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36歳 独身 一人暮らし。 華やかなパリを捨て、パリ郊外で帰る場所を見つけた話


ずっと、日本が苦手だった。

それは日本が悪い、というのではなく、私にはずっと、「自分の居場所がない」と感じていた。自分の居場所がないそんな国を、私は「好きになれない」と捉えることで、なんとか自分の心に折り合いをつけていた。

大阪で生まれ、すぐに引っ越し、36年の人生の中で一番長く住んだ神戸ですら、たった6年。その後、神奈川、沖縄、大阪、また神戸、大阪、東京、大阪、パリ、東京、そしてまたパリ……。この人生、引っ越した回数は合計19回。国を越えた引っ越しも3回。身軽にもなるわけだ。

引っ越しが好きだったわけではない。

中学は転校で合計3つの学校に行き、高校も転校し2つ通った。思春期真っ只中で5つの学校に通うと、誰とでも表面的な対話はできるようになるが、誰とも深い関係になれない。同じ日本でも、場所が変わると言葉も違えば文化も違う。

どの場所へ行っても「ここが私の居場所だ」という感覚が得られなかった。

実家という物理的な拠り所も心の拠り所もなかった私には、みんなが当たり前に持つ「帰る場所」が眩しく見えた。彼らは一様に、「地元」があったし、当然に「居場所」を持っているようだった。

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だからなのか、買い付けという理由で3ヶ月に一度、日本からパリへ訪れていた27歳から29歳の日々は、特別だった。

パリ左岸、サンジェルマン・デ・プレ教会の、私にとっての「いつもの場所」。入って右側、ステンドグラスの光が虹のように差し込むあの美しい空間。

たっぷりとキラキラとした空気を胸いっぱいに吸い込み、身体中にそれが巡るのを味わいながら、身体のなかのものをゆっくりと吐きだす。また、ここに来られた、とそんな事実に心でにっこり微笑みながら。しなやかに馴染んだモレスキンのノートを開く。


「私は、ここにいる私が好きだ」

何度、このフレーズを書いたかわからない。毎回、判に押したように何度も書き記す。ここにだけ、「ここにいる自分が好き」と思える光があった。

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パリに来れば、自分らしくいられるのかもしれない。そう信じて決めた1度目のパリ移住は、しかし、憧れが砕け散る音から始まった。今から7年前、2018年のこと。

ブランド運営自体を休止し、お仕事の一切をやめ、人生の夏休みのような感覚でパリに来た。8ヶ月間語学学校に通うこと以外、ほとんど何もしなかった。というより、何もできなかった。

幸か不幸か、それまでに死に物狂いで働いてきていたこともあって、向こう3年くらい、何もしなくても生きていける蓄えがあった。自営業になってから、誰かの下で働く、ということを無理だと感じてしまった私は、パリで一切働かなかった。

しかし働かなくていい状況は、社会からはみ出ていることを、毎日少しずつ、でもしっかりと、じわじわ身体のあちこちに染み渡らせる。生きている意味さえ見失い、精神的に参ってしまった。この経験のおかげで私はFIREに全く興味がない。働かなくていい状況は、社会に何も貢献できていないことそのものだ。それが苦しすぎた。お金の不安がなくなっても、人は幸せにはなれないんだ、とつくづく感じたのを覚えている。

そして、そのパリでの苦しい感覚は、あれほど苦手だった日本に対し、どうしようもなく恋しい、という気持ちを芽生えさせた。意外な副産物だった。

パリの不便さの中で、日本の素晴らしさにも気づかされた。当たり前のように浸かれる湯船、安価で手に入る美味しい食事、絶対に届く丁寧な配達、清潔な街、やりすぎなくらいの、行き届いた接客。

あんなに憧れたパリで、「早く日本に帰りたい」と願う日々が来るなんて、思いもしなかった。ビザが切れる1年すら待てず、残りの1ヶ月はモロッコを旅し、わたしは渡仏から363日目に、日本に逃げ帰った。「私の居場所かもしれない」と思ったパリは、どうやら私の居場所ではないみたいだ。背中を丸めて、成田空港に降り立った。

