体温のある文章で、人生を紡ぎ直す|noteリニューアル
こんにちは、hitomiです。
ここ数ヶ月、毎週火曜日に週1本記事をアップしてきていたのですが、突然最近の記事や過去記事がほとんど見えなくなっていることに、もしかすると気づいている方もいるかもしれません。(大半の方は「そうなの?」だと思うのですが笑)思うところあって、大半を非公開にしました。
noteの記録によると、今日で10週連続投稿、ということで、どうやら二ヶ月ほど、毎週更新を続けてきていたようです。note更新を再開してから新たにフォローくださった皆様、もともとフォローしてみてくださっていた皆様、そして、フォローもいいねもしていないけどみている、というサイレント読者のみなさま、本当にありがとうございます。
2ヶ月前にnoteを再開したものの、実はほとんどちゃんとnoteのために文章を書く、というのをやっていませんでした。(すみません)投稿していた内容は、過去にInstagramに書いたものだったり、stand.fmラジオで話した内容の文字起こしを整えたものだったり、思いついたアイデアをざっと音声入力して、それをAIにブログ記事に引き延ばしてもらったりと、一言で言えばカロリー0な記事ばかりでした。オリジナルな記事は実はひとつもなかったんです。
でも、最近心境の変化があり、というよりもしっかりと内省をして、未来の自分を改めてしっかりと思い描く、というのをやりました。そこで見えてきたこと。それは、私にとって「文章を書くこと」は、どうやらとても、(そしてやっぱりという感覚もあるのですが)エッセンシャルな活動になるようだ、ということなんです。
この人生、私は「書く」ということをひたすらにやってきました。小学生の頃の日記から始まり、ブログ、モーニングノート、ジャーナリング。今も毎日、人がびっくりするほど手書きでたくさん書いています。でも、ちゃんとnoteやブログみたいな場所へ載せる文章、というのを書くことができなくなっていました。というのも、誰かに披露したいほどの書きたいテーマ、というのが思いつかなくて、何を書いていいかわからなかった、というのが正しい表現かもしれません。
noteを再開した9週間前もその感覚のまま、だからテーマも決めずに雑多に、各SNSで反応のよかった文章や内容を再アップする、みたいなずるいことをしていたんです。でもやっぱりそれだと誠実じゃないし、何より文章に温度が宿っていない、というか、自分で読み返したい文章に全くなっていなかったんですね。
私があらゆるSNSをやる上で、1つ、とても大事にしていることがあるのですが、それが、「自分が見返したくなるくらい気に入っているか」ということ。ここ数ヶ月、いや数年、noteはなかなかそういうものが投稿できていませんでした。note始めたてくらいの時の文章は、荒削りだしとても不思議な文章だけれど、でもなんだか体温がすごく乗っていて、時折それらを読み返しては、(上手い下手は一旦脇に置いておいて)、「ああ、いい文章だな」って自分で思えるんですよね。そして、過去のそういった文章たちは、ありがたいことに今でもみてくださる方が結構いるんです。(ありがとうございます)
そういう「温度がのっている」文章が書けなくなっていたここ数年。私はもう文章を書く能力がなったのかもしれない、と半ばあきらめていたところがありました。でも、ここ数日の内省(自分との対話)で、書きたいテーマがとっても明確になったんです。
それは、一度、私の人生を全て、物語として紡ぎなおして文章にしてみたい、ということ。
私は、普段から、例えば1つの体験も、まどろっこしいですが、いちいちそれを振り返って文章にしないと、その体験の意味や意義を理解できない、という自分の困った特性があることを自覚しています。
過去に、こんなことがありました。何人かで旅をして、そこでアートをみて、そのあとそこで見たアートについて議論しあう、みたいな時間があったんです。でも、そのとき私は全くなにも話せなかった。文字通り、本当に、"何も"話せなかった。私は何を見たのか、何を感じたのか、どういう意味のものだったのか、全くわからなかった。他のメンバーは、生き生きとすらすらと湧き出る湯水のように意見を出し合っていて、それが眩しくてたまらなかった。そして、私は強烈な劣等感に押し潰されたんです。本当に恥ずかしいけれど、私の場合、一度時間をおいて、一人になって、それら見たもの経験したものをひとつひとつ追体験しながら文章にして意味を考え直さないと、それに対する意見が出てこない。そんな自分の「できなささ」をあまりにも強く、痛々しく感じた瞬間でもありました。
でも今振り返って思うのは、もうこれは性質だからしかたないよな、ということ。
そして、わたしはこのまどろっこしい、「振り返って咀嚼しながら文章にする」という時間があるから、1つの体験が深い深い学びの要素と昇華され、自分の身体の中に染み込んでいく、みたいなところがあります。
体験している最中は、(本当に恥ずかしいけれど)何が起こっているか、何を学んでいるか、何を見ているのかわからない。自分でも何か決定的な欠落があるのではないか、と思わざるをえないほどに。でも感動したり、なにか大事なことを受け取っていると、訳もわからず先に涙が流れる、みたいなことがあったりする。
