「いい音」「いい声」とは何か(音響生態社会学の話)

僕はかつて歌っていた。自分の声を聞いて愕然とした。いい声ってなんだろう?という問いを立てた。結局それは、人にとって<自然>とはなんなのかという問いに置き換わった。世の中では「いい声」=魅力的な声、くらいにしか思われていないかもしれない。魅力的ってなんだ?よくわからない。「好き」ってことか?よくわからない。「いい声」になりたくて、ヴォイストレーニングをする人もいる。と思う。何が欲しいのかな。

僕が「声」に携わる人に読んでほしい本。(この本は今売られているのだろうか?)

amazon

簡単に要約すると、「声」は人間の心の表れなのだという。抑圧されていれば抑圧された声が出る。解放されていれば解放された声が出る。(自信たっぷりに話す人は、自信を持っているのだ。それは仮面の一つかもしれないが)。「声」にはその人の心的状態、もしくは人間性の一部が現れている。(人間性は構造であり、声はその表象に過ぎないのです)。

曲中に現れる「声」の話で言えば、その「声」が一体何を表しているのかを僕は想像する。埋もれている声、エッジの聞いた声、柔らかい声。さらにそこにメロディー(何それ?)が乗る。

「いい音」とはなんだろう。人を喜ばせる音だろうか?僕は、どんな音を聞きたいんだろう。僕にとって<自然>というあり方は、一体何なんだろう。そんなことを頭に思い浮かべながら、ヘッドホンを買おうかな、などと思った(本当に買うとしたら僕の寿命が縮む。それも選択か)。

そう思いながら情報を探る。

僕の曲を聞けばわかるけど、僕は「開放型」がほしいと思った。多分それが僕にとっての<自然>だろう。(使ったことがないけど)。eイヤホンで試聴しようと思った。候補はこれ

neumann NDH 30
ATH-R70xa
HD 490 PRO  SENNHEISER 
Hi-X50
Hi-X65 (秋葉店にはなかった)

ATH-R70xaがいいのかなぁと思いつつ。聴き比べた。(思えばaudiotechnicaの製品を何度か購入していたな・・・)

動画中、3人がTOP3に選んでいたHD490PROで聞いてみた。僕の曲と、あめみんさんとトータさんの曲。うーん。よくわからん。

ATHーR70xaを聴いた。愕然とした。何これ?いやね、アンプに繋いでいないから音が小さいのね。アンプに繋げてもらった(eイヤホンさんありがとう)。愕然とした。音像、と言ったらいいのか。楽器がちゃんと、別れてそこにあった。僕の曲も聞いた。楽器が別れてそこにあった。これは僕にとってのリアリティーであり自然な音だな、と思った。

HD490PROと比べるなら。HD490PROは音に味をつけている。使用者が「好む音」に味付けされている。そんな気がした。ATHは、言ってみれば、大根を齧るようなものか。スピーカーにしても、ヘッドホンにしても、構造上、原音再生は難しい。何かに、偏らなくてはいけない。そんな制限がある気がする。その制限をとっぱらったのがTIMEDOMAIN。

すごい理念だなと思う。僕はminiをたまたま持っていた。(たまたま?)。こんなに小さいのに、こんなにはっきり聞こえるとはね。低音もある程度聞こえるよ。タイムドメインの視聴室に行ったこともある。

音を再現する。電気信号で。それがスピーカー、ヘッドホンの役割だ。けどその「音」は原音とは異なる。フィルターがかかる。僕らは「ありのまま」の音を聞いているのではない。現実に目の前で楽器を弾かない限り。現実に目の前で誰かが歌っていない限り。(それすらも、人によって聞こえ方が違う。歳をとるとね、高音が聞こえにくくなるらしいのよ!?鼓膜が硬くなってくるんだってさ・・・・。加えて、音に対する敏感性も違う。認識が違う)。

低音をがっつり聴きたいならSONY MDR-MV1がいいという。聞いてみた。なるほどな。僕の耳で聞くと、もはや低音が前に来るくらい他の音が引いている。奥めいている。謎だ。(このヘッドホンを使うなら、DTM上で中音高音部をキラキラさせる必要があるだろう)。

