デヴォンロック事件

イギリスのミステリ作家ディック・フランシスをご存じだろうか。

「競馬シリーズ」と呼ばれた一連のミステリ小説で人気を博した人だ。1962年の『本命』でミステリ作家としてデビューし、以後ほぼ年に1作の割合で2010年に亡くなるまで、作品を発表し続けた。『興奮』『本命』『大穴』『利腕』『敵手』といったタイトルに見覚えのある方もあるかも。

そのディック・フランシス、作家に転身する前は競馬騎手だったので有名。引退後に、騎手時代の経験をもとに、競馬の世界を背景にしてミステリを書き続けたのだ。

ディック・フランシスほどの大物スポーツ選手から作家への転身は、ちょっと他に例を思いつかない。日本にたとえると、武豊が西村京太郎くらいの作家になった感じだろうか。あるいは長嶋茂雄が現役引退後に作家に転身して赤川次郎になったくらいのインパクトか。違うか。

そのディック・フランシス、エリザベス王太后(女王陛下の母君)の専属騎手となった1953~54年シーズンにリーディングジョッキー(最多勝騎手)になったのが偉大な記録として残っているが、じつは彼を最も有名にし、英国競馬史に残したのはその記録だけではない。

多くの人々の記憶に騎手ディック・フランシスの名が残った原因であろう事件は、1956年の大レース、グランドナショナルにおいて起きた。英国で最大の格式をもつ障害レースだ。

デヴォンロック号に騎乗したディック・フランシスは、他の馬が次々に障害で落馬するのを尻目にトップに立つ。栄冠は目前だ。あとフィニッシュラインまで50メートル。

その時、事件は起こった。それまで快走していたデヴォンロック号が、突然4本の足を突き、腹這いになって止まってしまったのだ。前代未聞の事態、馬券を買っていた人々にも大変なショックだったろうが、ディック・フランシスの受けた衝撃ははかりしれない。

けっきょく、デヴォンロック号はそのままレース中止。原因は、今日でも解明されないままだ。

ある意味ミステリ小説以上にミステリアスなこの事件が、有名な「デヴォンロック事件」。この事件で、ディック・フランシスは生涯最大のチャンスを逃し、8回も挑戦したグランドナショナルでは、ついに勝利できなかった。

事件が作家転身の直接のきっかけかどうかはわからないが、その後ディック・フランシスがミステリ作家として有名になったのには、この「デヴォンロック事件」のイメージが一助となったのかもしれない。

「デヴォンロック事件」は、当時の日本でもニュース映画で報じられたという。

昭和30年代の日本で、イギリスの競馬情報が求められていたわけではないだろうから、このニュース映画が日本で上映されたのは、やはりそのミステリアスさと、映像の衝撃度が大きかったからだろう。

このニュース映画のことは、かつてニュース映画の翻訳を手がけられ、実際にこの映画にも字幕をつけられた、翻訳家の故・O先生ご自身から直接うかがった(O先生はのちにミステリ翻訳に転じられた)。

先生はもちろん当時は、騎手ディック・フランシスのことなんて知らなかったし、のちに彼がミステリ作家となり、日本で人気を得てからも、長い間アレとコレが結びつかずに、気づかれなかったそうだ。ディック・フランシスのミステリ小説が日本でも人気となったころには、事件が起きてからすでに10年以上の月日が過ぎていた。

残念なことに、O先生ご自身はディック・フランシスの作品を翻訳される機会はなかった。もしもそうなっていたら、それはそれで面白いドラマになっていたのだが……。実際に翻訳するチャンスもあったんだがなぁと、先生は述懐されていた。

このお話をうかがったのがいつだったかは記憶していないが、そのころはそのニュース映画自体を見られるとはまったく思わなかった。

だが、時代は変わった。O先生の字幕こそついていないが、今ではYouTubeで問題のニュース映画そのものを、手軽に見ることができるのだ。興味をお持ちのむきは、Devon Lochで検索して見られたい。

デヴォンロック号の衝撃的な転倒と、その後がっくりとうなだれて引き上げるディック・フランシスの姿は、あれから半世紀以上が過ぎた現在でも、強烈な印象を残す。

あるいは、ひょっとしたら、その瞬間こそが、偉大なるミステリ作家、ディック・フランシスが誕生した、歴史的な瞬間なのかも知れない。

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