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見えなくたっていいよ


夕暮れ時、ふと見ると、
ベランダの椅子に家猫マフマリーが、ちょこんと腰かけていた。
やわらかな風に顔を向け、目を細め、気持ちよさそうにしている。

わたしが窓のこちら側から
かのじょを見つめていることには、気づいていない。
彼女の目は、前のほうしか見ることができないから。
わたしのいる場所は、ちょうど死角になる。

そのとき、ふと思った。

猫もそうだけれど、
人間の目は、どうして二つしかないのだろう。
そして、どうして顔の前にだけ置かれているのだろう。


もし神様が望まれたなら、
私たちは、もっと多くの目を持てたはずだ。
背中にも、側面にも、
あるいは、すべてを見通す目を。


それでも神様は、あえてそうなさらなかった。


私たちは前を見ることはできても、
背後を見ることはできない。
同時にすべてを把握することはできず、
いつもどこかに、見えない場所を残したまま生きている。


どうしてなのだろう。

そのとき、また、ふと思った。
それは欠陥というより、むしろ、
〈あなた〉へと向かい、
そして〈あなた〉が、わたしに近づいてきてくれるための、
小さな道なのではないかと。


自分には見えないものを、誰かが見ている。
自分が気づけない真実を、誰かが宿している。


それはまるで、
「あなた一人で、すべてを抱えなくていいのだよ」
と語りかけられているよう。


背中に目がないのは、
すべてを自分で守らなくてもよいように。


見えない部分があっても、
こわがらなくていいよ。


兄弟姉妹のまなざしに包まれているのだから、
安心して、委ねたらいい。


自分ひとりで完結しなくたっていい。
見えないことを、恐れなくたっていい。


あなたに見えない部分があるからこそ、
そんなあなたを、そっと見守っていたいまなざしが生まれる。


見えないあなたの背中は、
あなたのコントロールを離れたところで、
世界にあいさつをし、
静かに友情をはぐくんでいる。


見えない部分があるからこそ、祈りが生まれる。
見えない部分があるからこそ、赦しが必要になる。


そして、見えない部分へのいたわりをとおし、
私たちは、愛によってひとつに織り合わされてゆく存在なのだと、
そんなふうに思う。





あなたは前からうしろから私を囲み、
御手を私の上に置かれました。
(詩篇139篇5節)

元旦の朝、山頂にて






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