僕らは世界をフィルターをかけてみている。聞いている。それは認知フィルターでもあり、認識フィルターでもある。と僕は表現したい(五感的な知覚のプロセスと、脳内の情報処理のダブルフィルター。一般的には認知は脳内の情報処理も含むっぽいよ)。

さて、スタッフの人に聞いてみた「AD Hみたいなヘッドホン、他にもないですか?」

HiFiMAN 
平面磁界型とか平面振動とかそんな名前だった気がする。

うわぁ!すごい!価格が(比較的)安いのに、ちゃんと開放型の音がしている!別れてる!そして、ADHに比べて音が明るい。平面磁界型、要チェックや!!!!(しかしヘッドバンドの締め付けが強くて頭が痛くなるので僕は選べない)。

他のヘッドホンも持ってきてくれた。

ADX-3000 音が密閉型に近い。開放型なのに。

ATH -ADX500 ADX-3000とADHの子どものような音がした(店員さんはいった。3000の方が新しいんですけど!?)

僕たちが聞いている「音」「声」は本当の音ではない。本当の音なんてないかもしれない。だとしたら、どんな音を、声を、僕らは「デザイン」するのだろう。どんなフィルターを想定して、音を、声をデザインするのだろう。フィルターをぶち壊すような音を、想像するのだろうか。特定の分野に特化して、その音に特化したヘッドホン、イヤホン、スピーカーを使う人に「一番美味しい料理」を届けるのか。

小難しいことを考えなくても、伝わるものは伝わる。と僕は思った。僕が使っているどこからともなく湧いてきた(そこにあった)から使っているイヤホンで僕は曲を作ってきたのだ。そして他の人の曲をきいて「うおー!!!」となったりしているのだ。

でも、気持ちよくモニターしながら、曲を作りたいよね!

↓僕が昔作ったスピーカーシステム。

スピーカーは一つである必要がない。スピーカーはそれぞれ固有の「音」への適性がある。ならば、合わせたらいいんじゃね?別にコンデンサとかコイル使って周波数いじらなくてもいいんじゃね?というのが設計思想だ。動物を見てみたらいい。大きければ低い声が、小さければ高い声が出る。それは<自然>の一つのあり方なのだと僕は思う。

人は、一人では生きていけない。音だって、こうやって集まれば、「それっぽく」なるのではないだろうか。<自然>に近づけるのではないか。僕はそんなことを想像している。(それで音が濁る?うーん、どうしたものかな)。

僕らはこの命を、一体何に使っているんだろう。

「東京大学サイバーフォレスト」

このサイトだと一発

斉藤さんと話したことがある。いい人だった。


サイバーフォレストは、γか、δだな笑


<自然>から離れてしまった僕らの命を、取り戻す音を、声を、僕は探しているのかもしれない。


ーーー

上手いこと言って記事を終わらせようとしたけれど、また書きたくなる。

僕は生態学は社会学だと思っている。どちらも集団の構造(構成要素の関係性)を扱っているからだ。するとどうだろう?曲づくりが政治だとしたら?聞き手に、多くの人に影響を与えるとしたら?票を集めるためにマジョリティーがほしいものをあげる政治がある。一方でマジョリティーに押しつぶされる声がある。(聞いてすらもらえない、なかったことにされる声がある)。

僕らは聞き手として、作り手として、誰かに影響している。誰かを助けているかもしれないし、誰かを殺しているかもしれない。僕は「生きる」ということに、それくらいの重みを感じている(僕は押しつぶされてきた(勝手に潰れたともいう)側だからかな!楽しく曲作れないからかな!)。

僕は誰かの声(ネット上では大体文字だけど)を聴いて曲を作ってきた。自分の声も含むけれど。多分僕は、そうやって曲を作っていくんだろう。

今作りたい曲

  • 発熱時に効く曲

  • 嫌な気持ちで頭いっぱいな時に効く曲(δの出番か!!!???)

自分が曲にどんな力を持たせたいのか。僕が音楽のことを知りたいと思うのは、きっと、僕が誰かの何かの役に立つことで、僕が傷つけた人たちへの贖罪をしたいんだろう。

δのことを、僕はもっとよく知りたいと思う。

音楽性は、人間性。僕は人間らしくなりたい。




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