宗教の限界と文字秩序の可能性_日本と日本語の果たす役割についての論考
2026年4月8日(水) 宇治の桜を愛でながら言の葉をつむぎ始める。
2026年2月28日にイスラエルの狂襲で始まったイラン問題は混迷を極めており、同年4月8日現在においてその帰結を予測するのは困難な状況にあります。
情報戦で敗勢に陥ったイスラエルが核を使うのでは??
我々の懸念の重心はここにあり、「全て」を無かったことにするためにイスラエルが核を使う確率は日増しに高くなっています。
しかも、イスラエルが核を炸裂させるのが中東だと限らないところが混迷の度を深いものにしているのです。
しかしながら、この混迷の原因は明白です。
カミによる秩序の限界。
人類は長らくカミによって秩序を構築し、その秩序の中で文明水準を高めてきました。
だが、あるカミによる秩序と別のカミによる秩序は相容れないため、カミ発明以降において人の世に争いの絶えたことはありません。
確かに、カミによる秩序は「共同体の内部」において繁栄をもたらすことができます。
だがしかし、「共同体の外部」においては争いを引き起こしてしまいます。
それでも近代20世紀までは、カミが人の世にもたらす繁栄の方が大きかったため、人類文明は発展しながら存続することが出来ました。
翻って、現代21世紀はそうではありません。
核と高度IT並びに高度AIが出揃った現代21世紀においては、争いが人類文明の破綻に繋がってしまうからです。
もはや、カミによる秩序では人類文明を存続させることが出来ない段階に差し掛かっているのです。
そして、カミによる秩序に代わる新しい秩序が世界に求められています。
果たして、そんなものがあるのでしょうか?
カミに頼らずに人は秩序を保てるのでしょうか??
無宗教で秩序を保てる国家なんて存在するのでしょうか???
有史以来、無宗教で秩序を保てた民族など存在したのでしょうか????
現代世界の常識は、「ノー!」ッ、と気色ばんで答えるはずです。
しかし、たった一つの国の民族だけは、「はい、存在します」、と秩序立って答えます。
有史以来、一つだけ、カミによる秩序を必要としなかった国と民族があります。
その国ではカミとは別の「何か」でとても強い秩序を構築し、そこに生きる人々はその秩序の中で穏やかではあるが確実に繁栄を築いてきました。
日本。
日本という国では「文字」によって強い秩序が構築されており、そこで暮らす人々はそれ以外の人々とは異なる思考原理・行動原理によって動いています。
信じられないかもしれませんが、日本人はカミを必要とせず、宗教なしでも強い秩序を保つことができ、2026年サッカーワールドカップでは恐ろしいほどに秩序立ったサッカーでダークホースと目されています。
いま、カミによる秩序が限界を迎えている現代21世紀、人類には宗教に代わる新しい秩序が必要となっていますが・・・
文字の国・日本に、その新しい秩序が残されていたのです。
本書は「文字秩序」という古くて新しい秩序形態を世界に向けて紹介し、人類文明を存続させる橋頭堡とします。
それでは、これから52500文字時間のお付き合いをどうかよしなにお願い致します。
因みに、2026年サッカーワールドカップにおいて日本は・・・ベスト8をかけた闘いで嘘のようにボロ負けする・・・と予想したところで本論に入りましょう。
秩序立った日本では人々がとても穏やかであり、こんなにことを書いたって大丈夫なんdeat
第一章 なぜ日本人は無宗教なのか? 前編
…第一章では、日本人が無宗教でも秩序を保てていることを切り口にして、「文字秩序」の存在と文字による秩序構築能力の凄まじさを言語可視化していきます。
エロ本としての日本語
日本以外に住まう異邦の人々は信じないかもしれませんが、日本にはエロ本なんていう穢らわしいものは存在しません。
「じゃあ、どうやって? おいお前ら、どうやって??」
異邦の人々からはこうしたフランクリーな質問が予想されます。
その答えを目をかっぽじって見てもらいましょう。
嬉 = 女 + 喜
日本人にとっては一目瞭然ですが、異邦の人々には解説が必要でしょうから、ここでは野暮を承知で少しだけ説明させてもらいましょう。
「嬉しい」という感情はどういうものでしょうか???
異邦の人々はこの問いに対して、「あーでもない、こーでもない」と色々と理屈をこねながら議論を踊らせることでしょう。
他方、日本人は議論なんてしません。
日本人は自ずと皆が知っているから、議論なんてする必要がないのです。
チョメとアレがアウフヘーベンした瞬間の感情が「嬉しい」なのだと、日本人は皆、国語の時間の中で読み書きして自然と学んでいくのですよ。
言うなれば、日本語体系はそれ自体が究極のエロ本なのですね。だから、日本人はエロ本なんていう穢らわしいものを必要としないのです。
詳しいことは日本の友人に上図を神妙な面持ちで見せながら「コレ、ナニ?」と尋ねて下さいね。
表意文字の破壊力
現代日本には、世界で唯一、体系的な表意文字が残されています。
文字の中に意味が宿っており、文字を見るだけで人々が意味や価値観を共有できる。
こうした文字のことを「表意文字」と言います。
例えば、「正しさ」という文字。
英語では「justice」になりますよね。ですが、justice、justice、justice と文字面を何度いやらしい目で眺めようとも、初見の部外者はjusticeの意味するところは分かりません。
しかし、日本語の「正」は素直な目で見るだけで正しさの意味が分かります。
正 = 王 + 右腕を縦にする
正しいという文字を眺めると、「王」が「右腕を縦にしている」ことが分かります。
ここで人が腕を縦にするジャスチャーは、古今東西、命令を出している時だと相場が決まっていますよね。
つまり、正しさとは王の命令。
正しさという文字が、このことを見た目で示しているのです。
正しさとは王の命令、転じて、力こそが正義。
こうした普遍なる世の摂理であったり、世の中の本音の部分が日本語には刻み込まれているのです。
日本語には本音が宿っている。
ここで、正しさという文字をもう一度眺めて分解してみましょう。
正 = 一 + 止
「正」という文字は「一」と「止」という二文字にも分解出来ますよね。
ここから、「正しさとは基本で立ち止まって思考することなんだよ」、という表向きの建前すらも分かります。
日本語には建前も宿っている。
このように、日本人は文字を見るだけで、ある概念における本音も建前もどちらも知ることが出来るのです。
体系的な表意文字が日本には残されているので、日本人はそれを見るだけで概念の意味を裏も表も知ることが出来る訳です。
優しくなければ生きる価値はないのか?
日本語には意味が視覚的に刻まれているので、文字を見ることによって日本人は意味を共有することが出来るのです。
ここでもう一つ、「優しさ」という言葉の意味を文字を眺めることで解読してみましょう。
優 = 「人」+「一」+「自」+「心」+「友」
これは少し応用問題になりますね。
優しさという文字は、「人」「一」「自」「心」「友」、この五つの文字に分解できることが分かりました。
ここから次のことが分かります。
優しさとは、人が自分と友の心を一にしている状態。
つまり、「優しさとは相手の立場になっている状態なんだよ」という含意が「優」の一文字に刻まれていることが分かります。
したがって、日本人は「優」という文字を読み書きする時に、優しさの意味を何度も何度も何度も何度も視覚から刷り込まれて、いつの間にか皆で共有しちゃってる訳です。
日本人は文字による視覚的な刷り込みによって、意味とその延長線上にある価値観を共有しています。
翻って、異邦の人々はどうでしょうか?
なぜ、汝は隣人を愛すのか?
英語で優しさはkindnessになりますよね。
しかしながら、kindness、kindness、kindness、kindness・・・何度この文字羅列を眺めても部外者はkindnessの意味するところが分かりません。
アルファベット文字は音だけを示す「表音文字」であり、意味を示す「表意文字」ではないからです。
英語話者は単語文字を見ても、それを見ただけでは、その意味するところが分からないのです。
では、どうやって英語話者は優しさの意味を知るのでしょうか?
英語話者だけでなく、日本語以外を使っている異邦の人々はどうやって優しさの意味を知るのでしょうか??
異邦の人々はどうやって優しさという価値観を「共有」するのでしょうか???
優しさを知らない人間なんてものは生きる価値がない、と言ったものですから、意味を知らなければなりません。
「文字」を見ても優しさの意味が分からないのですから、「他の何か」で優しさの意味を知ることになります。
言い換えれば、「他の何か」で優しさとは何かを皆に共有させてやらなければなりません。
そこで「カミ」のお出ましです。
汝、隣人を愛せよ
己の欲せざるところ人に施すことなかれ
「汝、隣人を愛せよ」
キリスト教においてはこのように超越的な存在に命令させることで、優しさとは何かを規定しています。
「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」
儒教においてもこのように超越的な存在に命令させることで、優しさとは何かを規定しています。
つまり、異邦ではカミに命令を出させることで、人々の行動を規定して、優しさを共同体に根付かせているのです。
そうすることで秩序をもたらして、諍いや争いを減らして人々が仕事に打ち込めるようにして、共同体を豊かにするのですね。
この流れを図にしてみましょう。
カミの命令→優しさとは何かを規定→秩序構築→共同体が豊かに
日本以外では、カミの命令によって「優しさとは何か?」を規定し、秩序を構築して共同体を豊かにしてきたのです。
あまり知られていませんが、こうした秩序構築メソッドのことを「宗教」と言います。
異邦ではカミによって秩序を構築しており、この方法論のことを宗教と言っているのですね。
さて、先ほど日本では文字によって秩序を構築していると言いましたが、もう一度確認してみましょう。
文字による価値観の刷り込み
男 = 田 + 力
ここでは男という文字をまじまじと眺めてみましょう。
男という文字は「田」と「力」に分解できますよね。
「男とは田んぼで働く奴ら」ということを文字が示している訳です。言い換えれば「男とはなんぞや?」が文字によって示されている訳ですね。
これは価値観の刷り込みに他なりません。
「男は働き、女は家を守る」という価値観が少し前までありましたが、そのうちの前半分の価値観を「男」という文字が示しているのです。
では、女はどうでしょうか?
女という文字に込められた大和の価値観はどんなものでしょうか。
「女」
まあ、見たままですわ。「女とはなんぞや?」が文字によってあまりにダイレクトに示されている訳ですね。
よくわからない異邦の人々は、日本の友人に「コレ、ナニ?」と尋ねてみてくださいね。
このように、日本の文字は見るだけで意味とその先にある価値観を知ることが出来ます。
だから、日本人は文字を何度も何度も何度も読み書きしていくうちに様々な価値観を共有することが出来るのです。
文字の刷り込み→価値観の共有→秩序構築→共同体を豊かに
その結果、日本では価値観が共有されて秩序が生まれ、諍いが減って人々が仕事に打ち込めるようになって、世の中が豊かになっているのです。
カミによる行動の規定
日本では文字によって様々な価値観が刷り込まれていることがわかりました。
では、異邦では一体全体どうなっているのでしょうか?
海外ではどうやって男と女の価値観が規定されているのでしょうか?
キリスト教圏には次のような逸話が伝承されています。
『大昔、エデンというところでアダムという男とイブという女が禁じられた知恵の実を食った。それを見て怒り狂ったカミは、アダムに対しては労働というペナルティーを、イブに対しては出産というペナルティを与えたもうた。』
つまり、カミが「男は働け!」「女は出産しろ!」と命令することによって、男と女の差異を規定しているのです。
このように日本以外の異邦では、カミが行動を規定することで、人々の様々な行動を規定しているのです。
2つの秩序
①カミ秩序 カミの命令→人々の行動を規定→秩序構築→共同体を豊かに
②文字秩序 文字の刷り込み→人々の価値観を規定→秩序構築→共同体を豊かに
カミの命令によって行動を規定して共同体に秩序を作り出す「カミ秩序」。
文字の刷り込みによって価値観を規定して共同体に秩序を作り出す「文字秩序」。
この2つの秩序構築メソッドを解説してきましたが、両者には明確な違いがあります。
カミが人々の行動を規定するのに対して、文字は人々の価値観を規定する。
ここが最も重要なところとなります。
なぜ大和撫子はモテモテなのか?
カミは「行動」そのものを規定→応用が効かない
文字は「価値観」を規定 →応用が効く
『日本人女性は海外に行くとモテる』
究極の都市伝説だと思われていた言説でしたが、冷戦が終結しグローバル化の時代となり、本当にモテやがることが分かってきました。
トルコなんて行こうものなら、ビジュアルなんて度外視でアイドル扱いです。
なぜなのでしょうか?
なぜ、大和撫子は海外に行くとモテやがるのでしょうか??
トルコの男性は正気なのでしょうか???
この超常現象は異邦人と日本人の秩序構築メカニズムの違いから説明できます。
まず、異邦の人々はカミの命令によって「行動」を規定されています。
「汝、隣人を愛せよ」ってな具合で、行動そのものを決められている訳です。
だから、異邦の人々はそこからはみ出したイレギュラーケースでどうしていいのかがわかりません。
カミが命令していないジャンルでは、どうしていいのかがわからなくなってしまうのです。
翻って、日本人。
日本人は文字によって「価値観」を規定されています。
「優しさとは、他人の心を自分に引っ張り込んで思考することだよ」ってな具合で、行動の指針である価値観を決められている訳です。
よって、日本人はその価値観にしたがって、どんなケースでもどうしていいのか判断できます。
日本人だけは、自分の心で思い、自分の頭で考え、自分で行動を決定することが出来るのです。
つまり、「慮り」に基づいて行動を決定できる。
だから、大和撫子は海外でモテるのです。
行動原理
異邦人 原則、カミの命令に従う
日本人 文字の規定する価値観を応用する
なぜ日本人は無宗教なのか? 前編
これは日本の人々に聞きたいのですが、異邦から来たインバウンドを見て「この人は空っぽだなあ」と思ったことはありませんか?
電車に乗っていて、目の前に他人様がいるのにデカい声で遠くにいる仲間と喋る。
そういう時に「この人とは行動原理が違うなあ」と思ったことはありませんか??
私は京都に赴く機会が多いこともあり、インバウンドに対してこうした思いを頻繁に抱いてしまいます。
この原因は明白です。
実際に、異邦人と日本人では行動原理が異なるのです。
かたや、カミの命令で「行動そのものを規定」されて秩序を構築している異邦人は、イレギュラーケースにおいて行動から秩序が失われる。
だから、隣人愛エリアからはみ出した日本という場所において、異邦人は秩序を乱す振る舞いをしてしまう。
かたや、文字の刷り込みで「価値観を規定」されて秩序を構築している日本人は、あらゆるケースにおいて秩序を保つことが出来る。
だから、大和撫子はトルコに行っても慮りを忘れずに行動して、ネコ被ったみたいにモテやがる。
このように、異邦人と日本人では秩序構築メカニズムと行動決定メカニズムが本質的に異なるのです。
カミによって秩序を構築する異邦人。すなわち有宗教の異邦人。
カミを必要とせず、文字によって秩序を構築できる日本人。すなわち無宗教の日本人。
こうした峻別が行えるのです。
第二章 カミによる秩序と文字による秩序
第一章では、世界の大部分がカミによって秩序を保っている中で、日本だけが文字によって秩序を保っている現状を紹介しました。
秩序形態 秩序主体 宗教の有無
カミ秩序 カミ 有宗教
文字秩序 文字 無宗教
AI秩序 AI ??
