中米旅行記5日目”親切なグアテマラの人々”キリグアinグアテマラ
2013年10月7日
朝6時、ホテルのそばのバス・ターミナルに行き、本日の目的地である世界遺産、キリグアの遺跡に移動すべく、北東へ向かうプエルトバリオス行きのバスに乗った。
4時間半ほどたった後、窓からスペイン語で「キリグアへようこそ」と書かれた看板を見て、乗り過ごしたことを知った。焦って次のバス停でバスを降り、一緒に降りた優しい白人ベースの混血とみられるおばさんに乗合いタクシーを拾ってもらい、キリグア最寄りのバス停で下車した。
辺りにはユナイテッド・フルーツ社のものであろうバナナ畑が地平線まで広がるだけで、こんなところに遺跡があるのだろうかと不安になった。だが乗合いタクシーの乗務員に聞いた方向に10分程歩くと、確かに2㎞先に遺跡があると看板に書かれていた。灼熱の中、地平線に向かって歩くのは心が折れそうになった。しかも車強盗が出るとの注意書きの看板まであり、心細くなった。
暫く歩くと警備員がいたので、あとどれくらい歩けば遺跡に着くか訊くと、5分だと言われて安心した。ところが5分以上歩くも着かないので、別な警備員に訊いたら、また5分と言われてがっかりした。グアテマラの警備員は5分歩けば何処にでも着くと思っているのだろうかと疑念が過った。

遺跡に着いた頃には、タクシー下車から1時間ほど経過していた。炭酸飲料と入場券を買って遺跡の敷地に入った。キリグアは400年代から800年代にあったコパンの衛星国家で、ヒスイやカカオの流通に重要な役割を果たしており、コパンに下克上を果たすも直後に衰退した歴史を持つ。遺跡はコパンより小規模だが、コパンのように城壁のような石段が敷地を縁取っており、その中心に数点の石柱やオブジェが置かれていた。石柱やオブジェにはコパン同様、王族が掘られていた他、ジャガーなど動物のモチーフも掘られていた。キューバ革命を起こしたアルゼンチン人革命家、チェ・ゲバラが“チェ・ゲバラ第2回AMERICA放浪日記(原題:Otra vez: El diario inedito del Segundo viaje por America Latina (1953-1956))”の84、85ページに書いた通り、石柱の彫刻はヒンドゥスタン文化を彷彿とさせ、仏陀に似た人物像の掘られたものもあった。また、1840年に探検家、ジョン・ロイド・ステーヴンスとフレデリック・キャザウッドに発見されるまで、10世紀もの間、ほぼ人目に付かず荒らされないで放置されていた為なのか、素人目にも解るほど石柱やオブジェの保存状態がよかった。自然も豊かで、マヤ文明にとって聖なる木であるセイバの巨木が生えていたり、鶏冠を持ったトカゲがいたりもした。人を寄せ付けない密林の奥で、このような素晴らしい場所を発見した探検家達はさぞ感動したことだろう。



遺跡を見終わった後は再び1時間歩いてバス停に戻った。炭酸飲料は既に灼熱でお湯になっていた。帰りのバスの乗車券を買うべくバス停近くの売店にて、先ほどの人とは別な白人ベースの混血の店員のおばさんに話しかけると、乗車券はバス会社のオフィスでしか買えないと言われた。面倒だと思いながら、再び乗合タクシーを拾ってもらいオフィスに来て、直ぐにチケットを買おうした。しかし、運悪く現地通貨が少しだけ不足していたので、オフィス横の銀行でドルを両替してバス代を作った。しかもおばさんはこの銀行まで着いて来てくれていた!
その後は乗車券を買って帰りのバスに乗り、脱水症状による吐き気をもよおしながら、複数回短く気絶しつつも、どうにかこうにかホテルに着いた。バス停と遺跡間、往復2時間の灼熱の中の徒歩と言い、バスの乗り継ぎと言い、我ながら今日はよく頑張ったと思ったので、ホテルに併設されているレストランで夕食を摂ることにした。
夕食には魚料理と炭酸飲料を頼んだ。魚料理は鮫のような味のする白身魚が二切れ、味付きのご飯、アボカドとトマトとレタスと玉葱のサラダ、トルティーヤにライムが付いたものだった。前菜には塩を添えられたレタスと人参の酢の物まで出てきて豪華だった。トルティーヤは固かったが、他は全てすごく美味しかった。特にライムの果汁をかけた魚をご飯に乗せて食べるのが最高だった。食事中は楽器隊がキーボードを弾きながら歌ってくれ、素敵な夜だった。

食後は、大学で観光業を学んでいるという19歳のホテルマンに付き添われて、近所のATMでお金を降ろした後、パインジュースを部屋で飲み、本日の活動を終えた。
今日は特に人に助けられることが多かった。グアテマラ入国前は危険な国だと前評判を聞いていたが、嬉しい期待外れだ。彼等としては私が助けを求めたから応じてくれただけなのだろうが、グアテマラの人々は特別優しい気がした。
