オリンピックをなんだと思ってるんだ(2)
昨日のつづきです。
「経済効果」なんかでオリンピックをやろうとすんな、というのが前回の怪気炎だったんだけど、それってそもそもどこに原因があるのか?
前回も書いたように、日本という国の小役人的体質がその一因ではあるけれど、じつはそれ以上に問題の根は深いのであった。
私がまだ若かりしころ、オリンピックは危機にあった。
1968年のメキシコ大会あたりから、オリンピックは政治に利用されはじめる。アメリカの黒人選手たちによる抗議パフォーマンスが表彰式などで行なわれ、公民権運動への掩護となったのが発端だったか。
その次のミュンヘン大会(1972年)では、アラブゲリラによる選手村襲撃という悲惨な事件が起き、犠牲者まで出した。
オリンピックは巨大な費用がかかる(この点は今も昔も大して変わらない)こともあり、開催したがる国や都市が激減し、開催そのものが危ぶまれる事態になったのだ。
そこに拍車をかけたのが、1980年のモスクワ大会と次のロサンゼルス大会で起きたボイコット事件だ。ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に抗議する意味でアメリカはじめ西側諸国がモスクワ大会に不参加(日本も追随)、報復としてソ連をはじめとする東側諸国はロサンゼルス大会に参加しなかった。
本来スポーツと政治は無関係であるべきで、いま考えても、じつに馬鹿げた行為だったと思う。この愚行への引き金を引いた当時のアメリカ大統領ジミー・カーターに対する私の評価は最低ライン。
そのころだったか、もっと前だったか、ある週刊誌で「オリンピックは将来消滅する」という予測記事(小説仕立てだった)を読んだ。
東側某国の水泳選手にエラらしきものがあったことから「人体改造だ」という抗議とボイコット合戦が再燃し、また巨額の費用がかかる大会参加を嫌う国が出はじめたことから、開催希望都市がほとんどなくなる。IOCは開催国は好きな競技を付け加えていいなどの好条件を出し、なんとか東京開催にこぎつける(なんだっけな、日本は縄跳びと野球を付け加えるんだっけ)が、参加ボイコットが相次ぎ、ついにオリンピックは五輪ならぬ「1輪」大会になってしまい、次回大会のめどは立っていないという内容(ウロ覚えの記憶だけで書いてます)
まあ、当時の私でもこれは極端だと思ったが、あり得ない話ではないだろうなとも思ったものだ。
荒唐無稽に思える最初の部分だって、いまのドーピング問題を予見していたのかもしれない(かなぁ)
そうしたなかでオリンピックをよみがえらせたのが、サマランチIOC会長だった。
それまで頑なに「アマチュアの祭典」だったオリンピックを、「プロ容認」へと、大きく舵を切ったのだ。
そしてロサンゼルス大会からは、さまざまな企業スポンサーを募り、プロも含めた最高レベルのアスリートを参加させ、劇的な改革をもたらした。
結果として大会は黒字となり、次のソウル大会ではボイコットもなく、そのころからは参加国も急増。見る見るうちにオリンピックへの世界各国の評価は変わった。
オリンピックは儲かる!
なんのことはない、オリンピックそのものが「経済効果」を売りにしてしまったのだ。
まあ、当時としてはこれが最善の途だったろうし、仕方ないとは思う。実際、プロも参加したオリンピックは見ごたえもそれまで以上のビッグイベントになったし。
そして30年ほどが過ぎた。ここまでは、まあうまく行っていたといっていいだろう。
ただ、前回のリオ五輪あたりから、「ちょっと待てよ」といった雰囲気が出てきていた。「軋み」みたいなものが表に出てきはじめていたのだ。
「拡大政策」が完全に行き詰まり、そろそろ危機のにおいが漂ってきているのだろう。
その象徴のようなニュースがあった。
先だって、東京大会の次の2024年大会の開催地を決める候補が2都市(パリとロサンゼルス)しかなく、次々回(2028年)の開催が危ぶまれるというのだ。そこで2024年の2立候補都市のうち片方を2028年開催に回そうという案がIOCで出ているという。
おいおいといった感じだが、どうやら、今またオリンピックは曲がり角を迎えているようだ。
そうはいっても、いったん大きくなったものを縮小させるのは、いろいろと弊害がある。競技種目を増やすのはいいが、減らせばそれはその競技の選手にとっては目標喪失になりかねないからだ。野球/ソフトボールが外された時のガッカリ感、アマレスが外されそうになったときの騒ぎを覚えているだろう。
そこで、ひとつまた解決策を妄想した。
次回に披露したいと思うが、実際に実現可能かどうかはともかくとして……まあ、シャレと思っておつきあいください。(次回につづく)
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