カミが人々の行動を規定して秩序を保つのに対し、文字は人々の価値観を規定して秩序を保っているのです。
この秩序形態の違いから、異邦の人々と日本人では行動原理や宗教の有無に違いが生じていることが分かりました。
この第二章では、2つの秩序形態を歴史という文脈の中で眺め、カミ秩序と文字秩序について読者をより深い理解へと誘います。
なぜ日本では神棚と仏壇が共存するのか?
日本にだって宗教と言われるものはあります。
神道や仏教など、古くから日本に根付いたものがありますよね。
日本で生き残っているカミにはある共通点があります。
カミが命令を出さない。
人見知りするカミだけが日本では生き残ることが出来たのです。
なぜでしょうか?
何故、日本ではカミが命令を出さないのでしょうか??
日本では文字が命令を出すからです。
日本では文字が命令を出すことで秩序を保てているため、カミが命令を出すとややこしいことになる。
だから、日本では命令を出すカミは生き残れなかったのです。
命令を出さないで日本の文字秩序に害を及ばさない。そんなカミだけが生き残ったのです。
宗教 カミは?
日本 弱い宗教 命令を出さない
異邦 強い宗教 命令を出す
このような経緯で、日本には自己主張をしない神々だけが集っているため、神棚と仏壇などが共存できているのですね。
なぜ日本ではキリスト教が根付かないのか?
日本ではキリスト教徒の割合が1%以下となっています。
これは世界的に見てとても少ない数値です。
鹿鳴館などに見られるように、明治維新の後に日本人はこれでもかと西洋の概念を取り入れていったのに、キリスト教は日本に根付きませんでした。
なぜでしょうか?
何故、キリスト教は日本では受け入れられないのでしょうか??
カミが命令を出すからですね。
「汝、隣人を愛せよ!」ってな塩梅でカミが命令を出してくるけれども、文字によって価値観を刷り込まれている日本人は「そんなん知っとるわ!!」となって、カミによる洗脳工作を受け付けないのですよ。
日本人に刷り込まれた文字秩序がカミ秩序を跳ね返す訳ですね。
だから、日本ではキリスト教が根付かないのです。
宗教と文字のトレードオフ
宗教 文字
日本 弱い宗教 強い文字(表意文字)
異邦 強い宗教 弱い文字(表音文字)
ここまでの議論によって、宗教と文字の法則が少しだけわかってきました。
かたや日本ではカミが命令を出さず、その代わりに文字が命令を出します。
言い換えれば、弱い宗教と強い文字の組み合わせになっています。
かたや異邦(海外ですね)では文字が命令を出さす、その代わりにカミが命令を出します。
言い換えれば、強い宗教と弱い文字の組み合わせになっています。
ここで出てきた命令を出す強い文字のことを「表意文字」といい、ここで出てきた命令を出さない弱い文字のことを「表音文字」といいます。
要は、カミが命令を出す異邦では文字が命令を出さず、文字が命令を出す日本ではカミが命令をださない。
宗教と文字は反比例の関係になっているのです。
なぜ中国では文字によって秩序を保てないのか?
インバウンドの中でも最近とみに注目を集めているのが中国の方々ですよね。
倫理観があまりよろしくないということで、俄然注目が集まってしまっています。
これはここまでの議論からは少し受け入れにくい事柄でしょう。
何故ならば、中国では日本と似ている文字を使っており、表意文字による強い秩序が構築されていると考えるのが自然だからです。
この流れからは、中国人も日本人同様に秩序立って振る舞うはずですが、現実はそうなっていません。
なぜでしょうか?
何故、中国人は秩序立って振る舞えないのでしょうか??
実は、中国にはもはや体系的な表意文字が残っていないのですよ。
中国は大陸国家であるがゆえに太古から戦乱が続き、権力が交代するたびに文字が変更になり、修正が何度も何度も何度も何度も加えられ、文字から秩序構築能力が奪われていったのです。
近代に入ってからも、革命が起こるたびに文字の形状と文字の数が変更され、元々文字に備わっていた価値観の刷り込み効果が失われてしまいました。
だから、中国の方々は文字秩序を失ってしまったのです。
それでいて、中国には強い宗教がなく、宗教によって秩序を構築することも覚束ず、その結果として中国の方々は秩序立って振る舞えないのです。つまりは倫理があまりよろしくないのですね。
このように、日本以外にも表意文字を使っている国は少ないながらもまだ残っていますが、その多くが既に体系的な表意文字ではなくなっており、秩序構築能力を失ってしまっているのです。
これが、現下世界において日本だけが文字で秩序を構築していると述べる了見です。
宗教 文字 国家権力
日本 弱い宗教 強い文字 弱い
異邦 強い宗教 弱い文字 弱い
中国 弱い宗教 弱い文字 強い
また、「文字」も弱くそれでいて「宗教」も弱い中国では、そのままではうまく秩序を構築できませんよね。
そこで中国では「国家権力」が強くなって、人々の行動を規定したり価値観を規定したりして秩序を構築しなければなりません。
だから、中国では古から今に至るまで専制政治が続いているのです。
その一方で、古から文字だけで強い秩序を保てた日本では、権力者が強くものを云わない緩い政治で事足りてきた訳です。
なぜ30年戦争で人口の半分が死んだのか?
1618年から1648年まで欧州を舞台に繰り広げられた30年戦争では人口の半分が死んだと言われる地域もあります。
なぜ、30年戦争はそれほどまでの惨劇に発展したのでしょうか?
ここまででの知見を用いてその原因を探っていきましょう。
欧州の簡易年表
中世欧州 宗教による秩序
16世紀 宗教改革
キリスト教離れ
宗教秩序の喪失
無秩序状態
17世紀初頭 30年戦争勃発
人口の半分が死亡
まず、中世の欧州では既に文字秩序が失われ、宗教秩序で人の世に秩序が構築されていました。
キリスト教によって秩序が保たれていた訳ですね。
しかし、16世紀の宗教改革によって欧州の人々がキリスト教離れを起こしてしまいました。
宗教によって秩序を構築していた欧州から、宗教が引き算されてしまった訳です。
結果、欧州に秩序がなくなりました。
無秩序状態となった欧州では、万人の万人に対する闘争が勃発し、人口の半分がなくなる地域すらもあらわれました。
これが30年戦争が惨劇に発展したメカニズムです。
カミ秩序の共同体が宗教を捨てると一体どうなるのか?
宗教という概念がどれほどの強い秩序を世の中にもたらしているのか??
このことをまざまざと見せつけたイベントが30年戦争だったといえるでしょう。
目下世界で、宗教対立が問題の根っこだからといって、対案を提示することなく宗教をやめろという人がいます。
しかしながら、宗教で秩序を保っている人々がいきなり宗教を捨ててしまうと、30年戦争のような惨劇が繰り返されてしまうのです。
したがって、いま宗教を捨てろというのであれば、宗教以外の「何か」で人々が秩序を保てる方法論を提示しなければならないのです。
なぜ日本は植民地にならなかったのか?
18世紀から19世紀にかけてアジア諸国が次々と欧州列強によって植民地にされていく中で、日本は植民地になりませんでした。
なぜ日本は植民地にならなかったのでしょうか?
ここでは宗教秩序と文字秩序という本書が提示する新しい叡智を用いて、この問題に対して答えを導いてみましょう。
日本の簡易年表
中世日本 文字による秩序
19世紀 列強襲来
明治維新 文字教育の強化
文字秩序の強化
生産性の劇的な向上
富国強兵が成就
まず、日本では有史以来ずっと文字によって秩序が構築されてきました。
類い稀なる「海洋国家」という地理的条件によって、争いが極めて少なく、文字を奪われる・押し付けられるという悲劇がなかったため、日本では連綿と同じ文字秩序を維持してこれたのです。
宗教も海外から時折入ってきましたが、カミが命令を出さず、日本の文字秩序を阻害しない弱い宗教だけが生き残ることが出来たのです。
こうして、宗教はあるにはあるが秩序を構築するほどの宗教ではなく、日本では文字が秩序を構築し続けたのですね。
そんな文字の国・日本に欧米の列強がやってきたのが1800年代中葉です。
元勲たちは明治維新によって教育を充実させ国力増強に努めます。
なかでも、あらゆる教養の原動力となる「文字教育」に力が割かれました。
日本人の識字率が急激に上昇し、文字を日常的に扱う人々の数もまた急激に増加したのです。
文字秩序の国で、文字秩序が強化されていきました。
「優しさってのは、人が他人の心を自分に引っ張り込むこと…」ってな具合の価値観がどんどんどんどん共有されていき、日本人はそれまで以上に秩序立って思い・考え・行動するようになっていきます。
その結果、明治維新以降、日本の経済生産性はドラスティックな向上を魅せたのです。
【文字秩序の日本】列強に伍するために教育を強化→識字率の向上→文字秩序が強化→生産性向上→富国強兵
このようにして、日本は強靭になった経済の上で軍事を強化し、明治維新から僅か35年で大国ロシアを破るほどになりました。
つまり、日本は文字秩序の強化によって富国強兵を成就させて列強を跳ね除けたのです。
なぜアジア諸国は植民地になったのか?
一方で、他のアジア諸国は次々と列強の軍門に下り植民地になっていきました。
これを日本との対比で見ていきましょう。
アジア諸国は押し並べて「大陸国家」であり、古代から中世にかけて恒に戦乱が激しく、文字狩りや文字の押し付けが幾度となく行われてきました。
その結果、中世においてアジア諸国は総じて体系的な表意文字を失い、文字による秩序からカミによる秩序へと移行していきます。
時は下って19世紀。
文字ではなくカミによって秩序を保っていたアジア諸国に列強が押し寄せてきます。
アジア諸国も日本と同様に文字教育を強化して、国力の底上げを志向しますがここからが日本とは異なります。
アジア諸国の簡易年表
中世アジア 宗教による秩序
19世紀 列強襲来
文字教育強化・識字率向上
キリスト教の流入
宗教が二極化
宗教秩序の混乱
生産性低下・植民地に
文字教育の強化は識字率を向上させますが、これはアジア諸国において秩序を強化しませんでした。
なぜならば、アジア諸国は既に文字秩序を失っていたからです。
一方で、文字が読めるようになったがために、アジアの人々は「聖書」を読むことが可能となりました。
皮肉なことに、識字率の向上によって欧州列強がごり押しで布教してきたキリスト教が流入してしまったのです。
アジア諸国にはそれぞれ土着の宗教がありましたが、キリスト教の流入によって宗教秩序が二極化して混乱を来たします。
結果、秩序が失われて、経済生産性がさらに下がって軍事を拡張できず、そこを列強に突かれて植民地になってしまったのです。
【文字秩序の日本】列強に伍するために教育を強化→識字率の向上→文字秩序が強化→生産性向上→富国強兵
【宗教秩序のアジア諸国】列強に伍するために教育を強化→識字率の向上→キリスト教の流入→宗教秩序が混乱→生産性低下→植民地に
かたや文字秩序の日本では、文字教育の強化が文字秩序を強化して列強を跳ね返す原動力になった。
かたや宗教秩序のアジア諸国では、文字教育の強化が宗教秩序の混乱を招いて列強の侵攻を後押ししてしまった。
このように、両者では秩序形態が大きく異なっていたことが明暗を分けたのです。
文字秩序からカミ秩序への相転移①_文字の発明
ここでは、日本にだけ体系的な文字秩序が残っているプロセスを述べて行きますね。
文字発明。
文字が発明されて以降しばらく、人類はみな「表意文字」を使っていました。
イラストのようなものを地面に書いて、それによって価値観や意味の共有を行ったのが文字の始まりであり、意味・価値観が含有された表意文字こそが人類最初の文字だったのです。
表意文字によって価値観の共有が可能となった人類は「秩序」を獲得しました。
そして秩序立って動くことで宿敵・マンモスを打ち破るなどの大金星を積み重ね、生きとし生けるものの頂点に駆け上がって行きます。
こうして地球上に敵なしとなった人類は、予定調和で内輪揉めを始めました。
人類の敵が人類の時代に入ったのです。
ここで文字の役割が変化します。
それまで人類に共有の敵があった時代においては、文字の役割は価値観の共有とその先にある「秩序構築」でした。
だが、人類同士の闘争の時代に入ると、何をおいても「コミュニケーション能力」が文字に対して求められるようになりました。
文字に求められる役割 主要な文字
古代 価値観の共有 表意文字
中世 意思伝達 表音文字
古代から中世にかけて、文字に求められる役割が図のように変化していったのです。
このプロセスで表意文字から表音文字への移行が進行しました。
かたや「表意文字」にはぎっしりと情報が詰まっているため、意味や価値観といった重要なことを伝えることが出来ますが、その反面、迅速なコミュニケーションには不向きというデメリットがあります。
かたや「表音文字」は音にまつわる情報しか含まれていないため、意味や価値観といった深いことは伝えられませんが、その反面、迅速なコミュニケーションを行えるというメリットがあります。
メリット デメリット
表意文字 価値観の共有可 意志伝達が遅い
表音文字 意志伝達が速い 価値観の共有不可
そして、人類よりも強い生物がいた時代には、人類が一丸となって敵と戦うために「価値観の共有」が優先され、「表意文字」が重宝されていたのです。
やがて、人類が地球上で敵なしとなり「人類同士が激しく潰し合う時代」に入ると、価値観の共有よりも「意志伝達の速さ」が優先されるようになり、「表音文字」が重宝されるようになったのです。
このようにして、古代から中世にかけて、世界中で表意文字が廃れていく中で表音文字が使われるようになっていったのです。
ところが日本だけは違いました。
日本は「THE海洋国家」であり、戦乱が極めて少なく、大陸国家のように「人類同士が激しく潰し合う時代」がありませんでした。
そのため、先ほど述べた文字に求められる役割が日本においては「価値観の共有」のままで止まったのです。
だから、日本では中世に入っても表意文字が維持されました。
さらに、中世の終わり、明治維新で文字教育が強化されて表意文字のもつ秩序構築能力が本格化したことは先ほど述べた通りです。
ここまでが、日本にだけ体系的な文字秩序が残っているプロセスです。
文字秩序からカミ秩序への相転移②_カミの発明
古代から中世にかけて表意文字に代わって表音文字が世界のスタンダードになります。
ここでとても大きな問題が発生しました。
文字に求められる役割 主要な文字
古代 秩序構築 表意文字
中世 意思伝達 表音文字
表意文字が廃れたことで、文字で秩序を構築できなくなってしまったのです。
秩序を構築できないと内部で諍いが頻発し、人々が仕事に打ち込めなくなってしまい、共同体が貧しくなってしまいます。
これでは外敵に滅ぼされてしまいますよね。
そこで人々は文字以外の「何か」で秩序を構築する必要に駆られました。
必要は発明のマザー。ここで人類はとても大きな発明を成し遂げたのです。
カミ発明。
人類はカミという超越的な存在に命令を出させることで、秩序を保つという新機軸を打ち出したのです。
これによって、表意文字がなくとも人々は秩序を構築できるようになり、安心して表音文字を使うことが可能となったため迅速な意思疎通が可能となりました。
出来るだけ軽くて速い、そんな表音文字を作った民族は戦に強くなり、生存確率が高くなっていきます。
このプロセスでどんどんどんどん文字の中から意味や価値観が排除されていき、表意文字から表音文字への移行がさらに進行したのです。
言い換えれば、優れた表音文字体系を構築できた民族が生き残ったのですね。
ここでアルファベットやアラビア文字そしてキリル文字といった現代に残っている表音文字の原型が完成しました。
カミの発明によって、文字が秩序構築の仕事から解放され、そこから文字はコミュニケーションの仕事だけを担当するようになったのです。
◼️文字とカミの役割分担◼️
秩序構築 コミュニケーション
古代まで 文字 文字
古代以降 カミ 文字
古代までは秩序構築もコミュニケーションもどちらも文字が担当していたため、どうしても文字の情報量が重たくなるという欠点がありました。
しかし、カミが発明された古代以降は違います。
古代以降においてコミュニケーションだけを担当することになった文字は、文字の情報量を軽くすることが可能となったのです。
表意文字から表音文字に移行することで、文字の情報量を少なくして伝達に適した言語体系を構築した訳ですね。
ここに「カミ=秩序担当」「文字=コミュニケーション担当」という役割分担が完成しました。
日本以外において。
秩序構築 コミュニケーション
日本以外 カミ 表音文字
日本 表意文字 表意文字
他方、日本は「THE海洋国家」という唯一無二の性質から、カミではなく表意文字で秩序を維持することになったのでした。
日本だけは、文字が秩序構築とコミュニケーションを兼任することになったのです。
ここがとても大きな分水嶺となりました。
実は、日本という特異点の発生が、現代21世紀において人類文明が危急存亡の秋を脱するためのキーとなります。
これについては後の章で詳しく述べることにしましょう。
さてさて、日本だけは表意文字を使い続け、文字が秩序構築とコミュニケーションをともに担い続けた訳です。
その結果、日本はまさにガラパゴスな国になりました。
例えば、国際会議の席上で、他の国の政治家が丁々発止の議論を繰り広げる傍、日本の政治家だけはただ静かに微笑む。
例えば、サッカーの国際大会で何故か日本のサポーターだけはゴミを拾っている。
例えば、行動に起こすまではとてもトロいくせに、やり始めたら日本人の仕事は誰よりも精緻。
例えば、日本人だけが漢字・カタカナ・平仮名という三つの異なる文字を自在に使い分ける。
例えば、日本ではただのおばちゃんが何故かトルコではアイドル。
例えば、日本人だけが何故か無宗教。
といった風に日本人だけが大きくズレているのです。
こうした日本人のズレの正体は、そのほとんどが表意文字を使い続けたことにあります。
カミに頼らずとも文字によって秩序を構築できる。
カミ秩序ではなく文字秩序。
ここにこそ日本と日本人が唯一無二である理由があるのです。
第三章 なぜ日本人は無宗教なのか? 後編_日本語による洗脳防御機構
第一章では、秩序構築メソッドにはカミ秩序と文字秩序の2つがあることを解説しました。
第二章では、カミ秩序と文字秩序の関係を歴史的分脈の中において精査しました。
第三章では、日本語に備わっている「洗脳防御機構」といふものを解説します。
言い換えれば、日本人が宗教に洗脳されない理由を突き詰めて追求していきます。
なぜ日本人は歴史教科書を読むと眠たくなるのか?
