“バハーイー教の聖地で学ぶその寛容な教え” ハイファinイスラエル
2023年8月10日
この日は午前中に“ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群”を、午後に“アッコ旧市街”を訪れる予定で、両者とも世界遺産登録されていた。
前者は19世紀にバーブ教Babismを前進としてバハーイー教Baháʼíを創始したイラン人、バハオラBahā' Allāh所縁の地、ハイファのバーブ廟Bábとアッコのバハオラ廟Bahá’u’lláh、及び両者周辺の庭園や建築物からなっている。この宗教には500万人の信者がおり、毎年世界中から両地には数万人が巡礼に来ていた。
バーブ廟はバハーイー庭園の敷地内に纏まっているのだが、無料のツアーでしか入ることが出来ない為、私はネット予約していたツアーに参加すべく8時半に宿を出た。敷地は町を見下ろせる傾斜に沿っており、ツアーの集合場所は傾斜の頂上だったので、私は敷地外の住宅街にある蛇行した道を歩いて登った。暑い中、坂道を登るのは中々大変で、時間に余裕を持って宿を出たつもりが、結局集合場所に到着したのは、集合時間10分前の9時40分だった。
ツアーにはドイツ、アメリカ、日本、中国などから主に30代らしき参加者達、30人ほどが集まり、二人のガイドによって二手に分かれて行われた。私はとても慣れた初老の男性ガイドに先導された。

庭園中央には斜面側に向かって開いた幅30mほどの扇形の段が6段あり、各段には白い手摺、薄橙色の床、花壇が付いていてた。これらの段は、手摺に芝を生やし、両脇を樅のような並木に挟まれた白い階段によって、上下の段と繋がれていた。園の敷地はこうした段や階段、建築物がある場所を除き大半が芝で覆われていて、椰子や円形の仙人掌、薔薇の花のような仙人掌などの鑑賞用熱帯植物が点在していた。ガイドによると、これら植物は国外から来た信者の庭師によってボランティアで世話をされていて、年に4回も花が咲くのだと言う。そして最上段の奥には、金色のドーム型の屋根と白い八角柱の土台を持った、白い円柱形の教会が建っており、その先には短く町を挟んで海が広がっていた。こうした園の造りは視覚的に独創的でとても美しかったが、私はそれと同じくらい、独創的なこの宗教の教えに魅力を感じた。それと言うのはガイド曰く、下記の通りである。



世界で信仰されている全ての神は真実且つ唯一であり、多種の神々がいるように感じられるのは、神が時代に合わせた形で現れるからである。また、人々のユニティunityが大切であり、それによって世界は一つになる。その為、バハーイー教には権利者も教会もなく、集会はあるがその参加は強制されることがない。他には、イスラエルにはバハーイー教のコミュニティはあってならない、バーブ廟への巡礼は一生に一度で十分である、政府や団体による寄付を受けてはならない、バーブ廟では水などなにも売ってはならない、15歳にならないと入信出来ない、1年に19ヶ月ある暦を採用する、既に美しい建築は世界に存在しているからバハーイー教の為に新たな建築様式を生み出す必要はないなども教えられていた。
私はこのあらゆる宗教に理解を示す柔軟性と、分別の分かる年齢にならないと入信させない道徳観、権威や強制と言ったバビロン的力を否定する姿勢が、世界で争いを起こしている排他的な一部宗教と異なるように感じられ、共感出来た。
教会の傍には、正面からは二等辺三角形に見える屋根を持ち、周囲を白い円柱で囲まれた直方体の書物庫があった。この建築様式はとてもギリシャ的で、前述の新たな建築様式を生み出す必要はないとの教えを体現していた。

教会の内部には、礼拝室もあった。それは白い二つの部屋からなり、両部屋を仕切る壁は高さ幅共に2、3mの鈴形の穴によって貫通されていて、幾何学模様の描かれた茶色いトーンの絨毯が二部屋に跨って敷かれていた。この穴があることにより、礼拝者は出入口側の部屋にいながら、もう一方の部屋にある花が入れられた白い花瓶に向かって祈りを捧げられるようになっていた。
こうしてバーブ廟の見学を終えてからは、宿の方向へ約20分あるいてハイファ駅に行き、ミックス・ベリーソーダで喉を潤し、そこから凡そ30分かけてアクレAcreの町を訪れた。その様子はまた次回の記事で書くことにする。
※“ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群”の歴史に関しては、下記ユネスコの世界遺産リスト参考
