1981年の大戦争

ダスティ・ローデスが亡くなった(2015年6月11日逝去)。70年代から80年代のプロレスシーンでは欠かせない大物の一人だったし、その後の裏方ぶり、息子たちの成長ぶりを見るにつけ、リング上の姿とはまた別なビッグぶりを感じさせる大物だった。合掌。

と思ってつらつら思い返したみたが、どうやら私はライブでダスティ・ローデスの試合を見たことがないらしい。ぜんぜん記憶にないのだ。私の学生時代くらいに初来日だったと思うが、貧乏学生だったので年に1回くらいしかライブ観戦できなかったし、そのころは全日本プロレスばかり見ていたので、新日本プロレスの常連外人だったローデスを見ていないのもうなずける。社会人になった80年代以降は、逆にローデスの来日が減っていた(通算12回しか来日していないし、そのほとんどは数日間の「特別参加」)。私にとってはダスティ・ローデスは「テレビのなかの登場人物」だったんだろう。それはそれで正しい気がするが。

なのであまり思い出の試合などはないのだが、そうした中でローデスが重要きわまりない役割を果たしたプロレス史上の事件は、よく覚えている。1981年の蔵前大戦争である。

当時の男子プロレス界は、この年の夏に興行を停止した国際プロレスが脱落して、アントニオ猪木の新日本プロレスと、ジャイアント馬場の全日本プロレスの2団体時代に突入していた。おまけに5月に新日本のアブドーラ・ザ・ブッチャー引き抜きに端を発した外人レスラー引き抜き戦争の真っ最中。そんな時に何の因果か、新日本・全日本の両団体が、ともに旗揚げ10周年を迎えたのだ。

というわけで、両団体がメンツを賭けたビッグマッチが10月の8日(新日)9日(全日)の一日違いで、大会場の蔵前国技館で開催されたのである。当時はまだ外人レスラーが興行の目玉だったこともあって、大物外人の引っ張り合いで両陣営ともヒートしっぱなし。

たとえば、当時新日本で売り出し中だったハルク・ホーガンは、いったんは全日本への出場が発表された。当時のプロレス雑誌などにはブッキングにあたったテリー・ファンクの「彼には航空券を送ってある」などという発言が載っていたが、けっきょくホーガンは新日にとどまった。馬場はホーガンとブルーザー・ブロディのタッグを構想していたというが、実現していたらその後の世界のプロレス史は変わっていただろう。

国際プロレスのエース外人だったアレックス・スミルノフも両陣営から激しくアタックされたらしく、一時は両団体とも参戦を発表。興行ポスターには、どちらにもスミルノフが載っていた。けっきょくは全日本に参戦。しかし、ポスターでは国際時代のスキンヘッドだったスミルノフが、来日したら髪の毛をのばしていて、なんか「ハズした」感があったな。その後スキンヘッドに戻したが、以後は鳴かず飛ばずだった。

そして全日本が目玉中の目玉としていたのが、当時はまだ「世界最高峰」だったNWA世界ヘビー級チャンピオンの来日だった。詳しく書くと長くなるが、これは当時日本では全日本が独占していた権利で、年に2回ほど招請していたのだが、今回は様相が違った。

またこんなタイミングで、といった感じだったが、この年の6月に王者が交代していたのだ。それまでは全日本の常連で、馬場とも王座を奪ったり奪い返したりしていたハーリー・レイスが不動のチャンピオンだったのだが、その王座を奪ったのが、よりによってダスティ・ローデスだったのだ。

当時すでに新日本の常連だったローデスだが、チャンピオンの義務で、全日本のビッグマッチに参戦せざるを得ない。全日本側は小躍りとなりそうなものだが、馬場はローデスが嫌いだった(あくまで噂)。じつはレイスの次の王者は若手(当時)のリック・フレアーが大本命で、こちらは馬場も気に入っていると言われていた。そこで来日発表の席でなかなか燃える発言が馬場の口から飛び出したのだ。

ざっくり言うと「来日前にフレアーがアメリカでローデスに挑戦する。もしフレアーが王座を奪取すれば、来日するのは新王者のフレアー。もしもローデスが王者のまま来日したら、日本でベルトを引っぺがしてやる

おお、燃えるね!

さらに馬場は明言した。スケジュールでは、王者の参戦は蔵前でのビッグマッチを含めて全4戦(10月6日~9日)。そのうち第1戦(仙台)と第2戦(横浜)ではそれぞれ天龍源一郎(初挑戦!)とテリー・ファンク(元王者!)の、そして最終第4戦の蔵前では若きエース・ジャンボ鶴田の挑戦が決まっていた。もしも、フレアーがローデスを討ちもらしたら、このスケジュールの空白の10月8日の第3戦(横須賀大会だったと思う)に急きょフレアーを来日させ、ローデスの王座に挑戦させる!

いやいや凄い話ですね。実際にそんなことが可能だったのだろうか? いや当時の馬場の発言力、政治力をもってすれば、充分可能だっただろうし、そう思わせるだけのものを、馬場はわれわれプロレスファンに見せていたのだ。

けっきょく、全日本プロレスの包囲網を恐れた(?)ローデスは来日前にフレアーに敗れて王座を失い、新王者リック・フレアーが日本で堂々とお披露目された。ジャイアント馬場の「王座引っぺがし作戦」は幻に終わったのである。

その年の暮れ、新日本に来日したローデスは、かつてのパートナーであるディック・マードック(やはりこの年に引き抜かれて全日本から新日本へと移っていた)と往年の名チーム「テキサス・アウトローズ」を新日本マットで復活させていた。もしもあの時にフレアーに勝ってローデスが王者のまま来日し、馬場の包囲網を突破していたら、いまごろは新日本で猪木や藤波あたりの挑戦を受けていたのかも知れないんだな、などと思いながら、気分良さそうに暴れるローデスを、テレビで見たもんだ。

いまからもう34年も前のことである。

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