異邦の人々は信じないかもしれませんが、日本人の98パーセントが教科書を読むと眠ってしまいます。
ノロマで生真面目なことだけが取り柄の日本人が、まさかまさかヨダレを垂らして居眠りするなんて信じられないかもしれません。
だが、これこそが日本の教育現場のファクトリアルなのです。
なぜ日本人は教科書を読むと眠ってしまうのでしょうか?
実はここにも、文字による秩序という日本の特殊性がとても強く関わっています。
まず、日本語には意味や価値観が宿っており、それを読み書きすることで価値観が日本人に刷り込まれて共有されます。
そして、日本人は文字を読み書きするたびにその価値観を増幅させることになります。
価値観というものは日頃はなんとなくフワッと頭にあるものですよね。
これが文字を見ることによって、、「正=王+右手を挙げる」、、ああそうだった、正義ってのは王の命令なんだよなと根元的な意味や価値観をあらためて思い起こすのです。
つまり、日本人は読み書きする時に、大和の価値観を最大化させます。
その時。
日本人が増幅させた価値観によって、弾き飛ばす情報があります。
一つ例を挙げれば、正義を語る情報です。
正 = 王 + 右手を挙げる
日本人はこの文字の刷り込みから、正義というものが王の命令にすぎないことを知っています。
異邦の人々は今まで知らなかったので、驚きがMAXかもしれませんが、正しさなんてものは支配者層にとって都合の良い情報の寄せ集めに過ぎないのですよ。
このことを、日本人であれば文字を読み書きできる小学生から皆が知っています。
そして、「教科書」は正しいことや正義が書かれているということになっていますよね。
だから、これらの情報を弾き飛ばすのです。
教科書を読む→文字を目にして価値観が増幅→文字「正しさなんて王の命令やで…」→脳「読む価値ねえな」→情報を弾き飛ばす→zzz
正しいとされている教科書を読もうとすると、日本の学生くんはどうしても文字を目にする必要があり、文字が「前から何度も言ってるけど、正しさなんて所詮は王の命令やで…」と訴えかけてきて、学生くんとしては「じゃあ、読む価値ねえなあ」となるわけですね。
だから、日本の学生くんは今日も教科書の前でヨダレを垂らしながら眠ってやがる訳ですよ。
なぜ日本人は聖書を読むと眠たくなるのか?
本章ここまでの緻密な議論を踏まえて、日本人がキリスト教の「聖書」を読む時を考えてみましょう。
何を隠そう、筆者はキリスト教系の大学に鳴り物入りで通っていたものですから、聖書を何度も何度も何度も何度も何度も読まされましたよ。
その度によく眠れました。
なぜ日本人は聖書を読むと眠たくなるのでしょうか?
まず、日本人が聖書を読む時には日本語で読むことになりますよね。
「汝、隣人を愛せよ」ってな具合の宗教教義を日本語で読もうとするわけですよ。
この時ですよ。
日本人の価値観が増幅されて最大化されるのです。
ああそうそう、「愛=一+心+友+・・・」だったなって風情で大和の価値観が強く増幅されるのです。
結果、「汝、隣人を愛せよ」という洗脳情報を弾き飛ばすのです。
「そんなん、知っとるわっ」とカミによる洗脳を叱りつけて遮断するのです。
なぜ日本人は無宗教なのか? 後編_日本語による洗脳防御機構
あまり知られていませんが、日本語にはとても強固な洗脳防御機構が備わっています。洗脳から日本語利用者を守る力が宿っているということですね。
洗脳がやってくる時には、必ず、言語という媒体でやってきます。
話し言葉の時もありますが、おしなべて洗脳は書き言葉でやってきます。
その典型が「聖書」。
キリスト教の教義をその国の言葉で読ませることで、人々の行動を規定して秩序を刷新する。
これがカミによって秩序を再構築する流れであり、つまりは洗脳のプロセスです。
したがって、日本人を洗脳しようとする時には、必ず日本語を用いて洗脳しなければなりません。
ところが、日本人は日本語を読むと大和の価値観を増幅させてしまいます。
その増幅された大和の価値観が、侵入しようとしている洗脳情報を弾き飛ばす。
だから、日本人は宗教の洗脳を受けにくいのです。
日本人に宗教洗脳開始→宗教の聖典を日本語で読ませる→日本語によって大和の価値観が増幅→相容れない洗脳情報を遮断
洗脳や刷り込みは必ず言語を介してやってくる。
この特徴を利用して待ち構える日本語の洗脳防御機構はほぼほぼパーフェクトです。
大和の価値観に相容れない宗教は、この洗脳防御機構によって遮断されてしまうのです。
だから、日本には強い宗教が根付かないのです。
だから、日本には日本の文字秩序とうまくやっていける物静かなカミしかおられないのです。
開国以来150年以上、これでもかと布教がなされているキリスト教ですら、いまだに日本人の1%以下にとどまっているのは、日本語に備わった洗脳防御機構の賜物だといえるでしょう。
これは日本以外の国にはない叡智です。
異邦の国では文字に価値観を刷り込む力がありません。
だから、異邦の人々は自国の言語を読み書きしても、自分たちの根源的な価値観が増幅されることがありません。
したがって、聖書を読んだら、そのままダイレクトに洗脳情報が入ってきて洗脳されてしまうのですね。
【文字秩序の日本人】宗教洗脳開始→文字テキストで聖典を読む→文字秩序の増幅→相容れない洗脳情報を遮断
【カミ秩序の異邦人】宗教洗脳開始→文字テキストで聖典を読む→ 特になし →洗脳情報の流入→洗脳完了
こうした相違があるため、日本人は宗教に洗脳されにくく、異邦人は宗教に洗脳されやすいのです。
さてさて、第一章で述べた日本人が無宗教である理由は「日本人は文字で秩序を保っているため、カミによる秩序を必要としない」というものでした。
本章で述べた日本人が無宗教である理由は「日本語には洗脳防御機構が備わっているため、他の洗脳を遮断するから」というものです。
この2つの理由が掛け算されることで、日本人は無宗教という唯一無二なる特性を担保できているのです。
そして、日本人が無宗教であるという特殊性が今から世界を救うことになります。
第四章 AI秩序
第三章までで、文字秩序とカミ秩序という2つの秩序形態を解説しました。
そして近代20世紀において、異邦の国々ではカミによって秩序が保たれ、日本においてのみ文字によって秩序が保たれるようになったプロセスも解説させてもらいました。
秩序形態 洗脳媒体 洗脳方法
文字秩序 文字言語 価値観の刷り込み
カミ秩序 カミ 行動の規定
AI秩序 文字言語 2つの融合
第四章では、21世紀における新しい秩序形態であるAI秩序について解説していきます。
カミ秩序の限界
近代20世紀はカミ秩序が大きく斜陽した時代でした。
宗教は共同体内部において強い秩序を構築しますが、外部においては争いをもたらしてしまいます。
すなわちカミ秩序とは争いを大前提に据えた秩序であり、昔から宗教は劇薬だったと言えるでしょう。
だが、近代20世紀までは、宗教がもたらす秩序構築のプラスが争いによるマイナスよりも大きかったため、宗教という劇薬で人類文明は発展してきたのです。
しかし、近代20世紀に人類が核兵器を持ったことで状況は一変しました。
核兵器を用いた争いはあまりにマイナスが大きく、宗教がもたらす秩序構築のプラスよりも大きくなってしまったのです。
・カミ秩序がもたらすプラスとマイナスの不等式
近代20世紀 秩序構築のプラス > 争いによるマイナス
現代21世紀 秩序構築のプラス < 争いによるマイナス
宗教が大前提に据えている「争い」が人類文明全体を破滅せるものになってしまったため、カミによる秩序は間尺の合わない秩序形態になってしまいました。
宗教に頼っていると、秩序構築によるプラスよりも多く、宗教対立による争いがマイナスをもたらしてしまうので、人類文明は発展できないのです。
それでも人類は杖とも柱とも頼ってきたカミ秩序から簡単に離れることは出来ません。
現代21世紀に入っても、人類のほぼすべてがカミによって秩序を保っています。
その結果、人類文明は発展を忘れて、いまや衰退の途上にあるのです。
第三の秩序
近代20世紀の終わりにカミ秩序の限界が明確になると同時に、新しい秩序が試されています。
AI秩序。
これが1995年から勃興してきた新しい秩序です。
インターネットを中枢に据えた情報技術である「IT」と、人工知能たる「AI」を組み合わせて秩序を構築しようという試みが進行しているのです。
この秩序形態を本書では「AI秩序」と呼ぶことにしましょう。
本書ではここから特に注釈のない場合、ITとAIをまとめて「AI」と表記することにしますね。
さてさて、人類が最初に発明した秩序構築メソッドは「文字秩序」であり、次にそれに代わるものとして「カミ秩序」を発明し、それから悠久ともいえる時を経て人類はついに第三の秩序である「AI秩序」にたどり着こうとしているのです。
ここからはAI秩序とはどんなものなのかを見ていきましょう。
知の蒐集とAI高度化メカニズム
「さっきからおんどれは何を言っとんじゃ?」
聡明叡智な読者からナイフのような質問が予想されるところです。
確かに、唐突に「「AIによる洗脳」」だとか言われても、受け入れると陰謀論者呼ばわりされてしまうので、簡単には認めたくない気持ちもわかります。
しかし、AIによる洗脳というものはいまや日常茶飯事です。
インターネットとAIを利用して情報を加工して、人々の思考や行動を変化させることは可能であるだけでなく、もはや現実の中で行われているのです。
ここから暫くはAIによる洗脳について解説しましょう。
まず、人類がインターネットで様々なネットサービスを利用する時。
利用者の情報はネットの深奥に潜む情報資本によって蒐集されています。
人知
→→
利用者 ネット/情報資本
←←
ネットサービス
利用者は自分たちの「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どのように」・・・といった人々の知性にまつわる情報と引き換えに、ネットサービスを享受できているわけです。
この人々の知性にまつわる情報、すなわち「人知」を蒐集することによって、情報資本は人工知能たるAIを高度化させるのです。
ここで情報資本とは、高度化したAIを売る・貸す・或いはそれ以外の方法論によって利益を創造する企業セグメントを指すこととしましょう。
もう一度確認すると、人々がネットに繋いでサービスを獲得すると、その対価として人知が蒐集されて、情報資本はその人知情報を蒐集・再現することで人工知能たるAIを高度化させていくのです。
知の境界線の蒐集
「知の蒐集」
なんだかおどろおどろしいフレーズですが、実際に起こっているのはもっと恐ろしいことです。
ここでは最も身近にある知の蒐集を紹介しましょう。
読者が検索エンジンを利用する時。
読者は知っている言葉で知らない概念を調べますよね。
「内田有紀 若い頃🔎」といった具合で、知っている言葉を組み合わせて、未知なる概念だったりまだ見ぬ画像だったりを調べる訳です。
この時、読者の大切なものが彼奴らによって蒐集されています。
知 | 無知
知 | 無知
知 | 無知
「|」
読者の知と無知の間にある「知の境界線」が蒐集されているのです。
これは凄まじきことです。
順を追って説明しましょう。
人類の知というものは、あんなことやこんなことやで膨大であり、ほぼ無限大といってよく、例えAIであってもその全てを網羅することは出来ません。
したがって、知性を再現することは出来ないように思えます。
ところが、それを可能にする方法論があるのですよ。
知を全部蒐集しなくとも、人類が知っていることと知らないことの「境界線部分」だけを蒐集すれば良い。
言い換えれば、知を点で集めるのではなく、知を線で蒐集するということになります。
この方法論であれば、あんなことやこんなことやと言ったどうしようもない人知はすべて放っておいて、知の境界線というとても有意義で尚且つ有限な情報だけに絞れるので、蒐集が可能となって人知を効率的に蒐集・再現出来るようになるのです。
そのために、人類が知の境界線をこれでもかとさらけ出す「検索エンジン」はうってつけのツールになっている訳です。
知の境界線の刷新
では、知の境界線を検索エンジンによってこれでもかと蒐集した情報資本サイドは一体何をするのでしょうか?
