見出し画像

中米旅行記21日目“大航海時代の名残”ポルト・ベロinパナマ

2013年10月23日
 パナマ・シティの宿にて朝8時に目を覚まし、ホットケーキと子供用のコーヒーを朝食に摂って、9時過ぎにタクシーで国営のバス停に来た。そこからバスに乗り、ホテルの経営者の女性に聞いた情報を参考に、迷いながら2回バスを乗り継いで本日の目的地である北方の港町兼国立公園、ポルト・ベロPortobeloへ向かった。当地は“パナマのカリブ海側の要塞群:ポルト・ベロとサン・ロレンソ”の構成遺産として、世界遺産登録されていた。
 乗り換え地点であるパナマ運河直ぐそばのバス・ターミナルで黒人の初老男性にポルト・ベロへの行き方を訊いたら、教えてくれた見返りにチップを要求して来た。恐らく彼が特に金銭的にがめつい人間であると言うことではなく、インドで時折見られるように文化的に当たり前のこととしてチップを求めたのであろうが、初めてのことだったので少し面食らった。私は2~3ドル相当のチップを渡すと、彼は引っ手繰られないよう財布はしっかりと持つよう助言をくれたが、私は中南米において引っ手繰りや掏りの懸念をしなくていい場所なんてあるのだろうかと思った。
 バスは道中で沢山の乗客達を乗せたり降ろしたりしながら異常にゆっくり山道を走っていた上、途中で雨も降り出した為、本当に着くのか不安だったがポルト・ベロは突然あった。
 ポルト・ベロはスペイン軍下でイタリア人、バウティスタ・アントネッリBautista Antonelliによって1586年に作られた町で、パナマ横断に使われたチャグレス川Río Chagresを守る為、主として17世紀から18世紀までに準備された要塞を残す。この軍事施設は、1739年11月22日にスペイン対イギリスの戦い、ポルト・ベロの海戦に使われた。また当地は、メキシコのベラクルス、コロンビアのカルタヘナ、キューバのハバナとの間で国家間の貿易ルートも形成していた。
 しかし1671年にパナマ・ビエホ同様、イギリス人の海賊、ヘンリー・モーガンHenry Morganの襲撃を受けた上、戦争もない今日において重要性を失った当地は、人口数千人の小さな集落と化していた。加え、要塞は元々軍事上、自然の風景に馴染むようにデザインされていた為、その歴史的価値を知らなければよくある要塞の一つとして見落としてしまいそうなくらい地味なものだった。要塞は2mほどの高さで海岸線沿って作られた城壁のような造りだった。

 とは言え要塞に限らず言えば、周囲の教会や嘗ての税関の建物、大砲は植民地時代の雰囲気を今に伝えており、興味深かった。濃いクリーム色で半円型の屋根を被った塔を左側面に付けた白い聖ヨハネ教会は、外部装飾が皆無で、ステンド・グラスのデザインもあってないようなものであり、技術に乏しい植民当初の新世界で造られた感を出していた。内部も白壁であり、内屋根は木造船の船底をひっくり返した様な木材剝き出しの造りで、四角いテントの骨組みのような背が高く茶色い木材が下からその屋根を支えていた。当地の自然の木々を生かした造りである。キリスト像は黒人住民が多い為か、黒い肌をしていた。この像は17世紀にスペインの船で運ばれて来たが、その船がこの像を持って出港しようとする旅に嵐が起きる為、遂に像は当地に置き去りにされたと言う伝説がある。そしてこの像を崇拝していたアフリカ系プエルト・リコ人サルサ歌手、イスマエル・リベラIsmael Riveraは1974年にこの像を題材とした曲、El Nazarenoを発表しており、教会そばには彼の銅像が立っていた。

 税関の建物は、赤い瓦屋根を被り白く色褪せた赤煉瓦で出来ており、2階建てで典型的なコロニアル様式の木製テラスが備え付けられていた。内部は博物館になっていたが、展示資料の多くは当地の歴史が書かれたパネルであり、余り充実しているとは思えなかった。

 大砲は数十余りがなんの保護や柵もなく、ポンと無造作に地面に置かれていたが、この状態でも盗まれないのは同じ途上国と言えどもパナマとアフリカの多くの国との違いだろう。途上国や第三世界と言う雑多な括りによって、アフリカとラテン・アメリカは同列に並べられがちだが、私には全く違って見える。
 その後、私は昼過ぎにポルト・ベロをバスで発ち、別なバスとタクシーを乗り継いでパナマ・シティの宿へ戻った。それから21時にタクシーで宿からトクメン空港へ移動し、カラカスへ飛んで南米大陸へと旅を続けたが、その旅に関しては別の機会に書くことにする。

 この中米旅行では、グアテマラ、ホンジュラス、エル・サルバドル、ニカラグア、コス・タリカ、パナマの6ヶ国を回ったが、グアテマラとホンジュラスからはインディオの文化を、エル・サルバドルからは海のよさを、ニカラグアからは山のよさを、コス・タリカからは密林のよさを、パナマからは植民地時代の西洋文化を、それぞれ特に感じることが出来たように思う。この旅が行われた当時、唯一の英語圏であるが故に交通の便が悪かったベリーズをスキップしてしまったことが心残りではあったが、この旅及び続く南米旅行は私のものの見方を多少なりとも変えるほど意味のあるものであった。
※参考資料
ポルト・ベロの歴史に関して
UNESCO World Heritage Centre. (n.d.). Fortifications on the Caribbean side of Panama: Portobelo-San Lorenzo. https://whc.unesco.org/en/list/135/
Smith, R. (2012, December 7). In search of pirates in Panama. BBC. https://www.bbc.com/travel/story/20121129-in-search-of-pirates-in-panama
キリスト像の伝説に関して
Johnson, S. K. (2019, October 10). Panama celebrates its Black Christ, part of protest against colonialism and slavery. The Conversation. https://theconversation.com/panama-celebrates-its-black-christ-part-of-protest-against-colonialism-and-slavery-122171

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集