私が買った12本のファミコンソフト
ファミコンを手に入れてから、毎日『イー・アル・カンフー』で遊んでいた。バカみたいに遊んでいた。バカだから。
「ゲームは一日一時間」という高橋名人との約束は表向き守っていたが、母がいないときは当然ガン無視で遊んでいた。
親に嘘をつくことで子どもは大人になっていくのだ。
半月ぐらい過ぎた頃、母がはあーと溜息をついた。
「これ、見るの飽きた。もう一本買ってやる」と突然言い出した。
ヒャッホーである。
ゲームの神様は純真たる幼き信徒を見捨てはしないのだ。
2本目は『ゼビウス』に決めていた。
当時のファミコンの中で最も美麗なグラフィック。SFの世界観と壮大なバックストーリー。
『ゼビウス』は他とは違っていた。
ファミコンの中で『ゼビウス』だけが違っていたのだ。
これもバカみたいに遊んだがエリア16までは行けなかった。
ゲームをやめたら今日のプレイの反省と次の課題をノートに書いていた。
ノートを書き、無の表情でイメトレしている私を見て、ゲームをしていなくてもこの子はゲームのことばかり考えていると母は学力低下を懸念した。
考えた母は「テストで90点以上を維持したら月2本ソフトを買ってやる」という提案をしてきた。
それがファミバカを加速することになるとは思っていなかったのだろう。
私は月2本ゲームを買ってもらえるようになった。
ゲームの神様はまた私に手を差し伸べたのだ。
数年後、母になぜあんな提案をしたのか聞いたら、どこの家もファミコンを買ったらソフトを月2本ぐらい買うものだと思っていたらしい。
それも余計な出費なのでファミコンを買いたくなかった理由の一つだったそうだ。
それまで発売済のゲームを買っていたが、3本目ははじめて発売日に新作を買った。
1985年8月6日。晴天。暑い夏の日だった。
スーパーの開店と同時におもちゃ屋に急いだ。
『ドルアーガの塔』だ。
ドルアーガはなにもわからない子どもが遊んだどころでどうにかなるゲームではなかった。大人でもいまだにノーヒントでは無理だろう。
北大生がクリアしたとかクリアした高校生がいるらしいとかエンディングを後ろで見ていたら千円払えと言われたとかという噂があった。
『ゼビウス』の遠藤雅伸のゲームだからおもしろいに決まっている。
1%も疑うことなくそう信じていた。
ゲームデザイナー遠藤雅伸は芸能人やマンガのキャラ以外ではじめて憧れる存在だった。ゲームデザイナーという横書きの職業に対する小学生の憧れは、いまだとYouTuberみたいなものだろう。
ゲーセンでずっと画面を眺めて、ファミコンで遊べる日を楽しみに待っていた。
夏休みは海にも山にも行かず魔塔を昇っていた。
このときお世話になった攻略本はマイ名著としてしばらく大切にしていた。
引っ越しの時に手放したが、最近また買いもどした。思い出の本である。
そして、4本目は『スーパーマリオブラザーズ』、5本目は『キン肉マンマッスルタッグマッチ』とここまではよかった。
『パックランド(6本目)』と『いっき(7本目)』から風向きが変わった。
逆風にあおられて落とし穴に突き落とされ馬糞を流し込まれた。
これもゲーセンで遊んで、ファミコン版が出たら絶対買うと決めていた二本だった。
存分に遊ぶと決めていたのだ。存分に遊ぶつもりだった。
劣化移植という現実を見ようとせず、これはおもしろいんだと自分に言い聞かせながら遊んでいたけれど、3日もせずにスーマリを遊んでいた。
ノーワープノーミスクリア、タイムアタックとスーマリを連日やりこんだのは購入をしくじった現実から逃げていたのかもしれない。
このしくじりはクリスマスに買った『ボンバーマン(8本目)』で救われた。一緒に買った『バイナリィランド(9本目)』は難しかった。
お年玉で買うゲームは『ツインビー』と『エグゼドエグゼス』の二択。
これもゲーセンでよく遊んでいた。
2月に発売するディスクシステムを買うと決めていたからお年玉では1本しか買わなかった。
迷った結果、ステージ数が多くSFの『エグゼドエグゼス(10本目)』を選んだ。
二度あることは三度あるというがフルスイングでしくじった。
『ツインビー』が当たりだったのだ。
全5面だから選ばなかった自分を責めた。
いまでも『エグゼドエグゼス』のBGMを聴くと、すっぱいものがこみあげてくる。
これでゲーセンの移植ゲーを買うのをやめることにした。とどめを刺された。比較的がっかり移植が少なかったのはコナミぐらいだったような印象がある。
移植ゲーをまた買うようになったのはPCエンジンやメガドライブが出てからだ。
ディスクシステムと『ゼルダの伝説(11本目)』を買った。
映画のようなタイトル画面、広がりのあるBGM。
これが未来のゲームか。
キャッチコピーの「夢いっぱいディスク」の通り、これからすごいゲームがたくさん遊べるようになる。
もう『いっき』や『パックランド』や『エグゼドエグゼス』のような砂を噛むような思いはしなくてすむ。ディスクシステムでみな救われるのだ。
小学時代、最後に買ったのは『ハイドライドスペシャル(12本目)』。
卒業して中学入学までの休み期間の思い出はこれしかない。
世間の評価はともかく、好きなゲームのひとつだ。
『月刊少年ジャンプ』の攻略記事を頼りにクリアした。
ドルアーガほどではないけれどノーヒントでは厳しかった。
この12本が私がファミコンを手に入れてからの一年間で買ったゲームだ。
いまとなっては『パックランド』も『エグゼドエグゼス』も限られた中で最善を尽くした結果なのだろうと思えるようになった。
これはこれで味があっていい。ダメなものなどない。
そう思うようになったのは40年たってすこしは大人になったのだろう、おそらく。