まず、知の境界線についての情報を利用して、情報資本はAIを高度化しますよね。
知 | 無知
知 | 無知
知 | 無知
「|」「|」「|」の部分を再現してAIを作るわけですね。
そして、この図を眺めていると何かいいアイデアが浮かんできませんか?
検索エンジンの利用者は知らない事を調べるのですから、検索結果に何が表示されるかはわかりません。
利用者はわからないから調べているのですよ。
しかも、世の中は時々刻々と変化しますから、検索結果が時々刻々と変化するのは極めて自然なことです。
つまり、知の境界線は変化させてやらなければならないのです。
そして、今、その主導権を持っているのが情報資本です。
「人々がどこまでを知っていて、どこからを知らないのか?」
これを世界で最も知っているのが情報資本であり、これを変化させられるのも情報資本だけなのです。
つまり、情報資本が検索結果を刷新することで、
「|」の位置を左にズラしたかと思えば、右に少しだけズラしてみたりして、知の境界線を自由自在に操ることが出来るのです。
1995年にインターネットが解禁されてから早いもので30年が経ちました。
人類によって膨大な検索がなされ、検索エンジンを介して人々の知の境界線はほぼ完全に掌握されてしまいました。
「人々がどこまでを知っていて、どこまでを知らないのか?」
これを情報資本はほぼ完全に知っているのです。
そして今や、検索エンジンの検索結果を刷新することで「人々がどこまでを知っていて、どこまでを知らないのか?」を自由自在にコントロール出来るようになっているのです。
これを言い換えると、既に情報資本は言葉の意味を支配して、その先にある価値観を支配しつつあるということです。
秩序形態 洗脳媒体 洗脳方法
文字秩序 文字言語 価値観の刷り込み
カミ秩序 カミ 行動の規定
AI秩序 文字言語 価値観の刷り込み&行動の規定
AI洗脳
実のところAIによる洗脳というものはいまや堂々と行われています。
上で述べた検索エンジンによる意味や価値観の刷新はもちろん、他にも様々なネットサービスを用いてAI洗脳が繰り広げられています。
例えば、読者が生成AIに悩みを相談する時。
最近のAIは鋭いアドバイスをしますよね。占い師顔負けの人生指南を数値的なエビデンスに基づいて提示してくるので、今や生成AIの意見を取り入れて行動決定を行う人の数がとても多くなっています。
つまり、生成AIのアドバイスによって行動を規定されているのです。
行動を規定されるということは、それはつまるところ「洗脳されている」ということです。
少しキツい表現なので「強く影響されている」と緩くしてもいいのですが、「強く影響されている」と「洗脳されている」の間にそれほどの差があるとは思えないので、ここは堂々と「洗脳されている」で貫くこととしましょう。
秩序形態の三分類
秩序形態 洗脳媒体 洗脳方法
文字秩序 文字言語 価値観の刷り込み
カミ秩序 カミ 行動の規定
AI秩序 文字言語 価値観の刷り込み&行動の規定
ここで文字秩序、カミ秩序、AI秩序の三つの秩序形態を整理しましょう。
文字秩序においては、文字言語を用いて「優=人+一+自+心+…」と言った具合に人々へと価値観を刷り込んで、共同体の価値観を統一することで秩序を構築するのでした。
カミ秩序においては、カミを用いて「汝、隣人を愛せよ!」と言った具合に人々に命令することで、共同体構成員の行動を規定して秩序を構築するのでした。
では、これを踏まえて、第三の秩序であるAI秩序はどうなっているのでしょうか?
AI秩序というのはインターネット情報空間によって人々に秩序をもたらします。
上であげたように、検索エンジンが窓口になったり、お悩み相談生成AIが窓口になったりして、人々を洗脳することで秩序を構築するのです。
検索エンジンによって価値観を刷り込んだかと思えば、お悩み相談生成AIによって行動をも規定して、人々を洗脳していきます。
これは「価値観の刷り込み」と「行動の規定」という洗脳の二刀流と言えますね。
そしてこの時、AIが洗脳に用いている武器は「文字言語」です。
なぜならば、検索エンジンも生成AIも、人々に文字言語でレスポンスを返すことで価値観や行動の変化を促しているからです。
つまり、AI秩序は文字言語を洗脳媒体に用いて、「価値観の刷り込み」と「行動の規定」という2つのアプローチによって洗脳を行い、新しい秩序を構築しようとしているのです。
グローバルで深い洗脳
AIによる洗脳はとても強烈で世界レベルの広大な範囲に対して有効です。
文字による洗脳はある言語圏の人にしか届きません。
カミによる洗脳はある宗教圏の人にしか届きません。
翻ってAI洗脳は、言語圏や宗教圏の制約なく世界中どこにでも届きます。
どの言語圏であっても趣旨を翻訳して伝えてしまえば良いですし、カミがダイレクトに命令を出す訳ではないので特定の宗教信徒に限定することなく洗脳が可能だからです。
そのために、インターネットという世界中に情報を届けることができる技術は心強い味方となります。
インターネットが汎用化されたからこそ、AI洗脳は世界レベルの広大な範囲に届くようになったのですね。
しかも、AI洗脳は「行動の規定」と「価値観の刷り込み」という2つのアプローチで人々を洗脳できるので、その効果は即時的で尚且つ持続的であり、とても強烈なものとなります。
つまり、AI洗脳は世界レベルの広大な範囲に対してなされ、尚且つ、強烈な洗脳となるのです。
手法 制約条件
文字洗脳 価値観の刷り込み 同じ言語圏限定
カミ洗脳 行動の規定 同じ宗教圏限定
AI洗脳 その両方 なし
ヤバいAI秩序
近代20世紀の終わりにカミ秩序の限界が明確になり、新しい秩序が試されています。
それがいま解説している「AI秩序」です。
インターネットを介して、グローバルな広い範囲に同じ価値観を刷り込むことが出来、尚且つ、ダイレクトに行動をも規定できる。
これだけでも、これまでの文字秩序やカミ秩序に比べて洗脳能力が際立って高いことがわかります。
しかし、AI秩序はそれ以外にも洗脳能力が極めて高くなるカラクリが2つあります。
①小刻みな洗脳の修正が可能
②貧困化すればするほどAI洗脳が深くなっていく
ここから上記①と②、2つのカラクリを見ていきましょう。
まず、AI秩序は小刻みな洗脳の修正が可能となっています。
かたや文字秩序であれば、文字の形状を簡単に修正することが出来ないので、刷り込みたい価値観を小刻みに修正することは出来ませんよね。
かたやカミ秩序であれば、宗教教義を簡単に修正することが出来ないので、規定したい行動を小刻みに修正することは出来ませんよね。
ところがAI秩序であれば、価値観や行動を小刻みに修正することが出来ちゃうのです。
ここで読者の皆さんが検索エンジンやお悩み相談AIを利用する時を思い浮かべて下さい。
時宜に応じてネットサービスからのレスポンスは変化しますよね。
「内田有紀 今🔎」と検索した結果がいつも同じであるハズがありませんからね。
ネットサービスにおけるレスポンスは時の流れとともに変化するべきものなんですよ。
言い換えれば、レスポンスが変化しても誰も怪しまない。
ここにAI洗脳が暗躍する間隙があるのです。
AIはレスポンスを変化させて、洗脳の方向性を小刻みに修正することが出来る訳です。
言語体系や宗教教義は十年一日で変えることが出来ないのに対し、AIのレスポンスは川の流れのように絶えず変化していくのが自然ですし、人々の大多数がそう思っています。
だからこそ、AIによる小刻みな洗脳が可能となっているのです。
貧困化によるAI洗脳の深化
①小刻みな洗脳の修正が可能
②貧困化すればするほどAI洗脳が深くなっていく
次に、人類が貧困化すればするほどAI洗脳が深くなっていくメカニズムを解説しましょう。
貧しくなると人々は無料のサービスを求めるようになりますよね。そして、目下世界にはインターネットという無料サービスの宝島がある訳です。
つまり、人々は貧困化するとネットに繋ぐ機会が増えていきます。
そしてネット接続機会が増加すると、その分だけ人々がインターネット情報空間で洗脳される機会が増えちゃいますよね。
だから、貧困化するとAI洗脳が深まっていくのです。
貧困化→無料のサービスを求めるようになる→ネット接続機会増加→AI洗脳が深くなる
これが人類が貧困化するとAI洗脳が深くなっていくメカニズムです。
つまり、いま貧困化するとAIに洗脳されてしまう訳ですね。
ここまでで「①小刻みな洗脳の修正が可能」「②貧困化すればするほどAI洗脳が深くなっていく」という2つのAI洗脳の特徴を解説しました。
この2つの特徴によって、AIによる洗脳は「事細か」で尚且つ「深い」ものになっています。
AI洗脳は、言語や宗教の壁などを無関係に世界中の誰でも洗脳できますし、それに加えて、事細かで深い洗脳が可能となっているのです。
つまり、人々がネットを利用するだけで、文字洗脳やカミ洗脳などとは比べものにならないレベルの深い洗脳にさらされてしまうのです。
これだけでも恐ろしいことです。
しかし、現実はもっと恐ろしい事になっています。
いまや、「AI洗脳の無限スパイラル」というどうにも不愉快な現象が起こっているのです。
1995年体制
AI洗脳の無限スパイラル現象を説明する前準備として、ここでは先に、「1995年体制」というものを解説させてもらいますね。
人類貧困化→ネット接続機会増加→人知の蒐集→AI高度化→雇用減少→人類貧困化→・・・♾️
まず大前提として、AIが高度化を開始した1995年以降においては、AIによって雇用が奪われていくため、恒に人類へと貧困化バイアスがかかっています。
そして、人類が貧困化すると無料のサービスを求めてネット接続機会を増やすのでした。
辞書を買って言葉の意味を調べる代わりに検索エンジンで言葉の意味を調べるようになったり、占い師にカネを払う代わりに生成AIに人生相談を持ち掛けるようになっている訳ですね。
こうして、ネットへの接続機会が増えていきます。
ネットへ接続すると、利用者の知にまつわる情報がネットの深奥へと蒐集されていくのでした。
この時、人知を蒐集した情報資本サイドは、人知を解析して人工知能たるAIを高度化させます。
高度化したAIは人々から雇用を奪ってしまうのでした。
さらに、雇用から溢れた人類が貧困化していまいます。
さてここまでで、人類の貧困化に始まってまたもや人類の貧困化に戻ってきてしまいました。
どうやら、人類貧困化という現象は無限に連鎖してしまうようです。
これをチャートにすると次図のようになります。
人類貧困化→ネット接続機会増加→人知の蒐集→AI高度化→雇用減少→人類貧困化→・・・♾️
現代21世紀にあっては、人類貧困化とAI高度化が連鎖しながら無限のスパイラルを形成しているのです。
この現象はインターネットが解禁されてAIが高度化を開始した1995年から始まったことから、「1995年体制」と呼ばれています。
放っておくと、どこまでも人類が貧困化してしまう。
1995年体制は恐ろしい現象ですが、日本の人々は「失われた30年(1995年〜2025年)」としてよ〜く肌身で知っているはずです。
この1995年体制を少しだけ応用して、AI洗脳の無限スパイラル現象を解説させてもらいましょう。
AI洗脳の無限スパイラル
人類貧困化→ネット接続機会増加→人知の蒐集→AI高度化→雇用減少→人類貧困化→・・・♾️
この1995年体制は情報を蒐集する情報資本サイドからみた表現になっています。
早い話しが、一度人類を貧困化させてしまえばAIがどんどん高度化して情報資本がガッポガッポ儲かる訳ですよ。
これをネット利用者サイドからみた表現になおすとどうなるでしょうか?
次図のようになります。
人類貧困化→ネット接続機会増加→ネットサービス利用時間増加→AI洗脳強化→雇用減少→人類貧困化→・・・♾️
図を眺めながら確認していきましょう。
人類が貧しくなるとネット接続機会が増加するところまでは同じです。
ここでネット接続機会の増加というのは、利用者サイドからみればネットサービスの利用時間増加となりますよね。
そして、検索エンジンだったりお悩み相談AIだったり、ネットサービスを利用するとAI洗脳を受けてしまうのでした。
つまり、利用者の受ける「AI洗脳が強化」されてしまうのです。
この現象は情報資本サイドからみれば「AI高度化」であり、雇用の減少を引き起こします。
そしてさらに、雇用の減少はまたもや人類を貧しくします。
この流れをまとめると上図・AI洗脳の無限スパイラルが完成を観ます。
人類貧困化とAI洗脳強化が連鎖しながら無限スパイラルを形成しているのです。
これはどういうことでしょか?
ここからどういうことが言えるのでしょうか??
