半世紀前のオリンピック
今日は1964年10月10日に東京オリンピックが開幕してから、ちょうど50年目だそうで、さかんにテレビなどで取り上げてますね。前はこの日が「体育の日」でお休みだったわけですが、今日は仕事であります。
1964年当時の私は5歳。幼稚園児でしたが、オリンピックはよく覚えています。開会式の「オリンピックマーチ」は私の大好きな曲で、幼稚園児の私がしょっちゅう口ずさんでいたもんだとは、両親の証言。CDで聴くと今でも気分が高揚します。
開会式の日、当時住んでいた練馬のわが家(団地型の社宅だった)の屋上からも、例の大空の五輪マークが見えたそうで、みんなで屋上に上がって見たそうですが、私の記憶にはいい天気の屋上遊びしか残っていません。地理的に考えると、たぶん輪の形には見えなかったでしょうね。
競技そのものは、東洋の魔女もアニマル旋風もヘーシンク・ショックも、あとからの模造記憶でしかないようです。その後、長じて五輪マニアとなった私は、ずいぶんいろんな本や映像で追体験しましたからね。
実際にきちんと覚えている競技は、マラソン。優勝したアベベではなくて、競技場で追い抜かれて銅メダルとなった「円谷の悲劇」のほうです。あのあと、子供たちがマラソンごっこをすると、必ずこの名場面を再現したものです。それくらい、全国民が共有した場面だったんですね。今はそんなことは、あまりないかも。
もっとも、私はヘソ曲りだったのか、円谷選手を追い抜いて悪役になったイギリスのヒートリー選手のほうをカッコイイと感じました。当時からヒール志向だったのかな。後年、彼が京都マラソンに参加した時には、沿道で声援を送ったものです(途中棄権しちゃったけど)
もうひとつ、重量挙げでヘビー級の金メダルを獲得したソ連のジャボチンスキー選手も大好きになりました。幼稚園児に名前まで覚えさせたんだから、すげー強い印象があったんでしょうね。その後も長い間、私の知っているロシア語は、ハラショー、ピロシキ、ジャボチンスキーの3語だけでした。
ずっと後年、大学生になってからですが、大学の体育実技の種目が(抽選の結果)体操でした。指導教官が、東京オリンピック・体操個人総合の金メダリスト、遠藤幸雄先生。鉄棒の「蹴上がり」と「空中逆上がり」ができないと単位がもらえないとかで苦戦しましたが、「あの遠藤選手に教えられてる」と感慨深かったものです。
とはいえ、オリンピックのほとんどは、テレビ放送で見ただけ。あのころからテレビ小僧だったのか。白黒テレビの前に座って見ていたらしいです。
で、実際にオリンピックを見たのは、閉会式の日に、母親が国立競技場まで連れて行ってくれて、競技場の裏から聖火が燃えているのを目撃した時だけ。これは今でもその角度や様子をよく覚えています。オリンピックをちゃんと覚えさせておこうという親心だったんですかねえ。そのあと、当時大久保に住んでいた祖父母の家で閉会式のテレビ中継を見ましたが、その時にたぶん生まれて初めてカラーテレビを見たようです。
今から考えると、1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博は、私の人格形成に大きな影響を与えていると思います。この世代には、けっこうそういう人が多いでしょうね。まあおかげでこんな大人たちが出来上がったわけなので、それが良かったのかどうかは知らんが(笑)
2020年の東京オリンピックは、そこまでの影響力を持てるのでしょうか。
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