私とお父さん。〜幼少期から中学生の思い出〜
幼い頃からの記憶を辿る。
父親がこぐ自転車の後ろに乗って保育園へと向かう。自転車の後ろに乗っていた私は、いつしか荷台の上に立っている。
足をタイヤに挟んで以来、危ないからと立たせる父親。今では、子供を荷台に立たせるなんて完全にアウトだ。
休日、河原で兄たちが友達と野球。
そばでチョロチョロしている私の頭かおでこに野球のボールが当たる。
兄が急いで父親を呼びに行き大泣きする私を
父親は、急いで抱えて家にあるアイスノンで冷やす。私はチュウチュウを食べていた。
パンツ1枚でビールとあてを食べて野球をみている父親のあぐらの上が私の心地よい場所だった。
テレビから聞こえる野球中継のアナウンスがやけに懐かしく思うのは、この頃があるからだと思う。
誰かがホームランを打てば大きく手を挙げて手を叩いて喜んで、点を入れられたらあーと肩をおろす。
お風呂場で髪の毛を切っていた。
決まっていつも前髪がななめになる。
いつも、手を繋ぎお父さんお父さんと甘えていた。
田舎に私と兄が住む事になって
父親と離れて暮らす事になった初めの頃は、
父親が乗った車が私たちをおいて離れて行くのを見ながら大泣きしていた。
小学校くらいになると
運動会、春休み、夏休み、冬休みに父親が島根に帰ってくるのを楽しみにできるようになっていた。
いつも、仕事終わってから出発して夜中につく。私は、うっすら目をあけて台所の灯りがついておばあちゃんと父親の喋り声がなんとなく聞こえてくると父親が帰ってきたんだと嬉しく思って朝まで眠った。
たまに電話で話したり、月1でダンボール箱いっぱいのお菓子と当時読んでいた漫画リボンを入れて送ってくれた。
私が中学生になると同時に、又3人で暮らす事になる。
ここからの記憶は、結構まだ鮮明に覚えている。
中学1年の時までは、幼少期の時から田舎に行くまでの間住んでいた長屋というのか隣の声が聞こえる薄い壁の家に3人で住んでいた。
中学生になった頃、初めの頃お弁当を父親が作ってくれた。
フタをあけると、みごとに寄り弁だった。
当たり前だ。父親はお弁当を作った事がない。何をどんな風に入れればいいかも分からなかったはずだ。
私は、フタを少しあけて隙間から食べていた。
気持ちは、複雑だった。恥ずかしいし
でも仕事行く前に用意してくれてる。
だからこんな思いするなら私が作ればいいんだって。自分も気が楽だし、父親も楽になるだろうと。
ただ、作るのは玉子焼きだけであとは、父親がスーパーで唐揚げなんかのお惣菜を買ってきてくれるから詰めるだけの簡単でラクなお弁当だ。
中学2年の時に、3LDKのマンションに引っ越しした。
自分の部屋が持てる事。お風呂がキレイな事。
キッチンが広い事。嬉しかった。
父親と離れて過ごした私にとっても
ふるさとな場所。
