ドイツの名城、ドラッヘンブルクのあるライン川の風景
2025年5月2日 ドラッヘンブルク、ドイツ
5月1日の祝日、メーデーが木曜日であり、どうせ直ぐに土日だからと言うことで、職場が金曜を休みにしてくれたおかげで、4連休が出来た。内、最初の1日はゆっくり休み、2日はドラッヘンブルクDrachenburgへ、3日目はコッヘムCochemへ行き、4日目は知人と会う予定になっていた。ドラッヘンブルクとコッヘムは共に多くのウェブ・サイトで、既に訪れたノイシュヴァンシュタイン、シュヴェリーン、ハイデルベルク、ホーエンツォレルンなどと並んでドイツでも有数の名城とされており、本日の目的地でもある前者は、城の公式サイトによると1882年から1884年にかけて建造された。
行きの電車の乗り換えの記録は紛失してしまったが、12頃にデュッセルドルフを発ち、ケルン・メッセKöln MesseとトロイスドルフTroisdorfでの乗り換えを挟み、約2時間でドラッヘンブルクの最寄り駅、ケーニッヒスヴィンターKönigswinterに到着したと思われる。
ケーニッヒスヴィンター駅の西側には、集合住宅やホテルに飲食店などの白い建物群と並木道を挟み、ライン川が流れていて、観光化されていた。デュッセルドルフ周辺では春に差し掛かり、ここ数週間、寒い日と暖かい日が移り変わりを繰り返していたが、この日は幸いにも日光が心地よい快晴で、ぎりぎり半袖も着られるほどの暖かさだった。ドラッヘンブルク城は駅裏の山を数百m、南東へ30分ほど登った上にあり、そこまでは2両編成の小さな列車も走っていて、車道もあった。森の木々は黄緑色の若々しい葉を生やしていて、爽やかだった。大半がドイツ人と思われる観光客達も多くいた。私は移動と暑さで疲れたので、城に唯一の屋台で1.5ユーロのレモン・アイスを買って食べた。


城は上空から見ると、横向きの1本の棒状になっており、庇のない切妻屋根を全体的に被っていて、棒の中央から右にずれた部分からは短いトランセプトが伸びていた。棒の左端とトランセプトの直ぐ左には四角柱の塔が立っており、トランセプトの直ぐ左の塔には庇のない寄棟屋根が、両塔の間にはドーム型の屋根が、それぞれ着いていた。外観上、棒部分は平屋で、トランセプトと棒のそれより右の部分は2階建て、そして両塔は3階建てになっていた。屋根は灰色で、煉瓦で出来た外壁は基本的に明るい黄土色だが、建物の角に屋根の下や窓の周りなどには茶色の煉瓦が使われていた。トランセプトの3階部分側面片方は薔薇窓になっており、建物の他部分各階には縦長の長方形の窓や、縦長の蒲鉾型の窓が横並びになっていた。また、薔薇窓の下では、庇がなく茶色い切妻屋根が、同じく茶色い円柱4本に角を支えられて東屋のようなものを形成しており、その中が出入口になっていた。加え、建物全体は高さ約5mの灰色の土台に乗っていて、出入り口の直ぐ左右からは土台の下部まで階段が降りていた。


このように当城の外観はまるで教会のようであり、ノイシュヴァンシュタイン城同様、軍事的利便性よりも美観を優先して作られた印象が強かった。だが、当城の造りに、無計画に増築を重ねて造られたノイシュヴァンシュタイン城のような雑多な感じもなければ、過多な装飾もなく、当城のデザインはユニークながらも統一感を持ってシンプルに纏められていた。
内部には食事部屋、20mはあろう長い廊下、ヴォールトの架った階段、壁紙やカーテンにピンクが多く使われた女性的な寝室、壁紙やカーテンに深緑が多く使われ白熊の毛皮が置かれた男性的な寝室、書斎、ビリヤード台が置かれた部屋などの部屋があった。壁紙やステンド・グラスには兵士や貴族などの男性の姿が多かったが、それ以上に植物がはっきりとしたタッチで童話らしくデフォルメされて描かれており、周囲の山々の景色からインスピレーションを受けて描かれたのであろうことが読み取れた。心象風景のようだった。


外に出て棒の左端部分に行くと、派手な金色の鹿の像が2体あった。そこから見下ろせる一帯には短い草が生えていて、背の高い木々に遮られていない分、山の斜面からライン川を挟んで対岸まで続く爽やかな景色が見通せるようになっていた。対岸も大半が緑で、建物はその合間合間に侵食されているように建っているだけだった。無邪気な子供が駆け回るように、風が山の斜面を通って山の麓まで吹き抜ける様子が想像出来た。

以上で私は城を見終え、行きと同じか少なくともほぼ同じ道程でデュッセルドルフへと戻った。
※2025年5月18日追記 当城は、名誉を巡って多くの北欧人とドイツ人の死者を出した戦いを描いた叙事詩、ニーベルンゲンの歌Das Nibelungenliedの登場人物、ジークフリートSiegfriedが竜を討伐し、竜殺しの異名を得た場所である。
