“古代ローマのユダヤ人墓地”ベイト・シェアリムinイスラエル
2023年8月11日
この日は、“ベイト・シェアリムのネクロポリス–ユダヤ人の再興を示す中心地”として世界遺産登録されているユダヤ人墓地の遺跡、ベイト・シェアリムBet Sche’arimを訪れる予定だった。
当遺産はローマ支配に対するユダヤ人達による第二次反乱が失敗した135年より築かれていた、イスラエル以外の地では初となるユダヤ人墓地で、石灰岩の斜面に彫られていた。碑文にはギリシャ、アラム、ヘブライ、パルミラなど複数言語が刻まれており、当時からユダヤ人達が広く分散していたことを物語る。また、ユダヤ教の格言集、ミシュナMishnahを完成させたラビ、ユダ・ハナシJudah ha-Nasiがユダヤ教の再興に努めた地でもあった。当遺産は6世紀までに埋葬地としての役目を終え、一時的に放棄された末、国立公園の一部となっていた。
私は宿から徒歩約1kmのバス停、Hameginim/Hahagana Squareでバスに乗り、50分と2ユーロ相当を掛けて、遺跡最寄りのバス停、Kiryat Tiv'on Junction/ Qiryat Tiv‘onへと移動し、底から舗装された山道を約20分歩いて遺跡へと到着した。
この墓地は灰色の岩山に彫られた約30の墓からなっていた。内、幾つかの墓は、深さ、各辺共に約10mの立方体に近い縦穴で、2辺か3辺に1m四方ほどの横穴が空けられており、その中に棺が納められていた。別の幾つかは高さ、奥行き共に10m未満の半円形の横穴で、その周りは煉瓦状に詰まれた灰色の石材で固められており、一部の石材は階段になっていた。



一番大きくて目立つユダ・ハナシの墓には、奥行き20㎝、高さ3mほどの3個の蒲鉾型の窪みが横並びになっており、左の窪み下部に空けられた1mほどの高さの四角形の穴が出入口になっていた。中心の窪みには2mほどの高さの四角形の穴が空いていたが、石の扉で閉ざされていた。内部は高さ2、3m、奥行き数十mの空間になっており、内壁は黄土色で、天井は丸みを帯びていた。この空間は壁で仕切られており、約10の部屋があった。

そして蒲鉾型の窪み3個を持った目立つ墓はもう一つあり、3個の内、両脇の窪みには1mほどの、中央の窪みには2mほどの高さの四角い穴が空いていて、左右の穴は石の扉で閉ざされていた。内部は同様に高さ2、3m、奥行き数十mの空間になっており、壁で仕切られた約10の部屋の大半には、複数の石櫃が置かれていた。どうやらここは集団墓地らしかった。これら石櫃には、鱗のような幾何学模様、2枚貝のようなマーク、中央へと向かい合う四足歩行の動物、鳥などが浮き彫りにされていた。上向きに開いた三重の半円を縦線で貫いた高さ1mほどのマークが浮き彫りにされた内壁もあり、どことなくJRPGらしさを感じた。





一つだけ内部が小規模な博物館になっている墓もあり、そこには当時のイスラエル周辺のユダヤ人の分布図や、U字の取っ手が付いた茶色い土器、百合のような模様が彫られた瓦礫が展示されていた。
墓の他、徒歩10分ほどの距離の丘には、1900年前後の第二次アリヤの時期のロシア系軍人、アレキサンダー・ザイドAlexander Zaidの騎馬像があり、数十人もの男子学生達が修学旅行か何かで見に来ていた。

当墓地ほど古いユダヤ人の関連の遺跡を見られることは貴重な経験だったし、私は石櫃のデザインにはギリシャとの連続性を感じた。
墓を見終えた後は、余裕があればもう世界遺産、“聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ”を構成するメギドMegiddoに行きたかったが、そこまでの往復には複雑なバスの乗り継ぎを要し、イスラエルのバスの時間が多少いい加減なことを加味すると、ハイファに戻って来られるか分からなかったので、メギド行きは断念した。若かりし頃の私ならここでメギドを目指しただろうが、ここで無理しない自分の姿勢に成長を感じた。因みにこの遺産は旧約聖書に登場する3つの町の遺跡からなり、これらには建築学的価値もあった。
帰りは行きと同じバスがなかったので、1回バスを乗り継ぎ、ハイファのカラメル・ビーチ駅に移動してから、1時間と5ユーロ相当を掛けてテル・アビブに戻って来た。宿は前と同じ所に取った。
※“ベイト・シェアリムのネクロポリス–ユダヤ人の再興を示す中心地”の歴史に関しては、ユネスコの世界遺産リスト参考
※20260428追記 男子学生達はきっと愛国心を高揚させる為の授業を受けていたのだろう。日本では2006年前後に愛国教育を義務教育に盛り込むかどうかが国会で議論されたが、結局、盛り込まれなくとも、クルド人を始めとした不良外国人問題によって2025年に世論の愛国心の高まりが選挙やネットに広く反映された。このことは、本来、愛国者の敵であるはずの不良外国人によって愛国心の高揚が促されたと言う点において、皮肉であり、興味深い。
