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大相撲新団体旗揚げ

立行司が不在だったりもするが、いまのところ初場所はとどこおりなく開催されているようで、よかったよかった。

とはいえ、例の問題は水面下に潜っただけで、けっして根本的な解決は見ていないと思う。貴乃花親方の処分だけですべてスッキリとは、誰も思っていないだろう。

場所後に行なわれる予定の理事選挙は、その点で非常に危うい。結果次第では「貴乃花の乱」が勃発しかねないと思うから。

すでに一部では「貴乃花が新団体旗揚げ」なんていう憶測も出ているようだ。

まさかそんな、プロレスじゃあるまいし、というのが世間一般の反応のようだが、いやいや待て待て、プロレスも相撲も同じプロの格闘技の興行。起こらないとどうして言えよう。

思えば、プロレスも、力道山の日本プロレスがモノポリーを形成していた昭和30年代までは、誰も新団体など興さなかった。

ところが力道山の死後、腹をくくった一人の男が国際プロレスを旗揚げして(1966年)先鞭をつけ、タブーは消えた。アントニオ猪木とジャイアント馬場が乱を起こして日本プロレスを出たのはそのわずか6年後。

そこからの流れはご存知の通りで、現在のプロレス界は、団体数すら誰も把握できないほどの群雄割拠(それがまた面白いんだが)

大相撲がこうならないという保証は、どこにもないと思うがね。

というのも、過去を見れば、単一の組織による相撲興行の独占なんて、そんなに長い歴史があるわけじゃないからだ。

現在の大相撲に近い興行の形が出来たのは江戸時代。もちろんそのころは江戸だけでなく、各地で相撲興行は行なわれていた。

近代に入っても、その流れは同じで、明治期には東京相撲だけでなく、大阪相撲京都相撲があり、一時期は東京よりも盛んだったという。ほかにも名古屋相撲や広島相撲なんてのもあったらしい。

それぞれに独立した別個の組織が運営し、本場所を開催し、大阪横綱や京都横綱なんてのもいた。力士の引き抜きや移籍もあったという。

明治時代の強豪である、第19代横綱・常陸山は、幕下昇進後に東京相撲を出奔して名古屋相撲、大坂相撲、広島相撲に所属し、約2年の空白のはてに東京相撲の幕下格に帰参、その後快進撃を続けて横綱まで上り詰めている。

では、その大阪や京都の相撲とはどういったものだったのか。ざっくり調べてみた。

案外と資料は乏しいのだが、そもそも興行を目的とした相撲は18世紀初めの元禄の頃に大阪で始まったらしい。だが18世紀末の寛政年間ごろから江戸の相撲が盛んになって勢力を失う。

明治時代になると東京相撲協会に対して大阪相撲協会が出来たが、東京との実力差や組織での内紛などで苦戦し、それでも大正時代に入ると東京相撲の両国国技館に対抗して、新世界に大阪国技館も作られた。

決定打になったのは、1925年(大正14年)の皇太子(のち昭和天皇)による東京相撲協会に対する奨励金下賜(現在の天皇賜杯の起源)で、これで東京相撲の優位が固まり、1927年(昭和2年)に東西合併による大日本相撲協会が結成され、大阪相撲は消滅にいたった。

大坂相撲の最後の本場所は、1926年(大正15年)1月に台北で開催されたのが最後である。

つまり、相撲が統一されてモノポリーとなってから、まだ100年もたっていないのである。野見宿禰と当麻蹴速の対決(紀元前23年とされる)に始まる相撲の歴史2000年にくらべれば、ごくごく最近の出来事ということになる。

なお、京都相撲は大阪相撲よりも先に興行を行なっていたそうで、江戸時代にはけっこう頑張っていたという。1912年(明治45年)には二条城城内に京都国技館も建設されたが、どうやらそれ以前に独立した興行としての京都相撲は消滅していたらしい。

名古屋や広島の相撲については、よくわからなかった。

大日本相撲協会の結成後にも、前に書いたことがある「春秋園事件」に端を発する分裂騒動があって、短期間だがオポジションが結成されたこともある。大相撲が複数団体だった時期は、けっこうあったのである。

平成の現代で、そううまくいくとも思えんが……

まあ、そんなことになってほしくはない一方で、プロ野球のセ、パ両リーグのように、ふたつの大相撲団体が競い合うっていうのも、そう悪くないかもしれないな、とは思う。

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