【①】親の離婚で人生、左右上下に乱気流
両親の離婚について、書いてみようと思う
構成はうまくいくかわからない。
けど、今もしも両親がちゃんと私を子どもではなく、一人の人間としてとらえ、言葉を聞けるそういう状態だった場合、一番言いたいことは何かと考えた。
抱えている憎しみの取り扱いが今も時々、本当に大変で、見捨てたことを謝ってほしい
ということと、
せめて、せめてでいいから相手の病歴を把握してから絶縁しておくれ
ということ。
私は別記事で連載中だが、病気治療中。初めの問診で、片親の病歴が空白、完全なるブランクで言葉を失ってしまった。
私は今でも親の影響で、乱気流に陥る時がこうしてやってくる。
10代から乱気流は1人での扱いが難しく、ようやく今(30代)、今の視点から当時のことを捉えなおすことを訓練のように専門家と取り組んできた。
私には、父親の顔面の記憶がない。
父親との唯一の楽しかった記憶は、都内の自然公園の芝生の上で、家から持って来たベージュの厚手の毛布-私はその肌触りと匂いが好きじゃなかった―に座り、父が毛布の4つ端を一つにつかみ、毛布を袋にした後にメリーゴーランドのように回転させる、その時の楽しさと空のまぶしさ、空に父の顔が影になり、毛布が暗くなり、回転により遠心力がかかる。父の手が地面近くで放される。芝生に毛布ごと転がる。きゃははと笑う。
楽しくてきらきらした記憶。
それからぼんやりと覚えていることは、たまに家にいる父の背中を踏んでマッサージをしたり、肩車、ピアノ(“猫踏んじゃった”のエンドレスリピート)を弾くと喜んでいたこと、1度か2度、ディズニーのVHSをくれたこと。父とそのビデオを一緒に見ることはなく、すぐに父は家の中からいなくなる。そういう記憶で、父の顔を知らない。いつも父は実際に子どもである私を見ていなかったんだろうな、と認識している。
自分自身を認識してくれている人は、その人がいない時にわかる。心にその人を思い浮かべると、ちゃんと正面を向いている。でも、私を見ていない人はこちらを見ていない。そういう法則があることを大人になって、父に似た自己愛の強い人と付き合い、ぼろぼろになって気が付いた。
後日談は置いておいて、
私は9歳(小4)の時に、闇を抱えた。
母が笑いながら思い出話をすることがある。
それは、私が小学校4年生の時に「人生やり直したい」といった、という出来事。
笑いながらこの子ったら、というテンションで思い出を語ってくるやばさが伝わるだろうか?
子どもが「人生やり直したい」というのは、ませているから、などと笑えることじゃない。
少なくとも、私はそうつぶやいた子に、どうした、何かあった?と聞く。
私は、その時毎日が厳しくてしんどくてだから「人生やり直したい」といった。
苦しみ。私の闇の根本は、複雑な両親の離婚。
私の母と父は、私が9歳の時に離婚をしている。
父は外国籍で母は大学教授。
母は、日本に父を呼び、家を建て、暮らし始めていた。父は新聞配達やガソリンスタンドでアルバイトをしていたとも聞く。本国では大学で英語教師やら科学者だったらしく、もしそうだったなら、父のプライドも日本で厳しかったんじゃないかなと、今は思う。
離婚の原因は、父の浮気(結婚詐欺)と母には聞かされている。「当時、日本国籍が父の国から大人気で、それを手に入れるために結婚詐欺が横行していた」そうだ。
この事実は、後に父に手紙で確認した。成人してから、父の言い分を聞きたいと思い、唯一父と絶縁しなかった母方の叔父に父の連絡先を聞いた。母には秘密で、父と何通か手紙をやりとりした。
手紙では、私は父を「貴方」と呼び、敬語を貫いた。
父は浮気を認めたが、詐欺については何も書いてなかった。父の手紙は一方的で、被害的で、哀れで、許しを乞うて、一方通行の猛烈な自己弁護の言葉は、母とまったく似ているなと半ば呆れ、私は手紙のやりとりをたった。
私は、一方的にどちらかがいけなかったとは思っていない。どちらもヤバいやつ。そして、ただの人間。生きるために別れた方が幸せな人間関係があることも知っている。ただ、子どもがどんなその後を生きるのか、頭が良いだろうに、両親はわからなかった。
2人の関係以外に、何が壊れたのかを理解できない。
どのように書けばいいか、悩んだが、
① 離婚調停スタートから、離婚後落ち着くまでにおこった悪影響
② 絶縁状態に持ち込まれることで起こる悪影響
③ 追加のエピソード
を具体的エピソードを交えて書いていこう。
この記事の終わりはわからない。
あまり楽しくはない過去だけど、誰かが読んでくれれば、当時の私は一人じゃないと思える気がする。
