ドイツ、ムスカウ公園: ムスカウ伯爵の夢の跡
2025年7月7日
この日はムスカウ公園の名で世界遺産登録されている、ムスカウ公園Fürst-Pückler-Park Bad Muskauに行く予定だった。
当園は1815年から1844年に架けて貴族、ヘルマン・フォン・ピュックラー・ムスカウ伯爵Hermann von Puckler-Muskauによって造られた公園で、ドイツとポーランドの国境であるナイセ川Lausitzer Neißeの両岸、559.9haに渡って広がっている。彼は当園を近隣の町、バド・ムスカウBad Muskauまで拡張することにより、自然と町の統合的デザインを成立させた。また同時に彼は、地元の植物を用いて既存の景観の本来の美しさを高めることも目指しており、この両姿勢はヨーロッパの他所やアメリカにも影響を及ぼした。尚、弟子のエドゥアルド・ペッツオルトEduard Petzoldも造園に大きく貢献した。
この日は引き続き何故か定期が使えない為、ネットで購入したザクセン州内の電車の一日券を使って移動したのだが、平日はその使用開始可能時刻が9時なので、私は9時前までドレスデンの宿で寝転がって時間を潰した。9時前になると、私は電車でドレスデンを発ち、10時33分にゲルリッツGörlitzに着いた。次いで10分後に乗り換え、11時20分にヴァイスヴァサーWeißwasserに着き、そこからバスに約30分揺られ、公園最寄りのバス停、キルヒェプラッツKircheplatzで下車した。バス停の周りはド田舎の森と言った雰囲気で、少数の集合住宅や公園来園者をターゲットとしているのであろう小さな宿にカフェがあったが、繁盛しているようには見えなかった。
公園はバス停から歩いて直ぐの場所にあり、何時でも入場無料で入れるようになっていた。園内には剥き出しの白い砂地が歩道として通っていて、その両脇には芝があり、更にその周りには10mを越える高さの青々とした木々が生い茂っていたり、小川が流れていたりした。当園ではこのように人工物である歩道を自然に紛れ込ませるような手法が採用されている上、周囲の森と公園の境が分かりにくいので、当園のデザインはまるで人間界と自然界の境目を曖昧にしてしまう魔法のようであり、私はその魔法に掛かって受けた慣れない感覚に不思議さを覚えた。

園内には少数ながら建築物があり、私は博物館になっていたムスカウ城Schloss Muskauを訪れた。当城はS字型の池の上部湾曲部内側に位置しており、上空から見たとしたらヒの字型になる造りだった。建物は4階建てで、最上階は黒く軒天のない切妻屋根に覆われていた。他の階の外壁は明るい臙脂色で、各階に等間隔で並んだ格子窓の周りや、各階の間、建物の角など一部が白かった。それにヒの字の各横線の縦線と接する部分には、同じ色使いの円柱の塔がそれぞれ立っており、各塔には中心に小塔が付いた黒いドーム型屋根が乗っていた。この臙脂色と白の色使いは、建物全体に大きなケーキのような童話的印象を与えていた。


内部は木の床に白壁があるだけで特徴のない見た目だったが、そこに置かれていたパネルに書かれた王子の人生には感動した。曰く、彼は幼少期に親と馬が合わず、地主としての資産を利用して、イギリスやエジプト、パレスチナ、スーダンなど様々な国を旅し、その経験を造園に反映させた。私は親との不和と旅好きであったと言う二点において彼に自身を重ね、自分も大人物になった気になった。
併せて、彼は画家がキャンパスに自身の思い描くイメージを描くような感覚で、自身の思い描くイメージを園内に再現したと言うことも、私の心に残った。このことは私に造園もアート・フォームの一種なのであると言うことを気付かせてくれた。芸術家は庭師、小説家、舞台演出家など多種いるのに、世界中で画家が特に持て囃されるのは、絵が複製や写真を通して多くの人々の目に留まることが出来る拡散され易いアート・フォームである上、短時間で鑑賞可能であるからに過ぎず、決して画家が他種の芸術家達に対して優位性がある訳ではない。だが、庭園は鑑賞者が実際にその場に足を運ばなければならないと言う大きな制約があるとは言え、絵や音楽とは違い、特定の感覚器官のみならず五感で鑑賞者に感動を与えると言う素晴らしい特性を持つ。それなのに庭園芸術は世間から余りにも軽視されてはいないだろうか。

因みに彼はマクブバMachbubaと言う少女をエジプトで奴隷として購入し、一緒に旅した後、彼女が病死するまで一緒に城で数年間暮らした。当時はヨーロッパ人がアフリカから奴隷を購入することは当たり前だったと言う。私は彼ら二人の間にはきっと、夏目漱石著、“坊ちゃん”に描かれた主人公と清にも似た人間愛があったのではないかと察する。
15時頃、私は園内のレストランで果実入り林檎ジェラートを買って食べた。半日以上食事を摂っていなかったので、何か腹に入れて置こうと思って食べただけだったが、新鮮な味がして意外にも美味しかった。

帰りはバスでヴァイスヴァサーに戻るも、そこから誤って帰路と逆方向へ1駅分電車に乗ってしまい、リエッチェンRietschenから本来乗るべきであったコットゥブスCottubus方面行きの電車に乗り換えた。それから私はコットゥブスからライプツィヒ行きの電車に乗り換える予定であったが、電車内で係員からコットゥブスはザクセン州内ではないと指摘され、私はヴァイスヴァサーで下車し、そこからゲルリッツとドレスデンで乗り換えてライプツィヒに到着した。時間は21時頃になっており、私はバーガー・キングで夕食にベジ・バーガーとポテトとコーラのセットを食べ、22時の閉店後、駅内のベンチで読書をして時間を潰した。予定時刻の23時59分から10分ほど遅れてバスは駅横のバス・ターミナルに到着し、これまた予定時刻の翌日6時45分から30分以上遅れでデュッセルドルフに到着した。
