“ユダヤ人最後の砦”マサダinイスラエル
2023年8月7日
今日はエルサレムを出発し、世界遺産の“マサダ”Masadaと死海を訪れてからテル・アビブの宿に向かう予定だった。
マサダは死海西岸の砂漠地帯に立つ高さ約400mの台地に位置するローマ様式の軍事施設で、紀元前37年から紀元前4年に在位していたユダヤ王、ヘロデHerodによって建設され、西暦66年から落城の73年まで第一回対ローマ反乱時にユダヤ人達が砦として利用した。彼等はローマの奴隷になるより、ここで戦死することを選んだのだ。この考え方は白虎隊を連想させる。また、当地は6 世紀のビザンツ帝国の修道院解体後、その厳しい気候を理由に、1828 年の再発見まで13世紀も放置されていた為、給水システム、軍営、包囲網、敷地を取り囲む傾斜、軍団要塞などのネットワークが同時代のローマ様式の建築物の中でも、稀に見る良好な状態で保存されていた。
私は宿の受付の男性に行き方を教えてもらい、トラムで中央バス・ターミナルへ行き、そこの券売所で約10ユーロ相当のバスの一日乗車券を買い、本日の目的地、マサダへと向かうバスに乗り込んだ。彼の話すネイティブ・レベルのアメリカ英語と、自信に満ちた態度、白髪で高齢ながらもがっしりとした体付きは、彼がアメリカで生活をしたことがあるのだろうことを物語っていた。バスは定員ギリギリで、座席は全て埋まっていた為、途中で下車する客が出るまで、私はマサダまで約2時間の移動の半分以上を床に座って過ごした。砂漠の道は平らでないし、暑かったので、立ち続けることは、マサダを散策する体力を温存する為に避けたかったのだ。
バスから降りると、そこには茶色いグランド・キャニオンを黄土色に変えたような広大な砂漠の景色が視界一杯に広がっており、巨大な砂岩が何本もそびえていた。土地は乾いていて、日差しも強く、気温も暑かった。こんな気候的悪条件の中でもユダヤ人達が数年間戦っていたことを思うと、彼等の誇り高さを感じた。
私は売店で大きなペットボトルの水を買い、往復20ユーロもするリフトで軍事施設の建っている巨大な砂岩の一つに上った。


砂岩頂上部はダイヤ型の土地になっており、その縁を壁が囲っていて、多くの部屋は一角に集中していた。これらの部屋の壁は、黄土色の不規則な形の砂岩を煉瓦状に詰み、隙間を小石で埋めて作られていた。この壁を見れば施設がどのように部屋毎仕切られていたかが分かったが、施設自体が余りに朽ちていたので、説明パネルなしでは食糧庫、武器庫、風呂場、シナゴーグ、鳥用の檻、投石台など、各部屋の役割りは全く推測することが出来なかった。だが数部屋だけは屋根を残しており、それは石畳のようなしっかりとした足場を有していて、上に乗ることが出来た。蛇行しながら砂岩の頂上から麓へと這う、雨水の排水用水路も確認することが出来た。説明パネルには砦を修道院に転用していた6世紀のビザンツ帝国の修道士達に関しても書かれていた。曰く、彼等は当地が持つ静けさが、自分達を神のもとへと近付けると思っていた。確かに目を眼下に向けると、如何に当地が砂漠によって他所から残酷なまでに隔離されているかを思い知ることが出来た。地平線の近くには死海も見えた。




次回の記事ではこの死海に関して書いて行く。
※“マサダ”の歴史に関しては、ユネスコの世界遺産リスト参考