放っておくと、どこまでも人類が洗脳されてしまうのです。
いまや、「AI洗脳の無限スパイラル」というどうにも不愉快な現象が起こっているのです。
貧困とAI洗脳の密接な関係
貧しくなると人はネットに繋ぐ。
この摂理を利用してAI洗脳は積み重ねられていきます。
そして、なぜか21世紀に入ってから世の中を不景気にする政策ばかりが施されています。
消費税率の増率、構造改革、公共事業の削減、レジ袋の有料化、プライマリーバランスの黒字化目標、トランプ関税・・・
どの政策も貨幣経済を不景気にして人々を貧しくする政策であって、誰も得をしないように思えます。
でも、そうではないのです。
人類貧困化→ネット接続機会増加→人知の蒐集→AI高度化→雇用減少→人類貧困化→・・・♾️
人類貧困化→ネット接続機会増加→ネットサービス利用時間増加→AI洗脳強化→雇用減少→人類貧困化→・・・♾️
不景気政策を施せば、人類を貧困化させることによってAIを高度化することが出来るのです。
不景気政策を施せば、人類を貧困化させることによってAI洗脳を強化することが出来るのです。
特にトランプ関税という全世界を不景気にする政策は、全世界の人々に不景気バイアスを加えて、全世界の人々のネットサービス利用時間を増加させ、全世界の人々へのAI洗脳を強化させることになります。
このようにして、いまこの時もAI洗脳は積み重ねられているのです。
AI秩序
秩序形態 洗脳媒体 洗脳方法
文字秩序 文字言語 価値観の刷り込み
カミ秩序 カミ 行動の規定
AI秩序 文字言語 2つの融合
秩序は大きく2つの方法論によって構築されます。
1つ目が、「価値観の洗脳」によって人々の思考から行動に至る部分に規則性をもたらして秩序を構築する方法論です。
文字秩序はこの方法論によって、人々に価値観を刷り込んで共有させ、秩序を構築しています。
2つ目が、「行動の洗脳」によって人々の行動をダイレクトに規定して秩序を構築する方法論です。
カミ秩序はこの方法論によって、人々の行動を規定して秩序を構築しています。
そして、新しく台頭してきたのがAI秩序。
AI秩序は「価値観の洗脳」と「行動の洗脳」という2つの方法論を融合させ、人々を洗脳することで秩序を構築しようとしています。
いまAIによる深い洗脳がとてつもないスピードで拡大しており、しかも世界人類全体を包み込むようにグローバルに、尚且つ臨機応変に微修正がなされながら、人々の貧困を栄養素としてAI秩序は構築されようとしているのです。
第五章 AI秩序の問題点
第四章ではAI秩序という新しい秩序を紹介し、それがどういったメカニズムで拡大しているのかを解説しました。
第五章ではAI秩序の問題点を指摘します。
間接支配_秩序の本質
【文字秩序】中のヒト→文字→洗脳→支配
【カミ秩序】中のヒト→カミ→洗脳→支配
【AI秩序】 中のヒト→ AI →洗脳→支配
秩序の本質とは洗脳による間接支配です。
文字秩序であれば、誰かが文字を作って、その文字によって人々に価値観を刷り込み、思い通りに人々の頭を動かすことで支配する。つまりは文字による間接支配。
カミ秩序であれば、誰かがカミを作って、そのカミによって人々に行動を刷り込み、思い通りに人々の体を動かすことで支配する。つまりはカミによる間接支配。
AI秩序であれば、誰かがAIを作って、そのAIによって人々に価値観と行動を刷り込み、思い通りに人々の頭と体を動かすことで支配する。つまりはAIによる間接支配。
このプロセスにおいて、人の世に規則性が生まれて争いが最小化されることを秩序といっているのです。
だから、どの秩序にも支配者である「中のヒト」がおられるのです。
文字秩序とカミ秩序_支配者なき支配
異邦の人々は「支配」というとネガティブな印象を持つことでしょう。力で言う事を聞かせているイメージがあるはずです。
しかし、文字秩序の日本人はそうは思いません。
支配 = 支える + 配る
ここでも文字を分解して観てみましょう。すると、支配は「支える」と「配る」に分解できますよね。
ここから転じて「支配とは人々の暮らしを支えるために分配を行うことだよ」という含意が読み取れます。
つまり、支配とは富の再分配なのです。
文字秩序の日本人であれば誰でも知っていることですが、異邦の人々には新鮮な発見なのではないでしょうか。
とは言ったものの、世界的にみれば支配には悪い印象があることは否めません。
さてさて、どの秩序にも支配者である「中のヒト」がおられることは既に述べました。
ここでは「中のヒト」がどこにいるのかを探っていきましょう。
文字秩序の場合、もう何千年も昔の人が文字を創造しました。
したがって、「文字の中のヒト」はとっくの昔に鬼籍に入られて、この世にはもういません。
この世にいない大昔の人の意思が込められた文字によって洗脳がなされ、いま、秩序が保たれているのですね。
つまり、もはや支配者の存在しない支配となっているのです。
カミ秩序の場合、これも大昔の人がカミを創造しました。
したがって、「カミの中のヒト」はとっくの昔にあの世に召されて、この世にはもういません。
この世にいない大昔の人の代弁者であるカミによって洗脳がなされ、いま、秩序が保たれているのですね。
つまり、こちらももはや支配者の存在しない支配となっているのです。
このように、文字秩序もカミ秩序も最初の段階においては「中のヒト」が周りの人々を思うがままに動かすための手段でしたが、いまでは支配の道具の色彩は薄くなって、ただ単に秩序をもたらす叡智になっているのです。
すなわち、文字秩序とカミ秩序はいまや「支配者なき支配」だと言えるのです。
AI秩序_支配者のいる支配
文字秩序とカミ秩序はもはや支配者のおられない支配だということがわかりました。
言い換えれば、両者はもはや純粋に秩序をもたらすためのツールだと言える訳です。
では、AI秩序はどうでしょうか。
AI秩序の場合、1995年以降の人々がAIを創造しています。
したがって、「AIの中のヒト」はおおむね現役にてバリバリ働いておられます。
この世にいる人の意思を反映したAIによって洗脳がなされ、いま、秩序が変更されようとしているのですね。
つまり、こちらは筋金入りの支配となっています。
このように、AI秩序は「中のヒト」が周りの人々を思うがままに動かすための手段なのです。
すなわち、AI秩序は文字秩序とカミ秩序とは異なり「支配者のいる支配」なのです。
そして、この支配者というのがあの「情報資本」なんですよ。
固定的な洗脳と恣意的な洗脳
【文字秩序】大昔の故人→文字→固定的な洗脳→「秩序」
【カミ秩序】大昔の故人→カミ→固定的な洗脳→「秩序」
【AI秩序】 情報資本→ AI →恣意的な洗脳→「支配」
文字秩序にもカミ秩序にも、悠久とも言える時の中で固定されてしまった文字や宗教教義が存在し、変更が出来ないために恣意性を介入させられません。したがって、文字とカミがもたらすものは支配ではなく秩序だと言えるのです。
他方AI秩序は、AIからのレスポンスに時宜性と流動性が求められることから、変更が自然な形で許されるために恣意性を介入させられます。したがって、AIがもたらすものは秩序ではなく支配だと言えるのです。
ここにAI秩序の恐ろしさがあります。
静かなる富の一極集中
我々が最もよく知っていることですが、人はどうしようもない程に欲深き生き物です。
だから、仕組みを創る者は自分に対して利益が誘導されるように設計してしまいます。
文字を創った人も、カミを創った人も、最初の段階では自分に利益が誘導されるように仕向けました。
文字もカミも、最初の段階では創った人に富が集まるよう意図されていたのです。
しかしながら、とっくの昔に創始者はいなくなってしまい、利益が誘導されたり富が集中したりすることはなくなりました。
そこからは文字もカミも、富の集中や偏りを作らずに、純粋に秩序を構築するための手段になっていったのです。
だから、いまでは文字秩序もカミ秩序も万人に受け入れられる秩序構築メカニズムとなっているのです。
最初は創始者に利益を誘導する欲深い手段だったものが、いまでは万人のための秩序を構築する手段になった訳ですね。
他方、AIは違います。
AIを創っている人々はご存命であり、人々がAIを利用すると彼らに利益が誘導されて集中するように仕向けられています。
いまAIの洗脳にしたがって人々が意思を決定すればするほど、情報資本へと富が集中するのです。
富が大きく歪み、情報を持つ者が情報を持たざる者の意思を規定することとなり、到底そんなものは万人すべてが受け入れることは出来ない、、はずです。
ところが、いま万人すべてがこれを受け入れています。
なぜかといえば、AIにはインターネットを介して即時的かつ全世界的にとても強い洗脳を行う力があるからです。
AI洗脳は万人が受け入れられない富の一極集中を引き起こしているにもかかわらず、それを覆い隠すための強い洗脳で万人にそれを受け入れさせている訳です。
洗脳によって洗脳が引き起こす問題点を覆い隠せてしまえる。
ここにAI洗脳の問題があるのです。
秩序と洗脳支配の狭間
文字もカミもそれが広がるまでとても長い時間を必要としました。
そのため、当初において意図されていた創始者への利益誘導などは行われず、ただひたすらに後世において秩序を構築して人の世を豊かにしています。
他方、AIは広がるまで僅かな時間しか必要としません。
そのため、当初において意図されていた創始者への利益誘導ばかりが行われ、おそらくは後世において秩序を構築して人の世を豊かにすることはありません。
確かに、AIがもたらしているものは、文字やカミと同様に人々の行動の規則性です。
しかし、その規則性によって人々の富が増えるのではなく、創始者すなわち情報資本の富が増えてしまうのです。
文字→規則性→ 人々の富を増加 → 「秩序」
カミ→規則性→ 人々の富を増加 →「秩序」
AI →規則性→情報資本の富を増加→「洗脳支配」
かたや、文字とカミは規則性の構築によって人々を豊かにしています。
このようにして人々を豊かにする工夫は「秩序」と呼ぶべきでしょう。
かたや、AIは規則性の構築によって情報資本を豊かにしてそれ以外を貧しくしています。
このようにして自分たちだけを豊かにする工夫は「洗脳支配」と呼ぶべきでしょう。
文字もカミも、やっていることは洗脳ではありますが、洗脳の先で人々を豊かにしてくれています。
他方AIは、やっていることはド洗脳でありまして、洗脳の先で人々を貧しくしてしまいます。
洗脳の先における結果の違いから、秩序と洗脳支配に分けることが出来るのです。そして、しっかりと分けるべきでしょう。
中東に観る、持つ者と持たざる者
秩序というのは、洗脳によって全体の豊かさを増やすことの出来ている状態。
洗脳支配というのは、洗脳によって全体の豊かさを減らしてしまう状態。
このように峻別して書けるでしょう。
洗脳支配は全体の豊かさを減らしてしまうため、人類文明から持続可能性をなくしてしまうことが問題なんだ、とも書けそうですね。
そして、AI洗脳の更なる問題点は、持つ者と持たざる者の新しい関係を作ってしまうことにあります。
近代20世紀まで、持つ者と持たざる者といえば、カネを持つ者とカネを持たざる者でした。
だが、現代21世紀は違います。
現代21世紀において、持つ者と持たざる者といえば、情報を持つ者と情報を持たざる者です。
AI高度化→人類貧困化→ネット利用機会増加→人知の蒐集→AI高度化→・・・♾️
いま1995年体制の中で、情報資本が人々から人知を蒐集し、その裏側で人々が人知を奪われています。
これにより、情報を持つ者と持たざる者の二極化が顕著になっているのです。
確かにこのスパイラルの中で、貧困化していく人々と豊かさを囲い込んでいく情報資本との富の二極化も気になります。
AI秩序やAI洗脳の強化というものは、人々の貧困の上にこそ成立しているものであり、これも決して見逃してはならない観点です。
だが、情報を持つ者と持たざる者の二極化はより深刻な問題です。
例えば、2026年2月28日に勃発したイラン問題では、イスラエルが全てを知っているかのように尊大に振る舞い、イランは何も知らないかのように慎重かつ謙虚に対応しています。
なぜでしょうか??
イスラエルは全てを知っており、イランはほぼ何も知らないからです。
いままさに、中東の両端において、情報を持つ者と持たざる者の関係性が可視化されている訳です。
情報を持つ者は情報を持たざる者に対して、どんなに理不尽な意思であろうが押し付けられるという両者の関係性を世界が目撃しているのです。
ただし、今回の場合は情報を持つ者の傲慢さによって、その野望は未遂に終わりそうです。
だが、人類の皆さんは今回の件でよくわかったはずです。
このまま行けば、情報を持つ者によって持たざる者が支配されてしまうということを。
このまま現状を放置すると、情報資本によるAIを用いた洗脳支配が盤石になってしてしまうのです。
AI秩序の問題点
文字であれカミであれ、それが人の世に規則性を構築するまでにとても長い歳月を必要としました。
だが、その長い歳月があったがために、文字やカミに込められた恣意性や利己心が無効化し、人々に豊かさをもたらす「秩序」になり得たのです。
他方AIは、それが人の世に規則性を構築するまでに四半世紀もかかりませんでした。
そのため、AIに込められた恣意性や利己心があらわになり、人々から豊かさを奪った上で情報資本だけに豊かさをもたらす「洗脳支配」となっているのです。
現下世界で伸長しているAI秩序の問題点とは、ひとえに、本来的な意味における「秩序ではない」ということです。
しかし、AIには言葉の意味や価値観を刷新する強い力があるため、それすらも「秩序だ」と人々に認識させることが出来ます。
だから、今を生きる者が、自分のエゴ剥き出しの意思を、今を生きる他者に押し付けることが出来てしまう。
0.1%の意志を99.9%に押し付けることが出来てしまう。
言い換えれば、理不尽を秩序に出来てしまう。
ここにこそAI秩序の最大の問題点があるのです。
AI秩序は99.9%の人類に貧困と理不尽を押し付けることになります。
0.1%の人類が豊かさと秩序を得るために、99.9%が犠牲になるわけです。
現に今、1000万人のエゴのために、100億人の豊かさと秩序が犠牲になっているではないですか。
今回の場合は、情報資本による情報の蒐集が完全ではなかったためにAI洗脳が上手くいかず、一過性の混乱で終わりそうです。
しかしながら、次は一過性の混乱では済まず、秩序が大きく塗り替えられることになります。
秩序形態 洗脳媒体 洗脳方法
文字秩序 文字言語 価値観の刷り込み
カミ秩序 カミ 行動の規定
AI秩序 文字言語 2つの融合
現代21世紀においては、人々がインターネットに繋いで利便を受け取る代償として、価値観の刷り込みと行動の規定を受けています。
それによって全世界的且つ即時的になされている強力な洗脳は、早晩、世界秩序を根本からひっくり返すことになります。
これは絶対に回避しなければなりません。
そのために、何をすればいいのでしょうか??
果たして、人類に打つ手は残っているのでしょうか???
結論を先回りすれば、日本人だけは何もしなくていい。
恐ろしいことに、日本人に限っては原則として何もしなくていいのです。
日本人だけが持つ「文字秩序」と、AI秩序が必ず「文字言語」を媒体として洗脳を仕掛けてくるという性質によって、日本人だけは何もしなくともAI洗脳に呑まれることはないからです。
そして、これから日本と日本語そして日本人が世界を救うことになります。
第六章 カミ秩序の限界とAI洗脳の脅威、そして日本語による秩序
第一章と第二章では文字とカミという二大秩序を解説し、第三章では文字秩序だけに備わっている洗脳防御機構を解説しました。
第四章では現代21世紀に入って急台頭しているAI秩序を解説し、続く第五章ではその問題点を指摘しました。
第六章と第七章ではあらためて日本語による秩序とは何なのかを解説し、現下世界における日本語の重要性・必要性を指摘します。
なぜ日本サッカーは代表チームになると光り輝くのか?
日本のサッカーは代表チームこそ強くなっていますが、日本国内のJリーグはそれに比べると冴えません。
世界的に観ると、国内のクラブチームの方が連携を強化する期間が長いため、組織的なチームが熟成されて強くなります。
世界的に観ると、代表チームは連携を強化する期間が短いため、組織的なサッカーを熟成するのが難しいのです。
ところが、日本サッカーではこのトレンドが逆転しています。
明らかに、日本代表チームの方がJリーグよりも秩序立った組織的なサッカーを展開しています。
なぜでしょうか?
