【猫を被ったお化けの徘徊】表現者 feat.可不(mjno(ミノ)さん)

mjno(ミノ)さんの声
https://x.com/nemui_mjno

この曲は音、というより言葉に一言言いたい。

創作者に対する、言うなればネット上に投稿する人の心のありようの一つだと思った。それはというと。。。


猫を被って、つまり市場になびいて何かを作ることだろうか。承認欲求、などといったら雑すぎて笑えもしないけれど、何とか「かげを落とす」試みとしての猫被り。そうして魑魅魍魎になってしまう人がいるだろう。だからこそ思う。

ありのままでも許されたい。表現者とは。表現者とは。

世の中の価値基準、尺度、多数決、見てくれの評価、いいねのために奔走するのは「表現者」ではないのかもしれない。だとしたら、「表現者」はありのままをどう受容してもらうか、ありのままでどう関係性を作るか。「表現者」でなくとも言えることかもしれない。役割を演じることで、猫をかぶることで「ありのまま」でいないことで立場を、関係性を守ろうとする人がいる。小さな頃からそうして自分の身を守ってきた、凌辱されてきた人だと僕は思う。謎の尺度から、「猫」からどう逃れるか。

「かげを落としたい」魑魅魍魎としての表現者の百鬼夜行から、離脱できるか。

耳鳴りがするほど叫べ。止まれない。もう止まらない。

止まらないかー!

その止まれなさを、この曲の中で「叫ぶ」音を入れたらどうなっただろう。何が起きただろう。そんなことを想像した。


独自性を、個体が持つ特異的な世界の認識が、感じ方が、人間性が、憂い悲しみ欲求が関係性の中で何を生み出すのか、僕は知りたい。

僕にはこの言葉が刺さった。

ずっとわかっちゃいたんだ。みんな他人に興味がない。

自分のことを見てほしい。自分を。。。陳腐で雑で間違った言い方をするなら「愛を欲しがるけど愛を与えることをしない」(そもそも愛とは精神的成熟を促す技術である)。聴いてほしい、見てほしい、気づいてほしい、という思いに、欲求に、欠乏感にふさぎ込む。(いい表現ができたんだけどどうして再生数が伸びないんだろう????)。そこで始めたこのボカロ曲紹介なのだが。さて、この「表現」は関係性を生み出すだろうか。僕はそんな実験をしている。


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