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きさらぎ駅の女(約3200字:短編小説)

「きさらぎ駅って、知ってます?」

 初対面の彼女がそんな話を切り出したのは、ほんの数十分前のことだった。


 職場から最寄駅に着くと、電光掲示板には「遅延」の赤い文字が点滅していた。何かトラブルがあったらしいが、詳細はわからない。

「運行再開までしばらくお待ちください」というアナウンスが、ホームに冷たく響く。

 夜も遅く、ホームには人影がまばらだ。昼間はあんなに暑かったのに、今は冷やりとした空気が吹き抜ける。

ため息をこぼし、吸い寄せられるように近くのベンチに腰を下ろした。

 今日は仕事でトラブル続き。なんとか終電前に帰れると思った矢先だった。座ると、疲労が一気に押し寄せる。

 ベンチに沈み込むようにまどろんでいると、視界の端を誰かが横切った。 そのすぐ後に、隣から小さなため息がこぼれる。

 顔を向けると、ひとつ隣の席に、同世代くらいの女性が座っていた。

 ゆるやかに巻かれた茶色の髪が肩口で静かに揺れ、そばには大ぶりなブランドバッグ。

グレーのパンツスーツは肩のラインがきっちりとしていて、今ではめずらしい三つボタンのジャケットだ。

クラシカルな仕立てながら古さは感じられず、むしろ洗練された印象を漂わせていた。

 彼女を知らないはずなのに——なぜか、どこかで会ったことがある気がした。

既視感に戸惑いながら見つめていると、ふいに目が合った。気まずさをごまかすように、どちらからともなく小さく笑った。

「この時間はちょっと寒いですね」と私が言うと、彼女は微笑み、「ほんと、電車遅れるし最悪ですよね」と軽やかに返した。

 そんな他愛もない世間話がきっかけで、私たちは言葉を交わし始めた。


 ふと私が今夜楽しみにしていたテレビ番組を見逃したとこぼすと、彼女が「私もああいう不思議な話、好きなんです」と目を輝かせた。

「ネットで話題になった変な話とか、つい見ちゃうんですよね」

 彼女はそっと声を潜め、まるで秘密を打ち明けるように言う。

「たとえば、知らない駅に着いちゃう話とか……。ほら、『きさらぎ駅』って、知ってます?」

 私は身を乗り出すようにして答える。

「ああ、ネットの掲示板のやつですよね? 知らない無人駅に降りて、行方知れずになったって話だったような……」


 確か、「はすみ」と名乗る人物の話だったはずだ。夜遅く、電車が止まった先は『きさらぎ駅』という名の無人駅。

彼女は次々と奇妙な出来事に遭遇しながら、リアルタイムでネット掲示板に自身の状況を書き込んでいった。

 はすみは通りがかった車に乗せてもらったものの、運転手が怪しいから降りると書き込んだ。

携帯の充電が切れるから、これで最後――そうして書き込みはぷつりと途絶えた。ネット掲示板を騒がせ、映画にまでなった都市伝説だ。


「そうそう! 最近、また流行ってるみたいで」

 楽しそうに話す彼女の声には、どこか懐かしむような響きがあった。

「再現ドラマもやってましたよね。作り話だとしても、妙にリアルで……本当だとは思えないですけど」

 私が言うと、彼女はうんうんと嬉しそうに頷く。

「わかる! 凝りすぎてるっていうか……数年後の生還報告も、もし本人なら、タイミングが変でしょ?」と、一瞬だけ険しい顔をして、ふっと緩める。

「今ならきっと、SNSとかですぐ実況しちゃうよね」

 彼女はクスクスと笑った。

 私たちは、自分たちならどう実況するかをあれこれ語り合った。



「今なら動画もすぐ配信できるもんね」と私が言うと、彼女は「そうそう」と、どこか遠くを見るように目を細めた。

「でも、掲示板っていうのも悪くなかったよね。ああいう場だから、みんな夢中になって盛り上がったのかも」

 その言葉には、時代そのものを懐かしむような穏やかさがあった。

「ねぇ、はすみって、本当に『きさらぎ駅』に行ったと思う?」

 彼女は試すような笑みで、私の目をまっすぐ見つめた。

「……あなたなら、『きさらぎ駅』が本当にあったって、どう証明する?」

 私は軽く冗談めかして答えかけた――けれど、その目の奥に、かすかに縋るような気配を感じて、言葉を飲み込んだ。

「……そうだね。証明するなら、写真とか動画が一番分かりやすいよね。でも、当時の携帯じゃ、暗い場所はまともに撮れなかっただろうし……」

