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知るも知らぬも逢坂の関


京都の夏はあぢい

晴天の猛暑日、熱中症警戒アラートが発出され、京都では珍しくない雷雨の予報もあった。京都の夏はあぢい。ちょっと外にいるだけで息苦しく、汗びっしょりになる。フェーン現象、ヒートアイランド現象のおまけつきだ。さらに暑さを増幅するバックグラウンド・ミュージックたる盛大な蝉の声も。気温は東京と変わらないし、単身赴任で暮らした舘林(暑さで有名な熊谷に近い)の方が高い。でも体感では京都が上だ。猛暑日の日数も多い。
暑さを“蒸し風呂のような”と表現するが、カタカナ好きな日本人なのに、“サウナのような”とはなぜか言わない。後に水を浴びたりして整うイメージが強いからか? あるいはサウナが不快に思われないための業界の策略か? 直射日光と地面の照り返し、サウナというより両面グリル、スチームオーブン、はたまた京焼の窯。炎天下とはよく言ったものだ。なんてったって天が燃えているんだぜ。テレビでアナウンサーやレポーターが“炎天下の中”と言っているのを聞くと、「こいつら暑さでおかしくなったか?」と思ってしまう。炎天の下の中ってどういうこっちゃ。余計に暑苦しい。ごめんなさい、暑くて八つ当たり。このしつこい暑さは湿度のせいか、無風のせいか。いや、京都だもの、怨霊の仕業に違いない。
暑さを含め異常な気象は一般に地球温暖化、CO2の増加によるとされるが、その根本原因は世界人口の増加だ(誰も言わないからあえて言う)。わたしが小学生の頃世界の人口は34億人と教わった。それが今や80億人以上。国連の推計では2060年頃には100億人を超える。食物だって燃料だって工業製品だって、人口に応じて必要となる。当然CO2だって増える。もはや宇宙船地球号の搭載可能人員を超えているのではないか。地球全体として産めよ増やせよ状態に放置しつつ、一方でCO2を削減しようというのは無理があると思う。

ミストシャワーは嫌いだ

あぢいついでにミストシャワーの話。最近、京都駅など主要な停留所や役所など、ミストシャワーが積極的に設置されている。微細な水を空中に噴霧して、その水滴が蒸発することにより気化熱で温度を下げるというもの。原理は打ち水と同じだ。確かに涼しい。熱中症対策として効果はあるだろう。
しかしわたしは、ミストシャワーが嫌いだ。わたしは眼鏡使用で首からはカメラをぶら下げている。眼鏡やレンズに水滴がつくのは避けたい。水滴がつかない新しいタイプのミストシャワーもあるらしいが、肌で直接気化して熱を奪うのと空中で気化して周囲の空気の温度を下げるのでは、おそらく性能も違うだろう。第一、どれが新しいタイプなのか、ミストを浴びてみないことにはわからない。というわけで、わたしはミストシャワーに近づかない。
自慢げにあちこち設置されても、迷惑としか思えない者はいるのだ。マイノリティかもしれないけどね。

