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中米旅行記7日目”地味な遺跡と居心地のいい宿”ホヤ・デ・セレンinエル・サルバドル

2013年10月9日
 8時に食卓に行くと、家政婦のおばさんが朝食を用意してくれた。食パン、苺ジャムにバター、オレンジジュースとコーヒー、それと苺とパパイヤとバナナとキウイをカットしてうつわに入れたものだった。果物は量があり、目が覚めるほど新鮮だった。 

 朝食後はオーナーがGoogle Mapsを見ながら観光地をいくつか紹介してくれ、中でも特に港を勧めてくれたので明日行ってみることにした。今日は北西にある世界遺産の遺跡、ホヤ・デ・セレンに行く予定なのだ。ホヤ・デ・セレンとは6世紀に形成された農耕集落だが、世紀を跨ぐことなく火山灰に侵食されていた。以来、集落は長い間隠れていたが、1976年の工事中に発見されてから、内戦による休止を挟みつつも今日まで発掘調査が行われていた。 私はデコトラのような派手なバスが並ぶバス・ターミナルへ徒歩20分ほどかけて行き、オピコ方面行きのバスで出発した。サン・サルバドルは高層ビルこそ少ないものの、アンティグアやコパンに比べて遥かに沢山に人がいた。心なしかエル・サルバドル人は、グアテマラ人よりせかせかしいているように見えた。バス代は1ドルを出しても釣りが返ってくるほどの破格だった。グアテマラのタクシーの料金は日本と変わりなかったのに不思議である。また、グアテマラの道路が緑溢れる山やプランテーションの中を通っていたのに対し、エル・サルバドルの道路は砂埃が舞う荒野を貫いていた。
 1時間ほどでホヤ・デ・セレンに到着し、私は3ドルと言うこれまた安い入場料を払って遺跡の見学を始めた。セレンは地名で、ホヤ・デ・セレンとはスペイン語で”セレンの宝石”という意味であるが、茶色い火山灰を被った建物の土台だけが残った状態の遺跡は、とても地味だった。歴史的背景を知っていてこそ、思い思いに農業を行って日々を過ごしていた昔の集落の住民達に想いを馳せることが出来るが、なんの前情報もなくここを訪れていたら、私もきっと「なんだこれ?」と思っただろう。

 見学を終えた後は、帰路でばてないよう、売店でペプシを飲んだ。化粧をした女性の顔?が描かれた独特のパッケージだった。それから行きと逆の道程で宿に戻った

 そして部屋で休んだ後、夜にはオーナーと彼の奥さんが伝統料理を出してくれた。それは餅のように柔らかくて厚いトルティーヤ生地に、チーズと豆を練りこんだようなものだった。それに乗せる人参と大根のような野菜の千切りの酢の物と、サルサ・ソースが添えられていた。さらに現地の缶ビールも出してくれた。トルティーヤのような料理の方は酒の肴に最適だったが、ビールが水っぽくて美味しくないのが非常に惜しかった。機会があれば是非、日本のビールを飲みながら食べたい。因みに宿の名前、ドーニャ・マルタは彼の母の名前に由来すると彼が教えてくれた。食後はオーナーの提案で彼とのツーショット写真を奥さんに撮ってもらった。

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