それらを、一人になって、時間をとって、あらためて腰を据えてじっくり一つ一つの出来事を点検し、その体験に対して言葉を当てはめ、意味を考え、その一連の過程を紡ぎ合わせることで、すこしずつ「何が起こっていたのか」がわかってくる。そしてひとつの物語に再構築するそのプロセスの中で、自分の血肉となる、みたいなところがあります。
そして、そのとんでもなく遠回りな工程で、わたしはわたしの人生を肯定してきて、私自身を受容できている、みたいな部分が少なからずあるんです。いや、かなり、かもしれない。だから私にとって、書くことは不可欠であり、書くことによって私は救われてきた、と心底思うのです。
それで思ったんです。一度、ぜんぶ丸ごと、人生を振り返ってみたら、どうなるんだろう、と。私の人生には、いくつかの転換点、ターニングポイントといえるような瞬間があり、その時々には素晴らしい出逢いと忘れ難い教訓がありました。そして、この人生で、何度も何度も、もう嫌になるくらい何度も、大変なことが、骨の折れることもたくさんありました。
その渦中にいるときには、表ではなかなか全部を話せないし、苦しいし、だから笑顔でお客様の前に立ちながら、でも一人になったときに強烈に葛藤している、みたいなことも多くありました。
でも、その時々でひとつずつ、遠回りしながらも、私なりにいろんなところに頭をぶつけながらも乗り越えてきた。そしてその軌跡は、不器用だけれどきっと、あるいは誰かにとっての何かの参考になるのかもしれない、とも感じたりするのです。それで、書いてみたいと思ったんです。とかいいながらも、それはきっと、自分のために。
そんなわけで、これから毎週火曜日に1本、私の人生の歩みの記録を綴っていきたいと思います。それは、「本当の自分」として生きるために葛藤する過去から現在に続く、私の軌跡。
そして、今週末からは、土曜日にも1本、記事を投稿します。それは、私の一言日記を1週間分、まとめたものを記事にして載せてみようと思います。これは現在のリアルタイムのこと。
なので今後は、週2投稿になります。
思い返せば、人生のいたるところで、私の文章を褒めてくださったり、私の文章を好きだと言ってくださった稀有な方の存在がありました。その言葉は私の胸の奥にしっかりと大切に保管されていて、ふとしたときにそれらはひょこっと顔を出しては、「書かないの?」と無言で私に問いかけてくれていました。
でもそんな感覚に、ありがたいと思いながらも私は気づかないふりをして、いや、どちらかというと、「書きたいけど、書けない」という気持ちがつよくて書けなかった。
でも、ようやく「書きたい」という気持ちになれた。こうして、きちんとキーボードをタイプして文章を書くのは本当に久しぶりです。そして、言葉が想像以上にすらすらと出てくることに、とてつもない安堵感と高揚感があります。
書くためには、私の場合、ある一定の「一人の時間」が必要です。それは体験を咀嚼する時間であり、解釈する時間なんだと思います。本当に嫌になるほど人より理解が遅いし、抽象的なところが気になって同じことを飽きもせずに「これはなんで起こったんだろう」「私はなんでこう感じたんだろう」「この出来事は私に何を教えてくれているんだろう」と永遠に考えている。でもきっと、この時間があることが、わたしが私である所以なのだとも思う。
声で伝えたいことを話すのと、文章でこうして書くのとでは、温度とリズムが違うし、選ぶ言葉も変わる。わたしが読み返したい文章をまずは書いてみよう、と思います。
そんなわけで、来週から、私が現在の私にいたるまでの人生の軌跡を、自分の心に従い「他の誰でもない"自分"として生きたい」と切実に願い歩んできたその人生を、書き始めようと思います。
文章を書くことの果てにある夢は、物理的な紙の本にすることです。これを読む方の中には、「そんなの無理だ」って笑う方もいるかもしれない。でも、わたしは誰かが笑うくらいの夢を、いつだって掲げてきた。「ブランドをやりたい」と言った時、「そんな大それたこと、あなたには無理だ」と笑われた。「お店を出すことが夢」と言ったら「後悔するからやめておけ」と止められた。「パリに移住する」と言ったら「これまでのキャリアが台無しになる」と止められた。でもわたしはその声を聞こえないふりをして突破してきた。そして、ブランドは10年続き、代官山にお店があり、パリに移住したことで事業も新たにスタートできた。だから、恥を忍んで、私は夢を心に秘めずに、大声で言い切りたい。思い描ける夢は、思い描ける時点でもう実現の射程範囲内に入っている。尊敬する佐藤航陽さんの言葉。実現できない夢は思いつきもしない。とっても素敵なことばだな、と思うのです。
私は私の可能性を信じてあげたい。私は私の、一番の味方でありたい。
そして、あなたも、あなたの夢の一番の理解者になってあげるだけで、憧れは憧れじゃなくなる。──私はそう信じています。
そんなわけで、毎週書き下ろしていきます。心の声に従う、私の人生の旅。
ぜひ、お付き合いいただけましたら、とても、とても嬉しいです。
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