恐竜の足跡(SWSとは何だったのか?)
天龍源一郎の引退試合を見終えて、ふとSWSのことが思い出された。考えてみれば、SWSの旗揚げは1990年。もう四半世紀も前のことなんだな。
当時のプロレス界を揺るがせたSWSについて、最初に言及したのは週刊ファイトではなかったか。
マシン軍団を率いるなど新日本プロレスで活動していたショーグン若松(若松市政)がギミックのように連呼していた「おれたちのバックにはデカい組織がいるんだ」に触れて、あながちギミックばかりじゃないぞとサラッと触れた記事があったのだ。SWSが浮上する前年くらいのことだったと思う。
なんとなくその記事を覚えていた私は、ああそういうことだったかと、天龍引き抜きの報を見ながら思ったもんだ。「デカイ組織」とは、大企業メガネスーパーだったんだ! じっさい若松はSWSのキーパースンの一人だった。
引き抜き騒動や、週刊プロレス(ターザン山本)との軋轢、内紛からの分裂などは、すでにあちこちで言及されているので、今回はパス。
SWSの旗揚げ戦は、横浜アリーナで行なわれた。しかも平日開催。今だったら図々しく当日に有給休暇をとるんだろうが、当時まだまだ若かった私は、仲間と連れ立って、終業後に駆けつけた。それも、会社のある神田から新横浜まで、新幹線で。後にも先にも新幹線でプロレス見に行ったのは、このときだけだったね。
そうまでして駆けつけたSWS旗揚げ戦だったが、じつに微妙な空気を残して終わった。なんとなく前途に暗澹たるものを感じたのは、私だけではなかっただろう。そして、その予感は、ほぼ正しかったといえよう。
大企業のメガネスーパーが出資したSWSが、バッドイメージを残したまま短命に終わったことは、その後のプロレス界に大きなマイナスとなったことは間違いない。あれを見せられて、プロレスに出資しようと思う企業はないよな。別の結末を迎えていた(あるいは存続していた)ならば、現在のプロレス界はもうちょっと豊かになっていたかもしれない。
そのへんは、SWS騒動のさなかに、たしか橋本真也だったと思うが、インタビューで発していた言葉が、正論だろう。
「プロレスにお金を出してくれる人を、悪く言っちゃいけない」
だから、あのときの週刊プロレスとターザンの罪は大きかったと思うよ。
それにつけても、今、ブシロードの傘下に入った新日本プロレスが絶好調なのを見ると、時代は変わったと思わざるを得ない。新日本プロレス/ブシロードの関係は、基本的にはSWS/メガネスーパーの関係と同構図だと思うのだから。
ただ、時代の違いだけではなかったのも確かだ。
思えば、SWSにバッドイメージが生じ、最後には分裂にいたったのは、そもそもその成り立ちに問題があったからだろう。
それは、先行する全日本、新日本の両団体から、主力選手を引き抜いて団体を作ろうとしたことだ。これがプロレスファンの神経を逆なでした。そのうえ、しょせんは寄り合い所帯のうえ、ただでさえ我の強いレスラーどもの集団だ。考えてみれば、うまくいくはずもなかろう。
その点、ブシロードの戦略は、正しかったといえる。新日本プロレスを丸ごとワンパックで入手したんだから、そこには内紛も軋轢も生じなかった。まあ時代の違い、選手気質の変化もあろうが。
もちろん、メガネスーパーがプロレス進出を企てた1990年のあの時点で、どこかの団体にまるごと出資あるいは買収するのは、それはそれで無理だっただろう。なにしろ新日、全日、UWFとも、ここ数年のプロレス界とくらべると、当時ははるかに稼いでいたからだ。買収に応じる団体はなかったに違いない。
だから新団体設立という方針そのものは、やむを得なかったと思う。
だが、天龍を獲得した時点で引き抜きに走らず、たとえばアマチュアスポーツなどの才能あるアスリートをおおぜい採用して、じっくりと育て上げていたらどうだっただろうか。旗揚げ当初はメンバーのネームバリューがなくて、苦戦したかもしれないが、その方が団体の命脈も長くたもてただろう。天龍の当初の構想もそうだったと聞きおよぶ。
ひょっとしたら、まったく新しいスターを生んでいたかもしれない。そしてそれが生まれるまでの間、仮に収益が上がらなくても我慢できるだけの「体力」がSWSにはあったはずだ。
既存のレスラーをかき集めての旗揚げは、とにかく早く旗揚げをし、先行団体に対抗したいという意識だったのだろう。それは、オーナー田中八郎氏やエース天龍の意向ではなく、大企業ゆえの事情があったと思うのは、うがちすぎだろうか。
けっきょくのところ、失敗に終わったSWSだが、リング上には少なくともふたつの大きな成果を残した。
天龍をはじめとする主力、中堅がごっそり移籍した全日本プロレスだったが、そこで最前線に躍り出てきたのが、まだ若手のイメージがあった三沢光晴をはじめとする超世代軍だった。皮肉なことに、彼らとジャンボ鶴田の死闘が、天龍が目指していた「闘い」を主体としたプロレスを全日本のマットに具現させ、四天王時代という「黄金期」を到来させたのだ。
そして、天龍その人だ。SWSが挫折したあと、WARを旗揚げし、新日本プロレスや大仁田厚のFMWとの対抗戦に乗り出した天龍は、その激闘を通じて、「BI両方をフォールした唯一の日本人レスラー」となり、ミスター・プロレスと呼ばれるまでになった。その原動力が、SWSから始まる一連のマイナスに対する反骨心であったことは、想像に難くない。
四天王時代とミスター・プロレス。このふたつを生んだだけでも、SWSというプロレス団体には、途方もなく大きな歴史的存在価値があったのだ。
