どこまでAIに頼って、どこからは自分で考えるのか
先日、「探偵ナイトスクープ」で、人権標語を俳句のような五七五の形でAIに作らせて入選した娘さんの回がありました。お父さんは「うれしいけれど、これは本当に娘が考えた言葉なのか」とモヤモヤして依頼を出します。番組の中では、同じコンクールの入選者たちが集められて、人権標語をどうやって作ったのかを一人ずつ振り返る時間がありました。
そこで、AIに頼った子もいれば、自分で時間をかけてひねり出した子もいて、「どこまでが自分の言葉と言えるのか」という空気が、なんとなく全体に流れていました。最後には、「今度はAIを使わずに、自分の頭で人権について考えてみよう」と促されて、新しく標語を作り直します。
うまく整った言葉ではないけれども、本人なりの体験や考えから出てきた一文になっていて、お父さんも探偵もホッとしていました。この回を見ていて感じたのは、「AIを使うか使わないか」の是非というより、「AIを使うことで何を失い、何を得ているのか」を分けて考えないといけないな、という点です。
AIの話になると、「使う派」と「使わない派」の二元論になりがちです。けれど正直なところ、AIを全く使わないまま、AIを使いこなしている人と同じ速度やクオリティで走り続けるのは、検索やPCをまったく使わずに仕事をするようなものだと思います。今さら「電卓はズルだ」「ワープロはズルだ」とはあまり言わないのと同じで、ある程度のところまではみんながAIを使う前提で考えた方が現実的です。
そう考えると大事なのは、「AIを一切使わないこと」ではなく、「どこまでをAIに任せて、どこから先を自分の頭でやるか」を決めることです。検索やPCだって、使い方次第で力がつくこともあれば、ただのコピペにもなります。AIも同じで、適用範囲を間違えると、自分で考える力を削ってしまうし、たとえば「最初の一案は自分で出して、言い回しだけAIに相談する」といった具合にうまく設計できれば、むしろ考えるための時間と余裕を増やしてくれます。
考える力にもいろいろありますよね。何を知りたいのか問いを立てること。とりあえずの案や仮説を自分で出してみること。いくつかの選択肢の中から、どれが一番いいかを選ぶこと。その理由を自分の言葉で説明すること。そして、やってみたあとで「どこがよかったか」「どこが弱かったか」を振り返ること。こういう細かいステップの積み重ねが、まとめて「考える力」と呼ばれている気がします。
問題は、AIがこのプロセスのかなり広い範囲を、一気に代わりにやれてしまうところです。最初の一案をつくるところから、文章に整えるところまで、全部AIに任せることもできます。でも、それを毎回やっていると、自分の中で問いを立てたり、下手でも自分の案をひねり出したりする機会が減っていきます。ナイトスクープの人権標語も、子ども本人が考える時間が飛ばされていたからこそ、お父さんが不安になったのかもしれません。
完全にAIを拒否してしまうと、検索やPCを使わない人と同じで、どうしても不利な場面が増えていきます。一方で、最初から最後まで全部AIに投げてしまうと、今度は自分の頭が動く場面がなくなってしまいます。この両極端の間で、「どこまでは道具に任せてよくて、どこから先は自分の脳に負荷をかけるのか」を、自分なりに決めておくことが、そのままこれからの時代の「考える練習」の設計になるのかなと思います。
ナイトスクープのあの回は、そのことをうまく映していました。AIのおかげで立派な標語はあっさり作れてしまうし、それが評価されることもある。AIを使うか使わないかで悩むより、「AIを使う人と競争しながら、自分はどこで道具に頼り、どこはあえて頼らないのか」を考えてみる方がいいのではないでしょうか。
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