“キリスト生誕の地へ”ベツレヘムinパレスチナ
2023年8月6日
前記事通り、私はエルサレムから日帰りでパレスチナのベツレヘムを訪れ、ツアーで当地の名所を回っていた。前記事では当地で見たバンクシーの絵を中心に書いたが、当記事では当地で訪問したキリスト教関連施設に関して書いて行く。これら施設は世界遺産、“イエス生誕の地 : ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路”の構成遺産であった。
当遺産は、キリスト生誕の地、聖誕教会Church of the Nativityを最終目的地とした、アルメニアやフランシスコ会にギリシャ正教の修道院、鐘楼、段々畑を含むエルサレムからの巡礼路の一部からなっており、この巡礼路は1700年間にも渡って多くのキリスト教徒達を集めて来た。
絵を除くと最初に訪れた羊飼いの野の教会は、羊飼いが御使いからキリスト生誕を告げられたとされる場所に建っていた。教会は何世紀もこの地にあったが、現存する建物はイスラム教徒達などによる破壊や略奪の末、19世紀に再建されたものだった。高さ10mに満たないような六角柱の建物で、上には掌大の円形窓が何個も開いた白いドーム型屋根が、その上には小塔のような黒い骨組みが、更に上には黒い十字架が乗っていた。また、六角柱の各四方には、六角柱の1/3の太さで、六角柱より若干背の低い四角柱が埋め込まれていた。外壁は淡い黄土色の煉瓦で出来ていた。出入り口として六角柱に空けられた縦長の長方形の穴の上では、外壁に黒い天使像が張り付けられていた。

内部は光沢のある白い石材で出来ており、中心にはカナダ国旗が描かれた同様の石製のテーブルが置かれていた。天井付近には、雲の上から天使が見守る中、数名と人々の動物達に囲まれて、赤ん坊のキリストを抱き抱えるマリアと言う、美しくはあるが極定番の絵が描かれていた。


聖誕教会は上空から見ると十字になった典型的なバシリカ式で、外壁は白い石垣で造られていた。内部の身廊左右では、焦げ茶色い円柱約10本が奥の礼拝堂へと向かって続いており、これら円柱の上に乗った白い壁には、植物や聖人を描いたビザンツ様式の粗いモザイク画が埋め込まれていた。天井は焦げ茶色の木製の骨組みが剥き出しで、中南米の教会を思い起こさせた。礼拝堂には、宗教的肖像画が埋め込まれた金色の板数枚が数枚横並びになっており、それらは大きさ別に下から大中小の順で縦3段組まれていた。各板の肖像画を囲む部分に施された細かい植物モチーフの浮彫は、見ていると目がちかちかして来るほどの輝きと細かさで、ここにはローマの影響を感じた。この教会は6世紀に再建されたものだが、白い正方形の細かいタイルが敷き詰められた床の一部だけは、339年の創設当時のまま残っていた。



次いでオリーブの木像制作工房を訪れた。建物の造りは民家と変わりなく、中にはオリーブの丸太が山積みにされており、高さ15㎝ほどの宗教的人物像が何体もびっしりと本棚に置かれていた。オリーブが食用以内にも、このようにして活用させるとは知らなかった。

更に次にミルク・グロットを訪れた。これは横倒しにした五角形に近い形の建物で、白い石材を煉瓦のように積んだ造りの外壁を持っていた。内部は高さ15mほどの縦長の洞窟になっており、階段で下まで降りることが出来た。この洞窟はエジプトへ脱出する前、マリアがキリストと隠れていた場所とされていた。また、彼女の母乳が落ちると、床が白く変色したと言う伝説も残っていた。洞窟の一番下には、白く平らな石材が敷かれており、下部に白い薔薇が這ったテーブルと、マリア像が置いてあって、礼拝出来るようになっていた。

これら3棟の宗教建築物は、今まで私が見て来たキリスト教系宗教建築物、特に西欧のものと比較すると、決して技術的にも芸術的にも進んだものではなかった。それ故、私はこれら3棟が建っていた場所の重要性への理解が、ベツレヘムの土地から何かを学び取るに際して必要かと思われたが、私はそれを十分に持っていなかったように感じた。だが、このような乾燥した砂漠に近いような場所で生まれた宗教が、全く異なる気候を持つ雪深い西欧で花開いたことは、とても興味深い事実だと思った。それに、これら3棟に関して、バンクシーの絵の時とは打って変わり、パレスチナ人のタクシー運転手が何も説明しなかったことも興味深かった。
運転手は名所回りの最後に、私と現地で知り合い同行していた日本人男性2人に、イスラエルが建てた壁の前で写真撮影するよう勧めた。この壁はイスラエル人とパレスチナ人の居住区を嘗て隔てていたものである。壁にはパレスチナを支持する絵や言葉が沢山書いてあったが、これらを書いた人達はパレスチナのテロリスト的側面をどう捉えているのだろうか。運転手に非はないが、観光客としてこんなツアーを受けたら、しっかりと自分の思想のない人達は、パレスチナの正当性を盲信するのではないか。

以上で私達3人はベツレヘムの見学を終了し、バスでエルサレムに戻り、解散した。帰路の車窓からは世界遺産、“オリーブとワインの地パレスチナ–エルサレム地方南部バティールの文化的景観”の一部であるオリーブ畑が見えた。畑は盆地の斜面に沿った石積みの段々畑だった。水路網が行き交うスペースを確保した為なのか、オリーブの木々は乾燥した草地に、点々と生えているように見えた。
当遺産はエルサレムの南西、ナブルスNablusとヘブロンHebronの間の中央高原地帯に位置する丘陵景観であり、石段を持つ耕作された渓谷、ウィディアンWidianで構成されていた。その一部は市場向け商品の生産の為に灌漑されており、その他の乾燥した土地には、葡萄やオリーブの木が植えられていた。この農地は地下水を使った灌漑水路網によって維持されており、集められた水はバティール村Battirの住民達の間で伝統的に分配されていた。

エルサレムに戻ると、私は売店にてBLUDAYと言う見たことのないエナジー・ドリンクを買って飲んだ。まだ夜まで時間に余裕があったので、昨日行けなかった岩のドームと、地下のエルサレム神殿跡に行くことにした。
※“イエス生誕の地 : ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路”の歴史と“オリーブとワインの地パレスチナ–エルサレム地方南部バティールの文化的景観”の歴史に関しては、ユネスコの世界遺産リスト参考。他施設の歴史に関しては、各施設の説明書き参照。
※2026年3月12日追記 ベツレヘムでは、タクシー運転手と金額交渉をしなければいけなかった上、路上で女性と子供を全く見かけなかったので、当地は西洋的だったイスラエル人居住区とは、地理的に近くとも全く異なる文化を持っていることが体感出来た。