I ♡ 京津線

五山の送り火が済んで、ご先祖さまはあちらの世界に帰られたというのに、まだまだ夏だ。そんな中、逢坂の関あたりに行ってみた。
京阪京津けいしん線は短い路線ながらいろいろな表情を見せてくれる。鉄ちゃんではないわたしにとってさえその変化が楽しい。えいでんも嵐電も好きだが、京津線が一番のお気に入りだ。
地下にある御陵みささぎ駅で直通運転している市営地下鉄から分かれる。ここは地下鉄の顔。比較的高速だ。少しすると地上に出て、山科盆地を走る一般的な電車の顔。JR東海道線・琵琶湖線をくぐって南側に出る。山科駅は地下鉄(地下)とJRと京阪(地上)で、別々に存在する。次は四宮しのみや駅。駅の隣に京津線の車庫がある。追分は昔の東海道と伏見街道の交差点。ブラタモリで紹介された。追分駅からは滋賀県。このあたりからは本格的な登山電車の顔。けっこう急な上りで、急カーブになる。大谷駅は坂の途中にあって、ホームのベンチは水平を保つために左右の脚の高さが異なる。ちなみに車内放送では日本語も英語もお⤵お→た→に(頭高型=例:富士山)と発音していた。MLBの大谷は日本ではお⤴お→た→に(尾高型=例:弟)、英語だとお→お⤴⤵に。カーブが急なので、電車は徐行しながら地形に沿ってくねくね、キーキーとフランジ音をたてて曲がっていく。脱線防止のガードレールも設けられている。カーブでは連結部が折れてしまうのではないかと思うほど(まるで鉄道模型のジオラマの急カーブみたい)だが、急カーブに対応できる専用車両だそうだ。摩擦を減らして音を消すためのスプリンクラーが設置されているところもあると聞く。逢坂の関は峠にあたる。ここはトンネルで通過。それを過ぎると今度は平野に向かって下り。平野に出るあたりには国道の踏切がある。この付近には国道から少し上がったところに旧逢坂山隧道東口があり(西口は大谷駅近くに碑がある)、旧東海道線橋台跡がある。昔はJRが上、京阪が下で交差していたようだ。京津線の不自然な曲がり方もどうやら山科駅近くと同様、角度をつけて交差させるためだ。現在は少し先で京阪が上、JRが下で交差している。次は上栄町駅。場所が限られたところに無理やり作ったような駅だ。上下線のホームが向かい合わせでなく離れている。おまけにびわ湖浜大津駅方向のホームはカーブの途中だ。上栄町駅を出ると終点のびわ湖浜大津駅まで今度は路面電車になって大津の市街地を走る。路面電車についての一般的なイメージは、低床だったり1両編成だったりだが、フルサイズの4両編成の電車が路面を走るのは、とくに道路から間近に見上げると迫力がある。嵐電にも供用区間があるけれど、レトロな車両が1両だけ(ときに2両)だと、迫力があるというよりかわいらしい。びわ湖浜大津駅が終点だ。道路上をゆっくりカーブしながら構内に入っていく。ここで京阪石山坂本線と合流する。この線も坂本方向はしばらく路面を走っている。

大谷駅のベンチ。水平を保つために左右の脚の高さが異なる。
路面を走る京津線

大谷駅のうなぎ屋

大谷駅で降りた。無人駅を出ても老舗のうなぎ屋が2軒あるだけ。行った日は大谷茶屋が休み、もう1軒の逢坂山かねよもレストラン部が休みだったので、立派な庭のある逢坂山かねよ本店に入った。逢坂山かねよは、きんし丼/きんし重が有名だ。うなぎとともに大きな卵焼きが載っている。うなぎと卵焼きの組み合わせはう巻きなどもあるくらいだから珍しくないが、卵焼きが載っていると、とくに価格が上がってうなぎが小さくなってから、ご飯が見えないよう隙間を埋めているみたいで、かえって貧相に思えた。卵焼きを載せる必然性がない。しかしここの卵焼きはでかい。“おれは脇役に甘んじないぞ”という卵焼きの矜持が見えるようだ。なかなかよろしい。そこそこいいお値段するのはうなぎだからしかたないところ。近頃は卵も物価の優等生ではないし。蒸さない関西風のうなぎはあまり食べたことがないので、味については論評を控える。個人的には食べ慣れている(貧乏人はたまにしか食べられないが)関東風の方が好きではある。