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その後日本で5年間暮らした。海外生活というタフな日常の後の日本での生活は、ある意味労力ゼロで暮らせる「イージー」なものだった。何をするにも全部ほぼ誤解なく100%意思疎通でき、簡単で、苦労がない。どんな手続きもとてもわかりやすい。とても丁寧。パリではすべてが骨の折れる作業の連続だった。しかし日本の住み良い暮らしは、「こんなぬるま湯にいたら、わたしはますますダメになる」、そんな焦りにも繋がった。

帰国後ブランドを再開し、お店を出し、法人化。その他、やってみたいことをいろいろとやって、日本でやりたいことは、すべてやり切ってしまった。

その時、あんなに「もう住むのはいい」と固く誓ったパリに、私はまた、住みたくなった。時間というソフトな包装紙に包まれて、パリがまた、憧れの地に戻りつつあったのだ。

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そして現在。
2度目のパリ移住から、1年が経った。

パリ再移住後、最初の半年は、ご縁があり、パリ市内の便利な場所に住んだ。11区。バスティーユ。ヴォージュ広場から徒歩5分の、素晴らしい立地のアパルトマンだった。とても清潔だったし建物も厳重なセキュリティで、ガーディアンさんも優しかった。でも、息苦しかった。

またダメかもしれない──

あの1年目の苦しさが蘇り、パリに住み続ける自信を失いかけていた。

転機は、4月の引っ越し。

パリ市内からたった10分。以前、お試しで住んで息をのむほど感動した、あのヴェルサイユ近くの郊外の街へ。

多くの人は「華やかなパリ市内」を選ぶ。だからこそ、「なんでわざわざ郊外なの?」「しかも1人で?」と、十中八九、驚かれる。

自然が豊かで、人々が暖かく挨拶を交わす場所。パリ近郊とは思えない綺麗な街並み、可愛いアンティークの家々。時計の針も、ここではちょっとゆっくり進んでるんじゃないかと思うくらい、パリ市内のようなビージーな空気が一切ない、ゆるやかな場所。


私の心が「ここが心地よい」と、初めて伝えてくれた場所だった。

世間的な「価値」や「ステータス」ではなく、自分だけの「心地よさ」を選ぶこと。

その決断こそが、私にとって何より価値があった。

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この郊外の家に越してから、わたしの半径5メートルの世界は一変した。36歳、独身。パートナーと暮らすわけでもなく、「自分の生きたい形」を選んだ、この土地での暮らし。朝起きて「幸せだなぁ」と思い、夜寝る前に「幸せだなぁ」と感じる。これがどれほど尊いことか。

「自分の居場所だ」と心から思える場所を見つけること。「この場所に帰りたい」と思える場所があること。その喜びが、私をどれほど安心させてくれているか。

居場所がなかった頃は、どこにいてもわたしはよそものだ、と落ち着かなかった。

でも今は、ここが私の「ホーム」だ。

「帰る場所」があるから、安心して旅に出かけていける。そして、旅から「帰る瞬間」さえもが楽しい。

誰かと一緒に住むことだけが、幸せの形ではない。

もちろんそれも素晴らしい幸せだと思う。けれど、自分の心に従って生きて、選んだ形なら、たとえ1人でも、こんなにも満たされて幸せに生きることができる。


自宅、近影

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今日、久しぶりに訪れた「いつもの場所」、サンジェルマン・デ・プレ教会。

フランス語も英語も、まだまだ恥ずかしいレベル。でも、そんな外面的なことより、ずっと価値のあるものを見つけた。

諦めずに心の声に従って歩き続けた先で、「ここが私の居場所だ」と静かに光に包まれるような、そんな場所に出会えたこと。それは私にとっての何よりもの宝物だ。

ずっと、居場所が欲しかった。

「ここが私の居場所」と思える場所が。

世界にここがあって、本当によかった。
そんなふうに思えている自分が好きだ。パリ再移住から丸1年の景色の現在地。


あなたにとって、心が落ち着く、あなたがあなたらしくいられる場所は、どこですか?






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