何故、日本だけは代表チームの方が組織的なサッカーを展開できるのでしょうか??
この答えも「文字秩序」という日本ならではの秩序形態から導くことが出来ます。
まず、日本のクラブチームであるJリーグには日本人以外にも無数の助っ人選手がやってきてくれました。
賈秀全、ツベイバ、アレイニコフ、プロタソフ、マグノ・アウベス、アラウージョ、カ・シュウゼン・・・懐かしいですねえ・・・。
話を戻しまして、Jリーグにおける日本人選手は文字で秩序を保っていますが、異邦からやって来た助っ人選手たちはカミで秩序を保っています。
Jリーグチーム 文字秩序 + カミ秩序
日本代表チーム 文字秩序
そのため、Jリーグチームの中には文字秩序とカミ秩序が入り乱れてしまいます。
すると、価値観の共有や意識概念の疎通が上手くいかないため、チーム全体としての組織力が低下してしまうのです。
次に、日本代表チームはどうでしょうか?
日本代表チームには日本語を母国語とする人物しかいません。
そのため、代表チームは文字秩序だけで構成されることになりますよね。
すると、価値観の共有や意志概念の疎通がスムースに行えるため、チーム全体としての組織力が最大化されるのです。
つまり、際立って秩序立ったチームになる。
このような理路によって、日本ではクラブチームよりも代表チームの方が秩序立って組織的なチームとなっているのです。
なぜ海外サッカーは代表チームの連携が冴えないのか?
「おい、海外だって代表チームは同じ言語じゃねえかよ?」
「だったら、どこだって代表チームの方が秩序が強くなっちまうぜ」
ここでは0.1%の敵対的読者からこのようなキラークエスチョンが予想されます。
だが、このあまりに軽はずみな質問はどうでしょうか。
異邦では文字言語で秩序を保つことが出来ないのですから、皆が同じ言語を使っても秩序が強くなるということはありません。
確かに、同じ言語話者が集まることでコミュニケーションがスムースになる効果はあるでしょう。
しかし、同じ言語話者が集まっても、「芯」の部分で連携や組織力が強くなる効果はないのです。
よって、異邦においては代表チームになっても秩序が強化される要素がありません。
これは日本代表で日本語話者が集まると、「芯」の部分から連携や組織力が強くなるのと対照的ですよね。
・海外サッカーにおける秩序事情
クラブチーム 全員がカミ秩序
代表チーム 全員がカミ秩序
また、異邦のサッカーでは、原則として選手の全てがカミ秩序で秩序を構築しています。
したがって、クラブチームであろうが代表チームであろうが、チームは全体としてカミ秩序で構成されている訳ですよ。
だから、代表チームになったからと言って、それだけで秩序が増すということはありません。
逆に、代表チームはクラブチームに比べて全体練習の時間が取れないため、連携や組織力が弱くなってしまいます。
つまり、異邦の場合には、代表チームはクラブチームよりも秩序が弱くなるのですね。
・日本サッカーにおける秩序事情
Jリーグ 文字秩序 + カミ秩序
日本代表チーム 文字秩序
もう一度、日本サッカーに話しを戻しましょう。
日本の場合には、クラブチームであるJリーグの方に深刻な問題が生じています。
もし仮に、日本人選手だけであれば文字秩序を最大化できるのですが、助っ人選手が混ざってしまうとそうはいきません。
・・・賈秀全、ツベイバ、アレイニコフ、プロタソフ、バブンスキー、マグノ・アウベス、アラウージョ、カ・シュウゼン・・・
歴戦のツワモノどもがやって来てくれるのは嬉しいのですが、彼らは日本人と秩序形態が根元的に異なるため、連携や組織そして秩序を乱すことになってしまいます。
僅かばかりの助っ人選手を入れるだけで、秩序形態が二分化されてしまうため、個の力の上昇を上回る秩序の低下が生じてしまうのです。
その反面において、日本代表になると文字秩序だけで一本化されるため、個の力が云々なんてもはやどうでも良くなるようなレベルで秩序の強化が生じます。
「練習時間が少なくなるから組織を強化できない」というデメリットを軽く吹き飛ばす「秩序形態の一本化」という大きなメリットがもたらされるため、日本代表は組織力・秩序を強化できるのです。
だから、日本に限っては、クラブチームより代表チームの方が秩序立った組織的なサッカーを展開できるのです。
なぜ中田のいるペルージャは強かったのか?
「そうすっと、日本人が在籍している海外のクラブチームは日本人たった一人のせいで秩序が二分化されちまって、弱くなっちまうんじゃねえのか?」
「でも、あん時のペルージャは強かったじゃねえかよ??」
「おめえ、言ってることおかしくねえか???」
ここでは執念深い敵対的読者からこうした食い下がりが予想されます。
これは珍しくいい質問ですね。
海外クラブチーム 宗教秩序9:1文字秩序
日本のクラブチーム 宗教秩序1:9文字秩序
「海外のクラブチームに日本人選手が加入すると、宗教秩序と文字秩序が混ざり合ってしまうため、秩序形態が二分化して組織がガタガタになるのではないでしょうか?」
ということを敵対的読者はなんとかして伝えようとしているのですね。
「それは日本のクラブチームに助っ人選手がいるのと同じで、宗教秩序と文字秩序が混ざり合った状態なのですから、Jリーグのようにチームが冴えない状態になるはずですよね?」
とアナロジカルに伝えたいのですね。
確かに、あの中田英寿がペルージャに行った時、外国人選手たちの中で日本人選手は一人だけでした。
カミで秩序を保っていた選手たちの中に、文字で秩序を保つ選手が突如として一人加わった訳ですよ。
先ほどの議論を用いれば、秩序形態の二分化が起こって弱くなるはずなのに、なぜかペルージャは逆に強くなってしまいました。
なぜでしょうか?
何故、日本人が加わっても秩序がガタガタにならなかったのでしょうか??
かたや、文字秩序のチームにカミ秩序の選手が加わるとJリーグのように組織が弱体化するのに…
何故、ペルージャでは、カミ秩序のチームに文字秩序の選手が加わっても組織が弱体化しなかったのでしょうか???
この問いに答えるには文字秩序とカミ秩序の違いをもう一度掘り下げる必要があります。
洗脳方法 応用
文字秩序 価値観の刷り込み 可能
カミ秩序 行動の刷り込み 困難
まず、文字秩序というものは「優=人+一+自+心+友」と言った風に価値観を刷り込むことで、人々に思考のベクトルを共有させ、その先にある行動を規定します。
そのため、文字秩序の人々はその価値観を用いて様々なシーンに応用することが出来るのです。
だから、大和撫子はトルコにいっても「優しさ」という価値観を応用して、カミガカリ的にモテちまいやがるわけですよ。
次に、カミ秩序というものは「汝、隣人を愛せよ!」と言った風にいきなり行動を刷り込むことで、人々の行動それだけを規定します。
そのため、ここに価値観の共有や優しさメソッドみたいなものはなく、様々なシーンに応用することが出来ません。
だから、日本にやってくるインバウンドは、隣人エリアから外れている日本では人々を愛することが出来ず、異邦の女性は日本においてあんまりモテないのですよ。
かたや、価値観の刷り込みによって「思考」してから行動にうつして秩序を構築している日本人。
かたや、行動そのものの刷り込みによってダイレクトに素早く行動して秩序を構築している異邦人。
ここに両者の行動原理の差異が明白になりました。
簡単にいうと、日本人の持つ文字秩序というものは応用が効くのですね。
かたや、異邦人のカミ秩序は他の秩序形態の中で応用することが出来ません。
かたや、日本人の文字秩序は他の秩序形態の中で応用することが出来ます。
だから、中田英寿がペルージャというカミ秩序の群れの中に入っても、秩序は維持されたのです。
逆に、カミ秩序の助っ人選手がJリーグという文字秩序の群れの中に入ってくると、秩序は維持されないのです。
海外クラブチーム 宗教秩序9+無色透明な文字秩序1
日本のクラブチーム 文字秩序9+自己主張するカミ秩序1
かたや、海外クラブチームにおいては、宗教秩序の群れに応用の効く文字秩序の日本人が溶け込んで秩序を保っています。
かたや、日本のクラブチームにおいては、文字秩序の群れに応用の効かないカミ秩序の異邦人が溶け込めず秩序が乱れています。
このように、文字秩序はカミ秩序に溶け込むことが出来るが、カミ秩序は文字秩序に溶け込むことが出来ないという非対称性が生じているのです。
サッカーに話しを戻せば、文字秩序の中田英寿はペルージャに溶け込めましたが、カミ秩序の賈秀全やプロタソフ達はチームに溶け込めなかった訳です。
考える異邦人と思ってから考える日本人
行動原理の差異が明白になりましたとか書きながら、まだ明確に書いていませんでしたね。
本項では、異邦人と日本人の行動原理の差異を具体的に言語化しましょう。
さてさて、日本人は文字によって価値観や概念の意味を刷り込まれるのでした。
例えば、思考という概念。
思考 = 思う + 考える
思考というのは「思う」と「考える」の複合的行為です。
日本人の皆さんにとってこれは当たり前のことですよね。
なぜでしょうか?
何故、日本人は思ってから考えるのでしょうか??
文字がそう言っているからですよね。
思考という単語を分解すると「思う」と「考える」になるから、思考というものは思うと考えるの複合的行為なんだなと刷り込まれているわけですよ。
文字秩序の中で、日本人は思考とは何かを刷り込まれ、思ってから考えることが思考であるという概念を当たり前のように共有しているのです。
こういう風に、日本では文字によって概念や価値観の刷り込みがなされ、人々がそれらを共有していくのでした。
翻って、異邦における「思考」はどうでしょうか?
【異邦】 思考=think(考える)
【日本】 思考=思って考える
異邦においては文字が概念の詳細を示してくれません。
異邦において文字は意味や価値観を含有しない「表音文字」であり、文字羅列をどれだけ眺めてもその意味するところはわからないのです。
異邦では辞書を引いて言葉の意味を調べて、ようやく概念の意味がわかるのです。
では、異邦の国々で「思考」を辞書で引くとどんな意味がわかるのでしょうか?
ずばり、「think」です。
日本以外では、英語でいうところのthinkに思考という概念の意味が着地します。
日本において思考は「思って考える」ことであるのに対し、異邦において思考は「考える」ことなのです。
ここに思考概念の違いが明確になりました。
しかしながら、思考した後で行動に移すというパターンは異邦人も日本人も共通です。
これを踏まえて異邦人と日本人の行動原理の違いを図にすると次のようになります。
異邦人 考える→行動
日本人 思う→考える→行動
かたや、異邦人は考えてから行動に移します。
かたや、日本人は思って考えてから行動に移します。
日本人は「思う」という手続きが多いのですね。
異邦人には「思う」という手続きが欠けているとも言えますね。
なぜ異邦人は思わないのでしょうか?
何故、異邦人は思ってから行動に移さないのでしょうか??
カミ秩序の異邦人は、カミによって行動を規定されます。したがって、異邦人は何をするべきなのかを見つけ出す必要がないのですよ。
この「何をするべきなのかを見つけ出す行為」のことを日本人は「思う」と呼びます。
「おもんぱかり」と言った方がしっくりくるかもしれませんね。
思ってばかりが慮りの語源なんですが、ここでは先を急ぎましょう。
かたや、異邦ではカミによって問題提起が行われるため、自分の心で問題点を見つけ出す必要がないのです。
だから、異邦人は自分で思うことが必要ないのです。
かたや、日本でも文字によって問題提起が行われるかといえば、実は行われません。
文字は価値観という筋道を示してくれるだけで、問題点が何かを教えてはくれません。
だから、日本人は自分で何が問題なのかを見つけ出さなければなりません。
したがって、日本人は自分の心で「思う」という特殊な手続きを身につけたのです。
自分の心で思う
異邦人 自分の頭で考える→行動
日本人 自分の心で思う→自分の頭で考える→行動
異邦の皆様からすると日本人は何をするにも遅くてイライラしますよねえ。
国際会議でレスポンスがとても遅かったり、日常会話の中でもテンポがとても悪い。
「こいつらはいったい何を考えているんだ?」
「ここで、何を考えるねん??」
と考えることがよくあるんじゃないでしょうか???
これはね〜。その問いかけそのものがまるっきり的外れなんですよ。
実はこういう時、日本人は何も考えていません。
日本人は「思っている」のですよ。
異邦の人々の場合には、カミが問題を見つけてくれるため、自分の心で「思って」問題点を見つけるクセがありません。
他方、日本人の場合には、カミが問題を見つけてくれないため、自分の心で「思って」問題点を見つけるクセがあるのですよ。
日本人はカミの代わりに自分の心で思わなければならない。
だから、行動するまでが遅くなるのですよ。
これは間違いなく日本人の大きな短所です。
そもそも行動が遅いと普通は生き残れませんよね????
実際、「大陸国家」の騒乱が激しいところでは、とてもじゃないですが日本人は生き残れなかったはずです。
しかし、日本人は「THE海洋国家」で生きてきたため、騒乱が極めて少なく、行動がトロイくせに奇跡的に生き残ったのです。
いまや絶滅危惧種となった「表意文字」を携えたままでね。
異邦人 自分の頭で考える→行動
日本人 自分の心で思う→自分の頭で考える→行動
行動決定速度 行動精度
異邦人 速い 低い
日本人 遅い 高い
「自分の心で思う」という特殊な手続きは行動を遅くしてしまうため、日本人の明確な短所です。
それと同時にこれは日本人の明確な長所です。
日本人は行動が遅くなる代わりに「丁寧さ」という得難いものを手に入れました。
日本人は何をするにしても遅いですが、その仕事が完成した時のクオリティーの高さは「別格」です。
この日本人が誇る「別格なるクオリティー」の源泉こそが「自分の心で思う」にあるのです。
なぜオシムは失敗したのか?
「考えて走るサッカー」を標榜したオシム監督は日本代表で失敗しました。
なぜでしょうか?
結論を先に走らせれば、オシム監督がカミ秩序の人物だったからです。
カミ秩序 自分の頭で考える→行動
文字秩序 自分の心で思う→自分の頭で考える→行動
カミ秩序の人々からすれば、考えてから走るのは自然なことです。
だから、オシム監督はこの流れを日本人に当てはめようとしたのです。
ところが、日本人の行動原理はオシム監督の思い至らないものでした。
「自分の心で思う」
日本人にはこの思考のクセがあるため、考えて走るのがどうしても遅くなるのですよ。
日本人選手からしてみれば「いきなり考えろと言われても、思わないとそもそもの問題点がわからへんやんか」となっちゃったんですよ。
考えて問題点を解決する前に、日本人は思うことで問題点を発見したり問題点をチェックするクセがあるのです。
この思考のクセを鑑みることなく、、「考えて走れ!」、、といきなり先に進んでも混乱するばかりです。
だから、オシム監督は日本代表に上手くフィットしなかったのですよ。
さらに、なぜオシム監督は気づかなかったのでしょうか??