逢坂山かねよにて

蝉丸の推し活

今日の目的は、蝉丸の推し活である。以前伏見で大石天狗堂に行った。東京でいえば奥野かるた店、洛中なら昔の任天堂というところか。百人一首などの製造販売をしている。観賞用、競技用、子供用など種類がたくさんあって、価格もピンキリ。和歌も百人一首もまったくの門外漢なので、お店の人に初心者向きの商品を聞いたら、読み札の裏に歌の解説がついたものを紹介された。わたしにはちょうどいいと思ったのだが、「欠点がひとつあるんです。坊主めくりが遊べないんです。」 たしかに、めくる前から誰の歌かわかってしまうのではゲームにならない。興ざめだ。で、リーズナブルなお値段の、一般的なものを買い求めた。帰って眺めていたとき、蝉丸を見つけた。蝉丸は、少なくともわが家では坊主めくりのとき坊主扱いだった。天皇や貴族が並ぶ中、蝉丸の姿はみすぼらしく貧相ではある。とはいえ坊主扱いってひどいんじゃない? お坊さんからしても正式な僧侶の修行などおそらくしたことがないであろう蝉丸を坊主扱いするのには疑義があるだろう。
わたしは蝉丸にちょっと興味を持った。判官贔屓だ。でもネットで調べても確かなことはほぼわからない。出自も生没年も伝承ばかり。実在したのかさえ怪しい。百人一首などに選ばれる歌を詠み、”平家物語”や”今昔物語集”に登場し、能や人形浄瑠璃にもなっているのに、それにしては何もわからない。
百人一首の元となった後撰和歌集には「逢(相)坂の関に庵室を作りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」とあり、逢坂の関付近に住んだことになっている。
大谷駅から上栄町駅まで歩いた。この間には蝉丸の名を冠したみっつの神社がある。うなぎ屋の隣、旧東海道に面した蝉丸神社(関蝉丸神社の分社)、逢坂の関を過ぎて、国道1号線から上がっていく関蝉丸神社上社、旧東海道に沿い境内を京阪が横切る関蝉丸神社下社である。蝉丸が合祀されていることから、音曲芸道の上達(琵琶の名手)、眼病平癒(盲目から開眼)などにもご利益があるようだ。本来は大津側から上がって参詣すべきなのだろうけれど、坂を下る方が楽だろうと思って、標高の高い方から回った。いずれも神職が常駐していない小さな神社だ。お詣りに通行するところだけはきれいに整えられているが、端の方は草ぼうぼう。下社の境内には重要文化財の時雨燈篭が立つけれど、草に覆われていて近づくのも難しい。重文にしては扱いがぞんざいな気もするが、かえって自然だ。国が勝手に権威づけしたものを後生大事にしなければならないと妄信する方が危険なにおいがする。友人の美術史の学者から、国宝や重要文化財は箔づけではなくて、戦後海外流出防止のために設けられたと聞いたことがあるが、この燈篭など重文でなければとっくに破壊されるか、バラバラにされて野積みされるか、どこやらの擁壁の一部になってしまったことだろう。本殿裏の少し高い場所には小野塚と呼ばれる小野小町の石碑(このあたりにも住んだらしい)があったけれど、道はなく、落ち葉の斜面を滑り、雑木にかかる蜘蛛の巣を払いながら這いあがるしかたどり着くすべがない。案の定コケた。
国道1号線の交通量の多さだけが、往時の街道の繁栄を偲ばせる。道中誰ともすれ違うことなく、三社とも誰も参拝しておらず、木々に包まれた静かで落ち着いた雰囲気。観光客だらけの京都から少ししか離れていないのに。さびれた神社も蝉丸にふさわしい感じがする。
蝉丸に関係したものがないかきょろきょろしたが、見つけたのは、
  蝉丸トンネル(名神高速)
  蝉丸跨線橋(JRの上を京阪が渡るレンガ造りの橋)
  蝉丸仕様のとび太くん(関蝉丸神社下社前)
  蝉丸神社踏切(関蝉丸神社下社の短い参道を横切る)
というところ。伝説の人物だからあまり多くないのもしかたないか。やや離れるが、四宮駅近くの徳林庵に蝉丸の供養塔があるらしい。

蝉丸神社踏切と京津線

これや此の 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
  (表記は大石天狗堂の百人一首による)

カバー写真は、関蝉丸神社下社前の蝉丸仕様のとび太くん

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