 機種にもよるけれど、写真も動画も撮ることはできた。でも、今とは比べ物にならない画質だ。昔、夏祭りの夜に写真を撮ろうとして、結局諦めたことを思い出す。

「そうなんだよね……今なら暗いところでも撮影できるし、音だって、もっときれいに録音できるだろうし。まあ、そもそも携帯の充電がなかったんだっけ……」

彼女はすっと笑みを収め、線路を見つめる。

「……そう。充電が切れたんだよね……」

 まるで、自分のことを語っているような——そんな静かな声だった。


 冷たい風が、私たちの間をすり抜けていく。照明が少し暗くなったように感じた。――そのとき、遠くから電車の音が低く響いてきた。

 驚いて頭上を見る。電光掲示板には「遅延」の赤い文字が点滅したままだ。

考える間もなく、電車がホームに滑り込む。プシューっと音を立てて扉が開いた。

 真っ暗なホームに、車内の蛍光灯が青白く浮いているように見えた。胸騒ぎがして、私はホームに立ち尽くす。


「乗らないの?」

 彼女は首を傾げ、不思議そうに私を見た。

「あ……職場に忘れ物しちゃって……戻らなくっちゃ」

 嘘だった。なんとなく、断らなければと感じた。

「そっか……じゃあ、私は行くね」

 彼女は微笑み、電車に乗り込む。後ろめたい気持ちと、どこか名残惜しそうな後ろ姿に、私は思わず声をあげた。


「……行ったと思うよ!」

 彼女は目を丸くし、驚いたように振り返る。

「私――はすみは、本当に『きさらぎ駅』に行ったんだと思う!」

 彼女はぽかんと口をあけ、そして「フフフっ」と嬉しそうに笑った。閉まりかけた扉の向こう、彼女は手を振りながら静かに口を動かす。

「――ありがとう」

 そう、言ったように見えた。


 動き出した電車を見送る。そのとき初めて、電車の行き先表示が真っ暗なことに気づいた。ハッとして電車を追いかける。

 遠ざかる窓の向こうで、彼女がバッグから何かを取り出した。 その動作が、妙にゆっくりで――それが何か、はっきりと見えてしまった。

「え?」

 見えた何かを理解した瞬間、背筋に冷たいものが走った。電車はみるみる遠ざかる。

 一瞬だけ後尾灯が揺らいだように見え、そうして――闇の中に溶けるように消えていった。


 ホームは静まり返っている。私は電車が去った方向をじっと見つめたまま、身動きできずにいた。

チカチカと揺らぐ照明の下で、自分の心臓の音だけがやけに大きく響いていた。

「あれ?先輩、まだ駅にいたんすか?」

 聞き覚えのある声で我に返る。振り返ると、見知った顔があった。

職場の後輩である。 走ってきたのか、彼は息を切らしている様子だった。

「あ! 電車止まってたんすね……あれ? でも、さっき電車が見えた気がして走ってきたんすけど……」

「ねぇ」

 困惑する彼に、私は努めて明るい声で尋ねた。

「ちょっと変なこと聞くけど……ガラケーって、知ってる?」

「はぁ、昔のパカパカ携帯っすよね?」

 不思議そうな顔をしながらも、彼は開閉するジェスチャーをしてみせる。

「……今時使ってる人、見たことある?」

 まだ、心臓の音は鳴りやまない。

「いやぁ、昔じいちゃんが使ってましたけど、さすがに買い替えたっすよ。つか、今って使えるんすか? そのうちに使えなくなるって話でしたし」

「そうよね……でも、さっき会った人が、それ、使ってたの」

 最後に見た彼女の手にあったのは、確かに昔の携帯だった。学生時代、私も同じ機種を使っていた。今もなお、使い続けているなんてあり得るだろうか。

 彼女の姿を思い出す。この違和感はなんだろう。

『きさらぎ駅って、知ってます?』

 彼女の声が、蘇る。

もしあの電車に乗っていたら私は―――









(おしまい)

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流行った当時はなぜか知らなくて、再現ドラマで「きさらぎ駅」を知りました。

映画までは見ていませんが、つい過去のスレなどを辿ってしまいまして。

こう、時空を超えてすれ違うような、そんなちょっとホラーな物語を書いてみたいと思った次第です。お気に召しましたら幸いです。

参考:きさらぎ駅 - Wikipedia、2ちゃんねるスレまとめ、auケータイ図鑑|おもいでタイムライン、20年前のスーツ★|レディースコラム|オーダースーツのヨシムラ

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