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“エジプト考古学博物館とアブディーン宮殿へ”カイロinエジプト

2023年8月14日
 この日は丸一日カイロ散策に当て、エジプト考古学博物館、アブディーン宮殿Abdeen Palace、ムハンマド・アリ・モスクMuhammad Ali Mosqueにスルタン・ハサン・モスクMosque Madrasa of Sultan Hassanを回る予定だった。内、当記事では博物館と宮殿を見学した感想を書いて行く。
 私はエジプト考古学博物館がフィレンツェやミラノ、バチカン、パリの美術館同様に行列が出来るほど混雑するとネットで知っていたので、開館直ぐに入館出来るよう7時頃に宿を出た。宿の前には、町内最高で130mの高さのミナレットが付いたアル・ファト・モスクAl-Fath Mosqueがあった。結構早く宿を出た心算だったが、当モスクに面した広い道路には既に多くの人々と車が騒々しく行き交っており、町はカオスに包まれていた。
 宿から2.5km離れた博物館までは約35分、博物館から1.5km離れたアブディーン宮殿までは約30分、宮殿から4km離れたムハンマド・アリ・モスクまでは1時間、徒歩でかかる。それに各施設を見学する際にも歩く訳だから、この日は中々の距離を歩くことになっていたが、決してバスやタクシーを使う気はなかった。何故ならこの混沌とした街で、今後もう乗らないであろうバスの乗り方を覚えたり、タクシーの運転手と料金交渉したりする為だけに、今までの旅で悪い印象しかないエジプト人達と話しをしたくなかったのだ。それに、彼等に訳の分からない話しをされて時間を無駄にしたり、騙されて行きたい場所に行けなかったり、喧嘩になったりするのも御免だった。

 最初に来たエジプト考古学博物館は、上空から見ると縦線の太いT字になっており、臙脂色の外壁を持つ国会議事堂などの政府機関を思わせる建物だった。長くは待たなかったが、やはり行列は出来ていた。
 内部には、腕を交差させて立つグレイ型頭部の人物像、象形文字が描かれた棺、現世と死後の世界を繋ぐとされた開かない飾り扉、兵士のシルエットが左右に彫られた門、鴨の絵、東洋の仏像を思わせる坊主頭の男性の等身大木像、膝丈のスフィンクスやピラミッド、鳥や獣の頭部と人間の体を持った神々の黒い石像、蜷局を巻く蛇の黒い石像、狛犬のような座り姿の猫の木像、ライオンの鬣のような形の帽子を被った金色の王族の像、同様の王族が描かれた金色の棺、包帯でぐるぐる巻きになった棺、狐のような黒い神の像が腰を下ろした木造神輿、漁船のミニチュアなど、大小問わずありとあらゆるエジプトらしい物品が展示してあった。他にも、リコーダーのような木製の縦笛や、掌大の天使の木像など、西洋の影響を感じさせる物品も少ないながらあった。全体の展示物の量は膨大で、目玉の展示物はしっかりと見やすい位置に置いてあったが、一体誰がこんな所を見るのかと言う隅の棚に置いてある物品もあり、博物館は倉庫の役割りも与えられているらしかった。他の来館者達の流れや時間の都合を考えると、目玉展示物の前ですら時間を掛けて立ち止まることは難しく、私は一品一品の展示物を鑑賞するよりも、様々な展示物を通して当国の文化全般が、頭にどっと流入して来るような感覚になり、精神的に疲れた。それぐらい、強烈な文化的独創性を持つ博物館だった。

 アブディーン宮殿はオスマン帝国のエジプト総督やエジプト副王を務めたイスマーイール・パシャIsma'il Pashaが招いた西ヨーロッパの建築家や装飾家によって1874年に完成した建物で、政府の中央機関としての役割を経て、現在は完全に博物館となっていた。
 それは上空から見ると2個の長方形で、一方の長方形の左下の角と他方の右上の角が繋がっていて、両者共に中庭を有していた。外観は全体的にクリーム色の2階建てで、外壁は四角い石材を規則正しく積んで造られていた。ギリシャ建築を思わせる円柱とペディメントが出入口にあったが、内部はモスクになっているのであろうドーム型の屋根やミナレットもあり、建築様式はヨーロッパとイスラムが折衷になっていた。中庭には芝が敷かれており、椰子の木が複数伸びていて、大砲が置いてあり、イタリアの庭園を思わせた。

 建物内部は白壁で、来館者が歩く場所にレッド・カーペットが敷いてあり、豪華なシャンデリアが下がっていた。展示物は、膝丈の高さで金色の大砲のレプリカらしきもの、金色のバックルに埋め尽くされた黒いベルト、元々17世紀のロシア皇帝が所有していたが、ファールーク1世Farouk Iにより1948年にオークションで購入された、ルビーらしき宝石が数個乗せられた輝かしい金の鞘、1999年にサウジ・アラビアから贈られた数十もの銀色のミニチュア・モスク、銃、剣、コーランらしき本など、軍事的ナショナリズムが高揚されるようなものものしい物品が多かった。十代半ばらしき学生の集団、30人ほども来ていた。確かにこうした物品を若い頃から肯定的に見せられていたら、今のように戦争が多い中東が形成されるのも理解出来た。この他、白い陶器や、金色や銀色の皿、カンガルーに像やアフリカ系先住民の黒い木製オブジェもあった。赤い和服姿で鼓を持って踊る女性の日本人形も、何故か比較的目立つ場所に置いてあった。

 次回記事ではムハンマド・アリ・モスクとスルタン・ハサン・モスクを訪れた際の様子を書く。

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