“白く美しい町”テル・アビブinイスラエル
2023年8月7日
私は午前中にマサダと死海を見学し、宿を取っていたテル・アビブへ、バスで2時間弱かけて向かった。
テル・アビブはヘブライ語で“春の丘”を意味する事実上の首都で、イギリス統治下の1909年に建設され、1948年にはイスラエル独立宣言の場にもなった。因みに法律の上ではエルサレムが首都である。
街の都会的な景色はヨーロッパやアメリカとは違い、必要最低限の敷地に、必要最低限の大きさでビルや民家が建てられている感じが、新宿周辺のオフィス街や南関東の住宅街に似ていた。お握りの置かれたコンビニや、24時間営業のキオスクもあり、黒人や東洋人も珍しくなかった。


また、テル・アビブの町にはホワイト・シティと呼ばれる白い外壁の建物が多くあり、これらは“テル・アビブの白い都市–近代化運動”として世界遺産登録されていた。この1930年代初頭から1948年にかけて建設された建築物群は、スコットランド人都市計画家、パトリック・ゲデスPatrick Geddesの理論などを基にしたヨーロッパ人移民建築家達によるアプローチを体現しつつも、近代的独自性を保っており、物理的、経済的、社会的、人間的など多くの面で変化し続ける都会的ニーズに対応するようデザインされていた。
私はこれらの白い建物が集中するロスチャイルド通りRothschildへ行った。そこは繁華街の近くではあるが、大通りでもないオフィス街の並木道だった。白い建物はオフィス・ビルやホテルなどとして利用されており、その多くは角の多い作りで、その一部の外壁はアクセントとしてカーブを持っていた。どの建物も言われなければ、他の多くの建物に先んじて造られた建築物とは気付かないほど、実用的デザインで町に溶け込んでいた。この事実は、如何にこれらの白い建物以外の建物が、これらの白い建物の影響を受けて来たかを表していた。


私は徒歩で30分以上離れたユース・ホステルに荷物を置いて辺りを散策した。宿は屋根付きの市場に面しており、そこには飲食店もあった。イスラエルには肉料理が多い為、私はこの旅では今まで満足出来る食事を摂れていなかったが、この夜は唯一見付かったアジア料理屋で豆腐ロ・メインとコーラを夕食として飲食した。寿司も提供していたが、生魚のネタはサーモンしかなかったのでやめておいた。閉店間際、物乞いらしき中年白人男性が来て、東南アジア系の男性店員から、当たり前のように廃棄用の寿司をもらっていた。帰路では市場の棚に寝転がっていた猫に手を伸ばされた。この猫も魚のおこぼれを期待していたのだろうか。
テル・アビブは全てが足りず過ぎず、とてもいい雰囲気の町だった。


※“マサダ”、テル・アビブと“テル・アビブの白い都市–近代化運動”の歴史に関しては、ユネスコの世界遺産リスト参考
