プロレス崩壊後は休眠状態に入るが、1976年にジャイアント馬場の全日本プロレスで復活し、以来現在まで連綿と続いているわけだ。

全日本時代以降はすっかり中堅から若手のタイトルとして定着した感があり、当初はグレート小鹿&大熊元司の「極道コンビ」が長く保持し、80年代には長州力のジャパン・プロレスとの対抗戦の焦点の一つとなり(長州は戴冠なし)、80年代後半の天龍革命当時は若手の「フットルース」(サムソン冬木&川田利明)がタイトル戦線の主軸、90年代前半はダグ・ファーナス&ダニー・クロファットの「カンナム・エクスプレス」を中心とした外国人コンビの争い、そして90年代後半の四天王時代には秋山準&大森隆男が長期政権を敷いた。

2000年にプロレスリング・ノアが創立されて全日本に大量離脱が起きると、当時のチャンピオンだった本田多聞&井上雅央もノアに転じたため、返上されていったん空位になるが、その後復活し、他団体選手も含めた多彩なチャンピオンチームを生み出している。

そんな長い歴史のあるアジアタッグを記録面で見てみよう。

まずは、いちばん多くアジアタッグを戴冠したチーム。

これが面白いことに、ダグ・ファーナス&ダニー・クロファットの「カンナム・エクスプレス」(1989年~95年/5回戴冠)なのだ。アジアのタイトルなのに、最多ホルダーがカナダ人とアメリカ人のコンビなんだね。

4回戴冠したチームには、力道山&豊登(1960年~64年)、グレート小鹿&大熊元司の「極道コンビ」(1976年~81年)が続く。

防衛回数ではどうだろう。

アジアタッグの連続防衛回数では、吉村道明&アントニオ猪木(1967年~71年)の15回防衛がトップ。ついで12回連続が、力道山&豊登と秋山準&大森隆男(1995年~98年)になる。10回以上の連続防衛は、他にない・

通算防衛回数では、吉村道明&アントニオ猪木のコンビが、通算21回防衛(3回戴冠)でトップ。ついで力道山&豊登が通算20回(4回戴冠)で、あとは「カンナム・エクスプレス」の13回(5回戴冠)と大きく差がつく。秋山&大森は戴冠が1度だけなので通算防衛も12回。

こうしてみると団体の看板タイトルだった日本プロレス時代の記録が優勢だ。全日本プロレス時代では、「極道コンビ」と「カンナム・エクスプレス」、それに秋山&大森が、記録面では傑出している。

外国人タッグは、初代王者のキング・コング&タイガー・ジョキンダー、第2代王者のフランク・バロア&ダン・ミラー以来、日本プロレス時代に7チーム、全日本プロレス時代では前記「カンナム・エクスプレス」などで、やはり7チーム。これまでの長い歴史でも、複数回戴冠した外国人チームは「カンナム・エクスプレス」以外にはなく、この二人がアジアタッグ史上最大の外国人チームであることは間違いない。2005年のブキャナン&リコ以降は、外国人組の戴冠は途絶えている。

そしてアジアタッグ史上、日本人と外国人のコンビによるチームは、1990年と91年に2度王座に就いた小橋健太&ジョニー・エースのみである(通算防衛は1回のみ)

日本プロレス、全日本プロレス以外の日本の他団体に流出した例としては、1977年に国際プロレスのマイティ井上&アニマル浜口に奪われたのが初。

その後は全日本が鎖国政策をとっていたこともあって、ずっと流出はなく、1999年のハヤブサ(FMW)&新崎人生(みちのくプロレス)まで22年間、全日本から出ていなかった。ノア勢が離脱した2000年以後は他団体の戴冠が多くなり、ZERO-ONE、冬木軍、健介オフィス、大日本プロレスなどに流出した例がある。他団体で防衛戦が組まれることも多くなり、2011年に2度戴冠した関本大介&岡林裕二(大日本プロレス)は通算8回防衛、木高イサミ&宮本裕向の「ヤンキー二丁拳銃」も6回連続防衛(2015年から16年)を記録している。

すでに半世紀を越える歴史を持つアジアタッグだが、近年は空位の時代や防衛線が長期間組まれない、あるいは他団体流出するなど、やや扱いが軽くなっている気がするが、どうだろうか。

こうして見ると、日本プロレスから全日本プロレス系のトップレスラーのほとんどが、この由緒あるタイトルを経験していることがわかるが、ただ一人、アジアタッグ戴冠歴のないトップ級が存在する。

完全無欠のエースといわれたジャンボ鶴田だ。

デビュー時からエース格で、全盛期に病を得てしまったゆえだろうが、もう少し元気でいてくれたらアジアタッグ史にその名を刻んだことは間違いないだろう。残念なことだ。

そんなこんなで第100代という大いに目立つ地位に就いた渕&大仁田、さてさて今後はどんな歴史が積み重ねられるんだろうか。今後の展開が楽しみである。

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