“遺跡巡りを通して見る古代エジプトの栄光” カイロinエジプト
2023年8月17日
この日はツアーで世界遺産、“メンフィスとその墓地遺跡–ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯”を見て、昼過ぎには明日の飛行機に供えて空港へ向かい、空港泊をする予定だった。
当遺産はメンフィスとテーベを含む遺跡群である。ナイル川西側に位置するメンフィスは、紀元前 3000 年に統一されたエジプト古王国時代の首都で、高さ146mのクフ王のものを含む30個以上のピラミッドと9000個以上の岩窟墓が建設された地である。ここでは墓の形状がマスタバからピラミッドへと発展して行った過程を見ることが出来た。加えて当地は地理的に重要な貿易拠点でもあり、上下両エジプトを支配するに当たって適所だった。その為、ここには宮殿、寺院、職人の工房、造船所、兵器庫、住宅街など当時の人々の生活と繁栄を今日に伝える建物跡や遺跡に物品が多く残っていた。テーベはエジプト中王国、新王国の首都であり、ナイル川東岸にカルナック神殿を、西岸にはラムセス2世などの葬祭殿を、丘陵地には王家の谷の墓地群を有していた。
この遺産には一般的にエジプト観光の目玉とされているクフ王のピラミッドとスフィンクスが含まれていたが、私の中ではそれらを見られるワクワク感よりも、苦手なエジプトからもう直ぐ離れられることに対する喜びが優に勝っていた。
最初に私達はギザの砂漠で、クフ王のものを含む三大ピラミッドを見た。ガイド曰く、その鋭角なシルエットは、太陽光とパパイヤの形にヒントを得て作られた。また、三大ピラミッドの内、一番大きなクフ王のピラミッドは、王の魂が一早く上空へ迎えるよう敷地の北端に位置していたそうだ。ピラミッドの周囲には朝なのに人が大勢いて、観光客を乗せる駱駝数頭も、飼い主が持って来た緑の草を食んでいた。エジプトを早く出たい気持であったとしても、メディアで幾度となく見た場所に来られたことで感動があった。



中に入ると、高さ約10mと幅2m以下の細く急な通路を抜け、石櫃が置かれた部屋まで行くことが出来た。ピラミッド内は盗賊のせいで空っぽだったが、この通路は映画、インディー・ジョーンズに出て来そうで、冒険心を擽られた。

次に車でサッカラSaqqaraと呼ばれる砂漠に来た。そこには古代エジプト第3王朝第2代ファラオ、ジェセルDjoserの為に建設された5段構造で史上初のピラミッドや、ナポレオンに鼻を削がれたスフィンクスに、ピラミッドに使われているような黄土色のブロックで作られた祭殿などの建築物数棟があった。この史上初のピラミッドは、紀元前2700年から2600年代頃に生きた政治家、イムホテプImhotepによって建築されており、彼の名前も王達同様にエジプトではかなり知られているとのことだった。




このピラミッドも入ることが出来、内壁中に描かれた美しいヒエログリフを楽しむことが出来た。ガイド曰く、このヒエログリフは、王が地上に戻る際の道標であり、王を保護するものであり、王の為に祈りだった。だが、ヒエログリフがピラミッドに描かれ出した当初は、今のように壁に掘り込む形を取っておらず、パパイヤで書いていた為、直ぐに劣化して読めなくなったそうだ。また、死者の道標として、偽の扉もあった。

そばには紀元前2300年代の王女、シェシシェシェト・イドゥットSeschseschet Idutの墓もあった。それは外から見ると黄土色のブロックで出来た簡単な平屋なのだが、内壁には美しい絵が描かれていた。それは人々が動物を捕まえたり、船を漕いだりする様子を描写しており、当時の人々の狩猟やナイル川に根付いた生活を生き生きと伝えていた。



これらを見終えると、私達は再度車移動し、屋外博物館に来た。そこには王達の中でも時にエジプトの勢力拡大を成したことと、世界初の平和協定を結んだことで知られる紀元前1300年前後の王、ラムセス2世Ramesses II関連の遺跡から見付かった物品が、多くは野晒しで展示されていた。それらはヒエログリフが描かれた石櫃、高さ2mほどのスフィンクス、嘗て円柱の柱だったヒエログリフの丸い土台、兵士らしき男性の半裸姿を模した高さ10mほどの立像などなどで、像はどれも黄土色の石材で作られていた。これらの他、膝下が破壊されてはいるものの、それでも全長20mを越える仰向けのラムセス2世の石像があり、これは屋根付きの小屋で雨風から保護されていた。これらだけ沢山の物品があることと、ガイドが特にこの王に関して強く語っていたことから、如何にラムセス2世が他の多くの王達よりも優れていたかが伝わって来た。




以上でツアーは15時頃に終わり、私はガイドと遅めの昼食を摂った。食事はピクルスのようなもの、茄子とトマトを僅かな辛味のあるソースで和えたもの、酸味のある冷たいポトフのようなスープ、白い豆のソース、白飯にコーラだった。本当はこれに焼肉が付いたのだが、私は肉を食べないので、代わりにトマト・パスタを出された。


食後、私は20ユーロほどの追加料金を払って空港まで運転手に連れて行ってもらった。空港では何故かエジプトの通貨を外貨に両替することをしておらず、私はまたもエジプトにがっかりさせられた。私はダハブでも飲んだ麦ジュースにオニオン・リングと7upを飲食し、小銭を消費すると共に小腹を満たした。帰るのが待ち遠しかった。
※“メンフィスとその墓地遺跡–ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯”の歴史に関しては、ユネスコの世界遺産リスト参考
