お返事まだカナ?おじさん構文!/ 雨衣という新しいボカロ人格の特異性。吉本おじさんという作り手の表現する内容について。

宣伝:こちらの記事は、この記事を書いたことがきっかけで書いた「ケーススタディ」です。



以前、こんな記事を書いた。

今回の記事は、この記事の思考の続きである。

この曲。

軽く炎上について

何が燃えているのか。着火物は曲だとして、何が燃えているのか。嫉妬、憎悪、とめどない怒り、苛立ち、といったものが一般的だと思う。不満、不信感、違和感かもしれない。「話し方」を教わらなかった僕たちがなんでも気軽に書き込めるネットという荒廃した世界で、この「話題」もすぐに塵となり灰となり忘れられていくのだろうか。僕はこの話題を広く社会学、文化人類学の範疇と捉えたい。そんな荒廃した世界で、この記事を書こうと思った。(ちなみに、もし衰退しているとしたら、それはボカロという分野に限られたものではない。日本という国における何かが、凄まじく衰退していると僕は思う)。

しぐれういの人格をコピーした「キャラ」としての雨衣の特異性

雨衣という音声ライブラリーは、Vtuber「しぐれうい」の共通理解、「設定」を持っている。だからこそあの曲が、受け入れられたと僕は思う。「しぐれうい」は大人気だ!ボカロ界隈で、これほどまでに辛辣な性格を、皮肉(それはユーモアでもある)、人間的な歪さ(素直さ)を、人格として「設定」されたキャラは、これまでのボカロキャラにはいなかったのではないか。などと思う。僕の着眼点はそこにある。

ボカロのキャラには容姿があり、設定がある。ナースロボタイプT、通称TTちゃんはかなり作り込また設定を与えられている。その世界観が豊かが故に、引き込まれる人が多いようだ。TTちゃんと雨衣の存在に付与される「設定」は、何を歌わせるか、という曲の「内容」に関わる。

「お返事まだカナ?おじさん構文!」はガリガリに「しぐれうい」の人格を、「設定」をそのまま使っている。そして僕が注目するのが、その人格が、ある種の「純粋性」に依拠していることだ。それは、正直さ、と言ってもいい。綺麗事ばかりを言わない。媚びない、と言ってもいい。僕はそこに人間臭さを感じる。人間らしさを感じる。

ボカロ文化におけるこれまでの「キャラ」とその「キャラ」が生み出してきた曲

ボカロは、「音声ライブラリー」である。だがそこに、「キャラ」が付与され、「人格」が設定される。そこから、曲のアイデア(?)が生まれる。基本、「かわいい」だろう。かわいいから、使う。かわいさ、顔面偏差値で再生数を勝ち取る、そんな使われ方をされていることがほとんどだろう。それをボカロ文化と言ってもいいのかもしれない。わからないけど。

(ちなみに僕は「音声ライブラリー」を使うが、「キャラ」にはあまり関心がない、と思う。初めてTTちゃんを使った時は、TTちゃんにエラーを起こさせた。「人ではない」TTちゃんから、「人とは何か」を想像してもらえるだろうか。これを二次創作と言ってもいいかもしれないし、言わなくてもいいかもしれない。どうでもいいかもしれない)

そんなボカロ文化に、新しい「人間性」「人格」「パーソナリティー」が生まれた。これから僕は、「雨衣」がどんな曲に「使われる」のかを、期待したい。


傘村トータさんが曲を作っていた。雨、衣。

結局、使い手がどんなふうに雨衣という「音声ライブラリー」もしくは「キャラ」を使うかにかかっているのだと思う。

(哲学する、社会を冷静に見る、学習する、異質な他者に関心を持つVtuberが登場して、悲しみ憂い葛藤する人格が「音声ライブラリー」になったら、激アツだな。(個人の感想です)。僕はそんなことを想像して、少しだけ、浮かれた。)


僕たちは結局、「おしゃべり」をしながら、互いを理解したり、互いに共通認識を確認して安心したりする。そのおしゃべりを広げるのが、創作だと思う。それが実在の人であろうと、Vtuberであろうと、なんだろうと。

僕は、舞台の上でスポットライトを当てられずに隅っこで小さくなっている人格を、想像している。

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まとめ

今までこういう人格は、人間らしい「設定」を持ったキャラが「音声ライブラリー」として作られてこなかった、少なくとも僕はキャラの「設定」から出てくる曲を想像していなかった、認識できていなかった、というのが、この記事の要点である。「お返事まだかなおじさん構文」を聴いて、「キャラ」「設定」「曲」の関係性に気がついた。感謝である。

僕たちは何を歌っているのか。何を作っているのか。何を、喋っているのか。何を伝えたいのか。何を、語りたいのか。

人気である。売れる。この一点で、雨衣は登場した。と僕は思う。受け入れられた人格として、雨衣にはそれなりの使命がある気がした(綺麗事だけを言わない人間臭さを持つ「キャラ」として)。と同時に、「受け入れる」私たちの人間性が、動物性が、そのままボカロ文化に反映されている気がする。

あなたはどんな人格を、人間を、受け入れているだろうか。

想像してみてほしい。

曲によって、創作物によって、私たちは何を感じ、何を考え、理解しているだろうか。

僕はこの曲で、「お返事まだカナ?おじさん構文! / 雨衣」で、きもおじには、絶対、なりたくないなと、思った。感じた。もっとグロテスクに、痛々しく、包み隠さずに、表現したら、もっと良かった。と思う。あれはネタではない、「嫌悪」の曲だ。と僕は感じた。その「嫌悪」を、「ネタ」として表現することでしか「再生されない」から、あの表現形式を作者(吉本おじさん)は選んだ、のかもしれないなどとも思う。けれどもその話題には、深刻さが含まれている。(一般化すれば、男と女、おじさんと少女、もっと言えば、配信文化、パパ活、トー横、離婚、マッチングアプリ界隈、など?)。

なんだかんだ、「ネタ」にする。そういう「おしゃべり」が、荒廃したこの世界には、溢れている。それは、ボカロ文化に限ったことではないと、僕は確信している。

痛いものを痛く、怖いものを怖く、嫌なものを不快に、表現することを、私たちは忘れているのではないだろうか(「かわいい」だけあれば、事足りる!?)

