【因果でせかいを認識する】せかいの詠み方 / ナースロボ_タイプT(o2.さん)
o2.さんの声
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言葉を畳み掛けたり、「あの子」という言葉で表現することに親しみを感じる。
ワーきしのにニャーき?
「せかいの詠み方」というタイトルと、歌詞をどう繋げたらいいだろう。
詠む、ということは、認識と表現が含まれているという仮説を立てる。
「読み取る」負荷が大きい「詩」の世界を思い出した。
道端の石に光が差すと
宝石みたいにきらきらしている
太陽を帯びた波の肖像
あの頃みたいにきらきらしている
神様を探して冒険に出た
夏の記憶はまだ生きてるかい
傘を忘れて雨宿りをした
あの駄菓子屋は閉まっちゃったね
キラキラしていた世界。
あなたに嘘が在ったなら
僕が愛を識ることはなかった
彼方に音がとんだなら
僕はどれ程救われるだろう
あなたがいるせかい。嘘のない、彼方に音が飛ばないせかい。
あなたに限りが在ったなら
僕はあなたに触れ続けたろう
この世に破滅が在ったなら
僕はどれ程救われただろう
あなたに触れ続けないせかい。破滅がない永遠に続くせかい。恐れ多くも雑に表現すると、悲しい感じ。
神様を探して冒険に出た
夏の記憶はまだ生きてるかい
傘を忘れて雨宿りをした
あの駄菓子屋は閉まっちゃったね
続、失われたせかい。
機械に命が在ったなら
僕はあの子と話せただろうか
花に言葉が在ったなら
僕はあの子を救えただろうか
機械と花の表現は、僕があの子と話せない、あの子を救えないという意味を出していると解釈した。逆に、あの子と話せなかったから、その因果を回避するにはどうしたらいいか、その一つの方法が機械に命を宿すことなのかもしれない。
僕は愛を識った。けれども僕は救われない。そういうせかいを想像した。
詠み方の、表現の部分は?「Aならば、B。」しかしAは絶望的に偽でしかありえない。そういう詠み方、なのだろうか。「Aならば、B。」それは因果律と読むことができる。因果律で世界を表現する。
ということだろうか?このせかいが、今のせかいが今のせかいであることの原因。因がなければ果がない。そういうせかいの見方であり、せかいの表現?
頼りがない世界で、うつろって行く世界で、この言葉から確かにあるものが表現される。ここに女性を感じるのは、想像するのは僕だけだろうか。
梳いた髪にはほしが棲む
神のことばで槍が降る
臓器のナカには音が棲む
海の底には月が在る
梳いた髪、神のことば、臓器、海の底から因果律により導き出される存在、星、槍、音、月。そこからさらに因果が生まれる。さぁ、何を存在させようか。そんな想像を、促されているような気がした。今これが、僕らの世界にあるものなのだとしたら。
その先を想像する。
僕は自分の曲を作るときに思うことがある。歌詞の「節」、歌詞の色合いを音で変えることで、歌詞の意味というか、伝えたいものを受け取ってもらえるようにする工夫。もしこの箇所がこの曲のキモであったなら、音の表現が別様にありえたかもしない。と、想像した。
彼方に音がとんだなら
僕はどれ程救われるだろう
彼方に音がとんだとて、救われないとしたら、また僕たちは別の歌を歌うんだろう。
少しでも類似性を感じる僕の曲
