21世紀のメインイベント
今年も全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」が終わった。最近は優勝戦が地方開催されることが多いので足が遠のいているが、1979年に初めて観戦して以来、かつては毎年必ず会場で観戦したものだ。ブッチャーとシークの仲間割れ、スタン・ハンセンの乱入などから始まる数々の名場面が記憶に刻まれ、私にとってはすっかり暮れの風物詩になっている。
今年(2014年)の優勝チームは、秋山準と大森隆男のコンビだった。
この二人は、私がもっとも濃密に全日本プロレスを見ていたころにデビュー(1992年)し、その後も成長をずっと見てきたレスラーなので、ちょっとした思い入れもある。
二人のコンビは、四天王時代においては期待の若手タッグとしてプッシュされ、1995年に戴冠したアジアタッグ王座は、防衛12回という歴代2位の防衛記録を達成している。当時、妻が大森のファンだったため、私たちはその防衛戦のほとんどを追いかけて観戦した。水戸、小山、仙台、京都などなど、せっせと会場に通ったものだ。水戸の体育館は寒かったなあ。
1999年9月、全日本の武道館大会。ファン投票で5大シングルマッチの試合順を決めるという企画ものの大会だった。そこで、エース・三沢光晴の試合を差し置いてメインイベントを張ったのが、秋山と大森の対決だった。
すでに二人とも看板スターに成長していたとはいえ、まだ三沢以下の四天王とは差があると思われていた時期だけに、この試合がメインを張ったのは非常に新鮮な驚きだった。
試合そのものは、見終わったあとの私の感想を記しておけばいいだろう。
このカードは間違いなく21世紀の全日本プロレスのメインイベントである。だが同時に、今はまだ20世紀なのであった。
その翌年、三沢のプロレスリング・ノア旗揚げに伴い、ともに全日本を離脱してノアに参加した秋山、大森の運命は、大きく変わった。
ノアのエースとなりGHCチャンピオンにも君臨する秋山。
それに対し、大森のほうはノアを離脱して長州力のWJに参戦し、以後ゼロワンなど多くの団体を流浪、一時期はプロレスを離れたりもした。
こうして秋山と大森は、二度と交わらぬ線となった。「21世紀の全日本プロレスのメインイベント」は、幻になったのだ。
その後、2011年頃から大森が全日本に復帰し、ふたたび運命は変わった。そして、何かの因果か、あるいは何かが引き寄せたのか、全日本へノアから秋山が参戦してきたのだ。
こうして、紆余曲折を経て二人は再び全日本プロレスのリングで対峙し、三冠統一王座戦を闘い、チャンピオンカーニバル決勝でも対戦。さらに、昨年ノアを離脱した秋山が全日本に再入団したことで、かつての名コンビも復活したのだ。人生とは、まことに何が起きるかわからないシロモノだな。
気づけば、期待の若手だった二人も、いつのまにやらベテランと呼ばれる存在になった。
また、今年の最強タッグ優勝決定戦の対戦相手が、かつての彼らと同じような期待の若手コンビ、潮崎&宮原組だったというのも、また面白い。彼らも私も年をとったということなんだろうが、二人にはまだまだ頑張ってほしいね。
二人をプロレスラーとしてスカウトし、育て上げたジャイアント馬場と三沢光晴は、雲の上から、優勝トロフィーを掲げた秋山&大森の姿を、「相変わらずだな、お前ら」と笑って見ていたんだろうか。
ところで、このコンビが最強タッグで優勝したのは、意外にもこれが初めて。そして二人とも過去の優勝は1回ずつしかない。もっと何度も優勝してる気がしていたが、二人とも全日本プロレスを離れていた時期が長いせいだろうな。
そして大森隆男は、これでこの2014年に、チャンピオンカーニバル、世界最強タッグを制覇し、三冠ヘビー級王座と世界タッグ王座の両方をも戴冠する「年間グランドスラム」を達成した。同時に、短期間とはいえ、三冠ヘビーと世界タッグの「五冠王」も達成しているのだから、MVP級のどえらい記録なのだ。だが、そのわりに目立っていないのも、まあ大森らしいと言えば、らしいんだよなぁ。
【2017/7/18 追記】 来る8月11日に、この両雄のデビュー25周年を記念したGAORA TV選手権試合(チャンピオンは秋山)が行なわれるというニュース。いやぁ、もう25年、四半世紀が過ぎているのか。じつに感慨深いですね。テレビ中継で拝見させていただきましょう。