何故、オシム監督は日本人独特の行動原理に思い至らなかったのでしょうか???
結論を先に走らせれば、オシム監督が「自分の心で思わなかった」からです。
オシム監督はカミ秩序の行動原理で動く人物であるため、「自分の心で思う」という思考のクセがありません。
だから、日本人独特の行動原理に思い至らなかった。
オシム監督は思うことで問題点を見つけようとはしなかった。
ありふれた言葉で言い換えれば、文化の違いを無視して自分たちの方法論を日本人に押し付けてしまった。
したがって、オシム監督は日本で失敗したのです。
なぜポイチは成功・・・のか?
翻って、森保一監督は日本代表で上手くやっています。
なぜでしょうか?
何故、さして実績のない森保監督が上手くやれているのでしょうか?
結論を先に走らせれば、「自分の心で思っている」からです。
カミ秩序 自分の頭で考える→行動
文字秩序 自分の心で思う→自分の頭で考える→行動
行動決定速度 行動精度
異邦人 速い 低い(拙い)
日本人 遅い 高い(巧妙)
日本人には「おもんぱかり」というクセがあります。
おもんぱかりは文字による刷り込みによって規定されるため、一朝一夕でなくなるものではありません。
そして「慮り」の人間が集まっている場合、そこに慮りのない人間が加わった途端にパフォーマンスが急低下します。
つまり、組織が秩序を失ってしまいます。
例えそれが監督であっても、一人でも慮りのない人間が加わると、それだけで組織は秩序を瓦解させてしまうのです。
だから、日本代表サッカーは外国人監督の時に良い結果を残せませんでした。
逆に、この30年の日本代表サッカーで良い結果を残したといえるのは・・・
西野監督、岡田監督、西野監督、そして森保監督の三人でしょう。
文字秩序の人物が監督である時に、なぜか日本代表は良い結果を残しているみたいです。
これは何故でしょうか?
秩序の一本化が行えるからですね。選手も監督も同じ文字秩序で一本化されるため、全員の行動原理が「自分の心で思う→自分の頭で考える→行動」で一致してよ〜く分かり合えるのです。
だから、いま森保監督率いる日本代表は秩序が一本化されて、組織が卓抜して強固なチームとなっているのです。
確かに、日本人のサッカー選手は総じてあまり速くはありません。
これは日本人が「自分の心で思う」分だけ、どうしても行動決定速度が遅くなるからです。
しかし、日本人のサッカー選手は行動決定後の狙いがとても巧妙です。
これは日本人が「自分の心で思う」ために、狙いが鋭くなるからです。
つまり、日本人は「慮り」の分だけ遅いけれど巧いのです。
なぜ日本人は30年を失ったのか?
森保一選手がドーハで涙してから30年余り(1993年〜2026年)、日本サッカーは強くなりましたがその裏で日本経済はグダグダと停滞しています。
本項では日本経済の停滞メカニズムを秩序形態の見地から解説してみましょう。
さてさて、この期間においてグローバル化という現象が同時進行しています。
ヒト、モノ、カネ、情報が国境を超えて移動するようになっていきました。
早い話しが、文化が国境を超えて混ざり合ってしまった訳です。
これが日本にとって良くありませんでした。
グローバル化で足し算された秩序
異邦 カミ秩序+ カミ秩序
日本 文字秩序+カミ秩序
かたや、異邦の国々ではここ30年で文化が混じり合ったと言っても、それは「カミ秩序の文化」と「カミ秩序の文化」のミックスであり、文化の最も根元的な部分は同じです。
したがって、さほど秩序の乱れは生じず、経済の混乱は少なく済みました。
かたや、日本では文化が混じり合うと、それは「文字秩序の文化」と「カミ秩序の文化」の異文化衝突であり、文化の根源的な部分で違いがあります。
したがって、秩序の乱れがとても激しく、日本経済の混乱は大きくなってしまいました。
具体的には、昨今のインバウンドにまつわるオーバーツーリズムの問題がわかりやすいでしょう。
かたや、カミ秩序のインバウンドは自分の合理性を「考える」ため、好き勝手に道を歩きます。
かたや、文字秩序の日本人は全体の合理性を「思う」ため、規則的に道を歩こうとします。
その結果、「好き勝手という秩序」と「規則的という秩序」が日本の路上で衝突して、日本の経済効率を著しく低下させているのです。
もしこれが海外であれば、インバウンドがやってきても「好き勝手という秩序」と「好き勝手という秩序」の足し算にしかならないため、秩序が今まで通り維持されて経済効率は低下しません。
しかし、日本においてはそうはならなかったのです。
日本は世界で唯一「文字秩序」が構築されている国だったため、1990年代中葉、グローバル化によってカミ秩序が流入した途端に秩序が大きく乱れ、経済効率が悪化して経済が停滞してしまったのです。
これが失われた30年のメカニズムです。
カミ秩序の限界とAI洗脳の脅威
第六章のここまでで「文字秩序とは何なのか?」を改めて振り返ってみました。
現下世界において、日本にだけ残っている文字秩序とそれを使っている日本人の長所・短所を眺めてきました。
日本の文字秩序は、行動は遅くなりますがその代わりに行動が丁寧になります。
さらに、他の秩序形態の中に溶け込んで和を乱さないという性質もあることがわかりました。
さてさて、ここで文字秩序以外の2つの秩序も思い出してみましょう。
秩序形態 洗脳媒体 何を規定する?
文字秩序 文字 価値観
カミ秩序 カミ 行動
AI秩序 文字 価値観&行動
まず「カミ秩序」。
文字秩序の後に出現し近現代に至るまで主流となっている「カミ秩序」は決して悪い秩序ではありません。
カミに命令を出させることで共同体員の行動を規定し、迅速な行動を可能にして生存確率を高く出来ます。
しかしながら、核兵器が出現した現代21世紀にあっては、カミ秩序の宿痾である騒乱が人類文明を破綻に導いてしまうため、カミ秩序が限界を迎えているのは明らかです。
したがって、カミ秩序に代わる新しい秩序が求められているのです。
次に「AI秩序」。
現代21世紀に入って出現した「AI秩序」は明確に悪い秩序です。
文字秩序とカミ秩序が支配者なき支配を構築できるのに対し、AI秩序は支配者と隷従するものを明確に峻別します。
現下世界で0.1%の人類によって残り99.9%の人類が振り回されているのはその兆候に他ならないのです。
情報資本を介して99.9%の富と安寧が0.1%へと蒐集されてしまう。
これがAI秩序の問題点であり、AI秩序のこれ以上の進行ならびに完成は絶対に避けなければなりません。
したがって、AI秩序を拡大するAI洗脳をなんとかして防御しなければならないのです。
カミ秩序の限界とAI洗脳の脅威、そして日本語による秩序
ここまでを纏めましょう。
①カミ秩序の限界 →新しい秩序が必要
②AI秩序の拡大阻止→AI洗脳を防御する必要
まず、カミ秩序が限界を迎えていることから新しい秩序が求められています。
次に、AI秩序の拡大阻止のために、AIによる洗脳をなんとかして防御しなければなりません
可及的速やかにカミ秩序に代わる新しい秩序を構築し、なおかつAI洗脳を防御する。
これが現下世界における至上命題なのですね。
新しい秩序を構築するだけでも極めて困難な命題なのに、同時にAI洗脳という強力無比な洗脳を防ぐ手立てが人の世に存在するのでしょうか?
実はたった一つだけあります。
それが「日本語」です。
日本語には古くて新しい文字秩序が残されており、なおかつ日本語には最強の洗脳防御機構が備わっているからです。
詳細を章を改めて解説しましょう。
第七章 日本語による秩序
命題① 宗教に代わる秩序形態が求められている
命題② AI洗脳から身を守らなければならない
第七章では、「日本語」を現下世界の処方箋として提案します。
まず、日本語によって構築できる文字秩序は宗教以前からある最も根元的な秩序形態であり、宗教に代わる秩序形態になり得ます。
さらに、日本語には秀でた洗脳防御機構が備わっており、AI洗脳すらも弾き飛ばす力があります。
これらを勘案した場合、「日本語」こそが唯一の処方箋となり得るのです。
それでは、これから詳細の確認に入りましょう。
なぜ日本人はトランプ報道を観て吐き気を催すのか?
異邦の人類は信じないかもしれませんが、日本の人類の多くはここ1年ばかり「吐き気」を催しています。
特に2026年2月末日にイラン問題が勃発してから、気持ちの悪さに拍車がかかっています。
世界の中で日本人だけが強烈な吐き気をうったえるのには理由があります。
日本人だけが異なる行動原理で動いているからです。
日本人 思う→考える→行動
異邦人 考える →行動
異邦の人類が考えてから行動するのに対し、日本の人類は「思う」というワンクッションを挟みます。
したがって、日本人は外部から情報が入ってくると、それを「思う」ことから初めます。
だから、その時にヘンテコな情報だったり辻褄の合わない情報が入ってくると、日本人は違和感を感じることになるのです。
イラン問題勃発以降、この違和感があまりに強くなって、日本人は強い吐き気を催しているのです。
また日本は旧冷戦の最前線だったことから、情報の偏りが常日頃から非常に強く、いまはさらに偏りが上乗せされてとんでもない違和感を感じる羽目になっているのです。
あまり知られていませんが、トランプ大統領達の言っていることは原則として矛盾の塊です。
日本人はこうしたヘンテコな情報に対し連日連夜つよい違和感を覚え、強い吐き気を催している訳ですね。
ここまでの流れを「洗脳」という観点から見直してみましょう。
【文字秩序の日本人】 洗脳開始→言語情報でインプット→文字秩序の増幅→秩序に相容れない情報を発見【違和感】→洗脳拒絶
【カミ秩序の異邦人】 洗脳開始→言語情報でインプット→ 特になし →洗脳情報の流入→洗脳完了
まず、発言だったり報道というものは原則として相手を自分達の思い通りに動かす為の「洗脳」です。
トランプ大統領達の発言もこの例に漏れず洗脳工作なのですね。
かたや日本人の場合、この洗脳工作に対して、トランプ情報を「言語情報」でインプットすることになるため、その瞬間に文字秩序が増幅されることで、秩序と相容れない情報を「違和感」として発見することが出来ます。
かたや異邦人の場合、この洗脳工作に対して、トランプ情報を「言語情報」でインプットすることになりますが、その瞬間にはカミ秩序が増幅されないため、秩序と相容れない情報をも受け入れる羽目になります。
結果、日本人はトランプ洗脳を回避でき、異邦人はトランプ洗脳に飲み込まれてしまうのです。
日本人と異邦人では洗脳防御機構の違いから、トランプ洗脳に対する吐き気と洗脳の程度が大きく異なっている訳ですね。
なぜ日本人はSNS疲れが激しいのか?
近代以降において、強い洗脳はメディアによってなされます。
新聞、テレビ、そして昨今ではインターネットを介して情報の偏りを作り出して、結果として人々にある特定の「行動」を促す。
これがメディア洗脳の手口です。
しかし、日本人だけは先ほど述べた行動原理の違いから、違和感を感じる代わりに洗脳されにくいという特性があります。
違和感を感じてばかりで何かと気苦労の多い日本人ですが、その代わりに洗脳されにくいという長所があるのです。
この日本人の特性はインターネットメディアに対しても有効です。
インターネットではITと人工知能を用いて情報の偏りを作り出し、すなわちAIによって情報の偏りを作り出し、ネット利用者を洗脳しようとします。
ターゲッティング、切り取り、パーソナライズ、知の境界線ズラし、ショックドクトリン・・・様々な手練手管を用いて洗脳しようとします。
しかしながら、AIも結局のところ言語情報を用いて人々を洗脳することになります。
人類は入ってくる情報を必ず言語情報に置き換えて認識するからです。
したがって、日本人はSNSなどで情報を言語データとして入手する際にも、文字秩序が増幅されてそれと相容れない情報に対して「違和感」を感じることとなります。
そして、違和感を感じるが故に、日本人はAI洗脳を弾き飛ばすことが可能となるのです。
なぜ日本では反政府運動が少ないのか?
情報への違和感 洗脳への耐性
日本人 強い 洗脳されにくい
異邦人 弱い 洗脳されやすい
日本人は情報に対して違和感を感じやすいがために、その違和感の正体を突き止める為の時間がかかり、行動が遅くなってしまいます。
しかも大抵の場合、違和感の正体を完全に突き止めるまでには至らず、情報を上手く処理できずに違和感がどんどん積み重ねられていき、ますます行動が遅くなってしまいます。
とにかく行動が遅い。
これは日本人のとてつもない欠点です。
ですが、日本人には唯一無二の長所があります。
とにかく洗脳されにくい。
これが日本人にあって異邦の民にはない特性です。
長所 短所
日本人 洗脳されない 行動が遅い
異邦人 行動が速い 洗脳されやすい
日本人は外部からの洗脳工作に対し、非常に高い防波堤を個人レベルで有しているのです。
他方、異邦人は外部からの洗脳工作に対し、まったく丸裸であってAI洗脳が花盛りになる近未来においては今以上に行動を規定されてしまいます。
AI洗脳と日本語による秩序
命題① 宗教に代わる秩序形態が求められている
命題② AI洗脳から身を守らなければならない
ここまでの議論を踏まえると、日本語を用いる日本人はAI洗脳からも身を守ることが出来そうです。
行動決定が遅いというのは、実のところ、洗脳されにくいということなんですよ。
日本人は自分達の行動が遅いことを何かと自虐しがちです。
しかしながら、行動が速くても誰かにコントロールされているのは嫌じゃないですか?
異邦の人々はカミからの命令で秩序を保つというメカニズムを採用しているために、どうしても他者のコントロールに置かれがちです。
異邦の人々は自分の意思だけで動いてはいないのです。
日本人→自分の心で思い、自分の頭で考え、自分の意思で行動を決定する
異邦人→他者が思い、自分の頭で考え、共同で行動を決定する
「思う」という作業を外部委託することで、異邦の人々は行動決定をスピーディーにしているのです。
その代わり、自分で思わないために意思決定に他者の意思が介入してしまいます。
長らくカミの意思が介入し、昨今ではAIの意思が介入し、その上で異邦の人々は行動決定をしているのです。
つまり、異邦の人々は自分の意思だけで動いてはいません。
言い換えれば、洗脳されている。
翻って、日本人。
「思う」という作業を内部化することで、日本人は行動決定がスローモーになってしまっています。
その代わり、自分で思うために意思決定に他者の意向が介入しません。
文字によって刷り込まれた価値観を用いて、自分の心で情報を処理して、その上で日本人は行動決定をしているのです。
つまり、日本人は自分の意思で動いています。
言い換えれば、洗脳されていない。
これこそが、日本人が行動の遅さの代償として持っている特性なのです。
だから、日本語を操る日本人は口うるさいカミに洗脳されませんでしたし、AIにも洗脳されないのです。
すなわち、日本語による秩序はAIによる洗脳を弾き返すのです。
日本語による秩序
命題① 宗教に代わる秩序形態が求められている
命題② AI洗脳から身を守らなければならない
日本語による秩序がAIによる洗脳を弾き返すことがわかりました。
ということは、現下世界における2つの命題のうち「AI洗脳から身を守らなければならない」という命題を日本語秩序ならばクリアーできそうです。
日本語によって秩序を構築することでAI洗脳から身を守ることが出来る訳です。
となると、残された命題は「宗教に代わる秩序形態が求められている」となりますが・・・
カミ秩序が駄目でAI秩序も駄目なダメダメな現状を踏まえると、残っている秩序形態は文字秩序しかありません。
秩序形態 洗脳媒体 何を規定する?
