史上最強の理事長
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優勝24回の大横綱であり、日本相撲協会の現職理事長である北の湖敏満が急逝した。あまりに急なニュースで、言葉もない。合掌。
思えば、史上最年少の出世記録(当時)を引っ提げてのしあがってきた頃の北の湖の強さと勢いは大変なものだった。それゆえ土俵の悪役を引き受けていた感もある。人気は、同じ横綱の輪島、人気大関の貴ノ花といった先行した先輩たち、そして同年齢で二枚目だった二代目・若乃花らに一歩譲っていたが、その強さでファンを黙らせる存在だったと思う。その点、同じく悪役じみてはいたが、のちの朝青龍とはひと味違った。
さて、優勝20回超の大横綱は6人いる。大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬だ。
このうち、相撲協会理事長まで勤めているのは、北の湖ただ一人(もちろん、「現役」の千代の富士(九重)や貴乃花にはまだチャンスがあるだろうが) そういう意味では、別格の大横綱・双葉山と並ぶ偉業を成し遂げたといえよう。
そして、元・双葉山の時津風理事長と同様、在職中に他界するとは、なんとも皮肉なことだ。
相撲協会が「理事長」という職を置いた1920年から、北の湖は12代(11人)目に当たる。よく考えたら、同時期の横綱よりもはるかに数が少ないのだ。1920年以降に昇進した横綱は、第22代の宮城山から第71代の鶴竜まで22人を数えるのだから。
ここで、歴代の相撲協会理事長をご紹介しよう。

このほかに、2010年7月~8月の村山弘義氏(元・検事長)と、今回の八角信芳(元横綱・北勝海)と2度の理事長代行が置かれている。理事長職が現在のような公選制になったのは、1968年から。
初代の広瀬正徳氏は陸軍中将。じつに18年間在職しているが、これはいわゆる「お飾り」だったようだ。
ここでも10年以上職にあり、数々の改革を指揮して大相撲の生き残りを成し遂げた3代目理事長・時津風(双葉山)の足跡は、断然光っている。戦後の混乱期から大相撲を復興し、困難な時期を乗り越えて栃若時代、そして柏鵬時代へと角界を導いた。あらゆる意味で「大相撲の神様」であったことは疑う余地もない。
北の湖理事長は、唯一、二度にわたって在職している点が目立つが、これは最初の在職時に弟子が大麻使用で解雇された件の責を負って辞任したため。もしもその件がなければ、時津風を上回る13年以上の在職も夢ではなかったかもしれない(もっともその後も野球賭博問題、八百長問題があって、当時の理事長が辞職したりしているから、なんともいえんが)
そして、初代を除く10人の理事長のうち、6人を占める出羽海一門が、いかに角界を牛耳ってきたかも、これを見れば一目瞭然といえよう。
めずらしく真面目な話になりかかったので、ここで歴代最強の理事長を選んでみよう。といっても、優勝回数などの目安があるわけでもないのであくまで主観で。
前述したように元・双葉山の時津風と北の湖の両理事長が、在職の期間から見て、最強の有力候補だろう。ちょっと甲乙はつけにくいが、不祥事があった北の湖にややマイナス点ありで、最強理事長は元・双葉山で落着。
次いで、3代目時津風理事長のもとで右腕として手腕をふるい、その没後を引き継ぎ、「相撲取りになったのが間違い」とまで言われる経営手腕を発揮した4代目の武蔵川理事長をあげたい。私が相撲を見始めたころの理事長だしね。蔵前国技館を建てたのは武蔵川の手腕によるところ大だったそうだ。
もう一人あげるとすれば、現在の両国国技館を無借金で建設したという実績のある5代目・春日野理事長かな。ただ、先代、先々代理事長の経営と蓄財ゆえだったともいわれるので、ここは一歩譲るのか。
まあ、経営者たる理事長に「最強」も何もないと思うので、お遊びはここまでにしておこう。
さて、北の湖理事長の後任には、現在協会ナンバーツーの事業部長で、理事長代行に選ばれた八角親方の就任がほぼ確実のようだ。実現すれば史上初の高砂一門出身の理事長となる。今までなかったのが不思議な感じだが、前述したように保守本流(笑)の出羽海一門の結束と勢力の前に屈してきたってことか。八角新理事長(予想)には、人気回復傾向にある今こそ、現役時代そのままの、攻めの経営を貫いていただきたい。
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