コミュニケーション、職業としての感情ビジネス、人間関係の問題提起としての「お返事まだカナおじさん構文」


こんなFAを見つけた。

この二次創作は、ちゃんと文脈を理解して、曲の文脈を広げるいい創作だと思う。(あくまで個人の目線です。本人の意図は分かりません)。笑い事ではない。こういう正義感をかざして、おじさんは、きもおじになっていくことを、僕は想像したからだ。「僕は君に尽くしているんだから!さぁ!」・・・そういう気持ちは、誰にでもあるような気がする(だから僕らはいいねを押し合ったりする)。そんなことを考えてもらえずに、感じてもらえずに、想像させられずに、「ネタ」にしかならないとしたら。それが、荒廃したこの「ネタ世界」なのだと、僕は想像した。笑ってギャグにしてなかったことにしなくては精神が持たない。そんな荒廃した世界に僕たちは暮らしている。

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ふわっちの配信者、最上あいが殺された時に僕が作った曲。それこそ「尽くした」人が見返りを求めることで生まれた事件だと僕は思う。

ナーバスライバー廃。フリーゲーム。

「かわいい曲」でないと聴かれないかもしれない。「乖離系」でないと聴かれないかもしれない。

それでもこの記事が、あの曲が、誰かの何かを「動かす」ことを、僕は祈っている。

作者、吉本おじさんに関心をもつ

吉本おじさん
https://x.com/yoshimotoojisan

ここまで書いて、作者の話題にはいる。大事なのは曲ではない、曲を作る人間なのだ。と僕は常々思っている。曲を消費して終わってほしくない。少なくとも僕は終わりたくない終われないやめられない止まらない。

「お返事まだカナ?おじさん構文!/ 雨衣」の作者の吉本おじさんの別の曲を聞いてみた。筋が通っている。と思った。一貫性があると思った。吉本おじさんは「伝えたいもの」を自覚していると思った。だから雨衣を使う必然性があったと思った。

その表現はあくまで僕が乖離系と呼ぶもので、「ネタ」っぽく臭みなく言葉を音にしている。吉本おじさんがその表現形式を選ぶなら、僕は生臭く痛々しく作ればいいのだろう。同じテーマを別形式で表現したらいいじゃないか。などと思う。(いや、僕はすでにしている爆そして再生されなかった)

youtubeのチャンネル登録者数が5万になろうとしている。2曲目にしてこれだったら、脳汁ダバダバだろうな。(いや、突然のバズりで困惑しているかもしれない。不意打ちである)。「かわいいだけではない雨衣」をプロデュースする、「設定」を生かしてどんどん辛辣に、この世界をかき混ぜてもらいたいと思う。

再生数は、武器だ!
その武器を、何に使う?
僕はそこに興味があるのです。

「キャラ」としてのナースロボ_タイプ_Tの再評価

merirorec(めりろ)さんという人を見つけた。
https://x.com/merirorec

ナースロボ_タイプ_Tというキャラがいる。「音声ライブラリー」であり、「キャラ」設定がある。とある人がきっかけで関心を持つようになったキャラだ。この曲を聴いてふと思った。雨衣がきもおじ、もしくは「女子の嫌悪」を表現するパーソナリティーだとすれば、TTちゃんは、「憂い」「悲しみ」を表現するパーソナリティーを持っているのではないかと。そういう、「設定」なのだ。そういう、「声」なのだ。この世界で、TTちゃんは憂いと悲しみを表現する「声」を担っている。そんな気がした。

とある人(結サさん)の曲↓
https://x.com/Yuisa_sekisei

「かわいい」は前提。そのキャラクターに、人格に、物語に、作者が「共感?」して、曲を生み出す。「声」を託せる人格として認める。「共にありたい」と思う。自分ではない、自分だけでは出せない「声」、「思い」、「物語」を表に出す、表現することを手伝ってくれるパートナーとして、彼女たちは私たちのそばにいるのではないだろうか。などと、思う。

そんな曲を、昔作った。

ボカロを、「音声ライブラリー」を通じて、もしくはアニメといった広いカルチャーをして、僕らは「人間」の理解に至れるだろうか。それともただ「キャラ」を崇め、「好き」な人同士が繋がり、喜び合うだけなのだろうか。そんなことを、僕は想像した。

ボカロは、楽器である。楽器に神話を付与する原初的な営みを、僕たちは止めることができないのだろう。だろう。か。(楽器は、かつて、神聖であり、呪具であった)

流れでもう一曲。

水沓水(すいとーすぃ)さん
https://twitter.com/SuiTohSwi_Music

TTちゃんの物語への没入。それが、生身の人間に、TTちゃんという文脈を、物語を知らない人にどれだけ届けられるか。その強さを、僕は想像している。

乖離系の話↓

この記事を書いて、調べるに至った饕餮とTTちゃんの話


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