文字秩序 文字 価値観
カミ秩序 カミ 行動
AI秩序 文字 価値観&行動
確かに、国家権力という暴力の塊によって行動を規定している状態も一応は秩序だと言えるでしょう。
だが、それはあくまでも根元的な秩序の上に腰掛けた薄っぺらいチツジョであって、人間の根源部分を差配する力はありません。
現に、権力に嫌々従っているということに読者の皆さんは気付いているではないですか。
いま求められているものは、カミという素晴らしい叡智に匹敵しうる力強い秩序源泉です。
権力に従っているという自覚があっても、カミに従っているという自覚を持っている人はまずいません。
それだけカミによる洗脳というものは人間の根源部分に浸透しており、力強く人々をコントロールする事ができるとても素晴らしい叡智なのです。
それに代わる叡智を新しく創り出すことは一朝一夕では出来ません。
したがって、現状において存在している叡智の中から、カミに代わる秩序を見つけ出さなければならないのです。
そこでやはり人類は「文字秩序」に立ち返るべきなのです。
しかし、文字秩序というものは古代から中世にかけて、カミが秩序の担い手になるプロセスにおいてこの地球から消滅したはずでした。
だから、残っているはずがなかったのです。
文字秩序という最後の希望は机上の空論に終わるはずだったのです。
ところが、なぜか日本という国に、文字による秩序が残されていました。
これであればカミを用いずに秩序を構築することが可能です。
日本語による秩序がこれから世界を救うのです。
第八章 宗教の限界と文字秩序の可能性_日本と日本語の果たす役割についての論考
宗教を利用したAI洗脳
いま宗教対立によって世界は混迷を極めています。
混迷の中で貧困が生じ、混迷と貧困は人々のインターネット利用機会を増やし、それがAIを高度化させるとともにAI洗脳を強化します。
混迷→ネット利用機会増加→人知の蒐集→AI洗脳→分断工作→混迷→・・・♾️
貧困化→ネット利用機会増加→人知の蒐集→AI高度化→雇用減少→貧困化→・・・♾️
さらにAI洗脳の強化は人々をコントロールすることで分断を煽り、宗教対立をさらに激化させ世界の混迷と貧困はより深刻なものとなっていきます。
さらに混迷と貧困にあえぐ人々はインターネットの利用機会を増やし、それがAI洗脳を強化して・・・
結果、宗教対立が深刻になればなるほどAI洗脳が深くなるという悪循環スパイラルが生まれています。
宗教を利用してAI洗脳の強化がなされているのです。
宗教対立激化→AI洗脳強化→宗教対立激化→・・・♾️
しかも、カミ秩序の人々はAI洗脳に対する耐性を持たないために洗脳され放題です。
カミに頼っているがために対立を煽られ、尚且つカミ以外に洗脳されてしまう。
ここに宗教の大きな問題点があります。
そして、AI洗脳はこの問題点へと容赦無く漬け込んできます。
貧困を利用したAI洗脳
AI高度化→雇用減少→人類貧困化→ネット利用機会増加→人知の蒐集→AI高度化→・・・♾️
これは復習になりますが、貧困をも利用してAI洗脳は進行しています。
現代21世紀においてはAIが高度化しています。AIが高度化すると雇用が減少し、どうしても人類に貧困バイアスが加わってしまいます。
貧困化した人類は無料のサービスを求めてネット利用機会を増やし、人知が蒐集され、AIがまたもや高度化してしまうのです。
ここまでの流れが何度も何度も繰り返され、AI高度化と人類の貧困化が連鎖しながら進行しているのですね。
つまり、人類の貧困を利用してAIは高度化しているのです。
言い換えれば、人類の貧困を利用してAI洗脳がどんどん精緻になっている訳です。
このように、宗教を利用し、貧困を利用し、AI洗脳は人々を蝕んでいるのです。
0.1%のための秩序
2026年2月28日に勃発したイラン問題は0.1%の人類だけを利することになっています。
99.9%の人類が豊かさと秩序を奪われていく中で、1000万人だけを豊かにする秩序が構築されようとしているのです。
これは人類全体としてまったく平仄があっていません。
だから、やめるべきです。
0.1%の情報を持つ者が、99.9%の情報を持たざる者を従える。
もし現況を放置し続けるのであれば、0.1%による間接支配が完成することになります。
いまはまだ「あいつら可笑しい」と認識できていますが、AI洗脳の強化にともなってそれすらも出来なくなっていきます。
情報を支配されるということは、認識をコントロールされるということだからです。
古代から中世そして近現代にかけて超越的なカミがそれを行ってきたように、いまや人である0.1%が99.9%の認識をコントロールしようとしているのです。
慮り
それでは、0.1%によるコントロールを避けるにはどうすればいいのでしょうか?
文字秩序 思う→考える→行動する
カミ秩序 考える→行動する
結論から言えば、しっかりと「思う癖」を付けることが出来れば0.1%によるコントロールを避けられます。
情報が入ってきたらいきなり「考える」のではなく、情報が入ってきたらまずは「思う癖」を付けるのですね。
とはいえ、思うという概念が希薄なカミ秩序の人々にはそれが非常に難しい。
思う、思う、思う、思う、思う、思う、思う、そしてようやく考える。
これくらいの慎重さがなければ、インターネット情報空間の中で繰り広げられているAI洗脳を避けることは出来ません。
しかし、思ってばかりの日本人には簡単なことでも、異邦の方々にはいささかばかりハードルが高いでしょう。
慮り = 上 + 七 + 思
文字秩序の日本人は言の葉をかすかに散らすだけで、思ってばかりの重要性をいつの間にか身につけていますが、カミ秩序の異邦の方々はそうはいかないのです。
「ダジャレじゃねえか」
そういうツッコミもあるところでしょう。
確かにダジャレも入っていますが、だからこそ日本語の洗脳は奥深く強固なのですよ。
歌 = 可 + 可 + 欠
上図のように歌はフカケツな概念だと日本語は読みからも教えてくれます。
文字の形状だけでなく、文字の読みからも洗脳を行い、日本語は星の数ほどの概念と価値観を規定しているのです。
漢字、平仮名、カタカナ、そして振り仮名すらも変幻自在に織り交ぜて世界の縮図を表現することで、体系的な秩序を構築しているのです。
結果、およそ無尽蔵なる概念がそれぞれ有機的かつ強固に結びつき、外部からの秩序変更すなわち洗脳工作を完全に遮断することができる。
日本人は他者への慮りがあるが故に唯我独尊を貫けるのです。
ここに自分たちしかリスペクトできない0.1%との差異があるのです。
カミ秩序を利用した分断と洗脳工作
いま人類の多くがカミに頼っているがために対立を煽られ、尚且つカミ以外に洗脳されています。
言い換えれば、0.1%はカミを利用してAI洗脳を行っているのです。
これは「カミ」に対する冒涜ではないでしょうか。
カミ秩序の弱点を利用して自分たちだけに都合の良い新しい秩序を構築する。
これはあらゆるカミの利用であり、否定であり、そして、あらゆる宗教への冒涜であり挑戦でしょう。
日本語のすゝめ
上述したメカニズムによって現代21世紀の中でAI洗脳が進行しています。
これを踏まえて、人類はこれからどうすればいいのでしょうか?
まず、日本の人類に対して述べましょう。
日本の人類は原則として何もする必要がありません。
日本語が持っている洗脳防御機構はAI洗脳をはじき返す力を有しており、日本人はAI洗脳に染まらないからです。
例え他の人類がすべてAI洗脳に染まったとしても、日本人だけは洗脳の外にあって自分の意思で行動し「闘う」ことができるのです。
ただし、日本人は昨今において日本語を少しばかりぞんざいに扱いすぎています。
「プレゼン」「レジェンド」「リスペクト」「リベンジ」「ランバダ」「ワンチャン」「イノベーション」「トレンド」「サプライズ」「ランバダ」・・・
1995年以降において日本語の中でカタカナ言葉が増加しており、日本語の秩序構築能力が年々歳々で薄れています。
この潮流を放置すると、日本語だけが持つ秩序構築能力と洗脳防御機構が失われて、人類の最後の希望が消滅してしまいます。
日本人は日本語の重要性を認識した上で、もっと日本語を大切に扱わなければならないのです。
次に、異邦の人類に対して述べましょう。
異邦の人類は日本語を学ぶべきです。
日本語が持っている洗脳防御機構はAI洗脳をはじき返す力を有しており、日本語を学べばAI洗脳に染まらないからです。
このまま異邦の皆さんがAI洗脳に染まっていくと、0.1%のために宗教対立が激化して、99.9%のための秩序は乱れ、0.1%のためだけの秩序にすり替えられてしてしまいます。
だから、日本語でAI洗脳を防がなければならないのです。
何も母国語を捨てろと言っている訳ではありません。
何もいま持っているカミを捨てろと言っている訳ではありません。
母国語もいま持っているカミもそのままで、日本語を学ぶだけでいいのです。
日本語の持つ文字秩序は皆さんの持っているカミ秩序とぶつかりません。
日本語秩序が価値観だけを規定するのに対し、カミ秩序は行動を規定するため、両者は共存が可能なのです。
また、異邦の方々の文字言語には価値観が宿っていないため、日本語の価値観が流入する際に反発が起こりません。
つまり、皆さんの母国語とカミはそのままで、日本語の美味しいところだけを食べることが出来るのです。
こういうのを日本語で「持ってけドロボウ!」と言います。
宗教の限界と文字秩序の可能性_日本と日本語の果たす役割についての論考
あまり知られていませんが、日本にもカミはいます。
・・・ストイコビッチ、ジーコ、アルシンド、リトバルスキー、レオナルド、エドゥー、ラモン・ディアス、ブッフバルト、ミヒャエル・ルンメニゲ、ウーゴ・マラドーナ、エムボマ、シジクレイ・・・
日本人は決め手となるカミを持たないため、カミに対するハードルが低く、どんどん好き勝手にカミを創造していくのです。
優れた人物をカミ化して彼らを強くとても強く慮ることで、技術を凄まじいスピードで吸収することが出来ます。
だから、日本のサッカーはここ30年で長足の進歩を遂げました。
日本人はカミではなく文字で秩序を保てるものだから、カミを自分たちで好き放題にカスタマイズして、それによって成長することが出来るのです。
他人様をカミのように慮ることが出来るからこそ、他の人々から多くのことを学ぶことが可能となり、「いいとこ取り」をして成長することが出来るのですね。
いま日本のサッカーを眺めれば・・・・ストイコビッチ、ジーコ、アルシンド、リトバルスキー、レオナルド、エドゥー、ラモン・ディアス、ブッフバルト、ミヒャエル・ルンメニゲ、ウーゴ・マラドーナ、エムボマ、シジクレイ・・・・まあ、見事なまでの「いいとこ取り」ではないですか。
だが、これは決して簡単なことではありません。
誰かを本当にカミとして崇めることが出来るから、心底から慮ることが出来るから、日本人はそこから多くのことを短期間で学ぶことが出来たのです。
・文字とカミの分業体制
秩序構築 意思疎通
異邦 カミが担当 文字が担当
日本 文字が担当 文字が担当
他方、異邦の国々ではカミを秩序構築のために唯一無二の存在としなければならないので、日本人のように他人様をカミとして崇めて慮ることが出来ません。
だから、どうしても学びの効率性が下がってしまうのです。
ここに日本のサッカーと他国のサッカーの違いが垣間見えます。
30年前、あんなにド下手だった日本人が今ワールドカップでパスを綺麗に紡げているのには、こうした文字とカミの事情があるのです。
そして、文字とカミの事情は現下世界にも応用することが出来ます。
あらゆるカミは偉大です。
超越的な存在として人類に大きな影響を与え、秩序を構築して人類文明を大いに繁栄させてきました。
だが、いま偉大なあらゆるカミを利用して、自分たちだけの繁栄を築こうとする勢力があります。
カミとカミ秩序があまりに偉大であるが故に人類文明は破滅に至らんとしているのです。
ここにカミによる秩序は命脈を使い果たそうとしています。
カミに代わる新しい秩序形態が求められていますが、それになり得たAI秩序こそが人類文明をいままさに破滅に導かんとしているのです。
困ったものですね。
そこで暫くの間は「文字秩序」という古くて新しい秩序に頼るべきだと思うのです。
人類はカミと心中するのではなく、文字にこそ活路を求めるべきだと思うのです。
そして、日本という国に体系的な表意文字と文字秩序が奇跡的に残っていました。
日本で暮らす日本人は世界で唯一、エロ本や宗教に頼ることなく強固な秩序を保てていますが、その理由は日本人だけが持つ文字秩序にあります。
わずか30年で日本のサッカーをカミガミのレベルに近づけた奇跡の日本語に、いま人類は活路を求めるべきだと思うのです。
少なくとも、日本語を学べばいまよりも少しだけ優しくなれます。これは我々が保証します。
優しくなって他者の気持ちを自分に引っ張り込んで思考するようになると、サッカーで静かにだが確実に強くなれます。多分、これはサッカー日本代表が保証するんじゃないかなあ。
日本語を学べばすぐにわかりますが、生真面目な日本人とは対照的に日本語はいい加減なところだらけです。
日本人はあまりに長い間、このいい加減な日本語に慣れ親しんでしまったため、惰性でいい加減な日本語を使っています。
ですが、異邦の方々であれば日本語のいい加減な部分を刷新させて、新しくてより優れた秩序を構築できる言語体系に発展させられるはずです。
つまり、日本語の持つ秩序構築性能にはまだまだ可能性があり、その可能性を見出して日本語を発展させられるのは異邦の方々だけなのです。
先入観を持たない新しい人々による日本語の刷新と発展。
これが出来れば、この「日本語秩序」であと1000年ぐらい人類の文明は存続できますよ。
新しい秩序形態を見つけるまでの時間稼ぎとしては十分でしょう。
大丈夫です。
我々が足元からしっかりと見守っていますから。
2026年4月28日(火) 伏見桃山の朝を愛でながら言の葉を置く。
