言えないことを書く
年度末の長い休園期間が終わり、新年度の異動も終わってやっと静かな生活を取り戻しつつある。
休園期間中、幼児と一緒に水族館に行った。ずっと前からイルカショーを見たがっていたので連れて行ったのだが、イルカショーの会場のそばに小さな遊園地のようなものがあり、当然ショーの会場からそれははっきりと見え、幼児はショーの最中遊園地に行きたがってずっと暴れていた。まあ、3歳児ってそんなもんですよね…。イルカショーの会場のそばに3歳児がめちゃくちゃ興味を持ちそうなものを置かないでくれ。しかし、そんなことを言っても仕方がないので、水族館の目玉であるイルカとシャチのショーを見せてから、遊園地に連れて行った。幼児は遊園地の隅の方に置かれた昭和っぽいゴジラのゲーム(ゴジラのけたたましい鳴き声が聞こえる)にびびっていた。
イルカとシャチのサイズがだいぶ違うことをこの歳になって初めて知った。イルカとシャチはどちらもクジラ目に属しており、体長4m以下のものをイルカ、4m〜8m程度のものをシャチと呼ぶらしい。イルカと比べてシャチはめちゃくちゃデカく、ショーの最中に曲芸をやるたびにとんでもない量の水が客席にぶちまけられていた。
イルカもシャチもかなりハイレベルな調教を受けており、高いところにあるボールをジャンプして突いたり、複数の個体がタイミングを合わせてジャンプを決めたりと、ショーは大人の目から見ても面白かった。3歳児はシャチのショーはそれなりに楽しんだようだった(ダイナミックに水が飛び散るのが面白かったのかもしれない)が、イルカショーの良さはあまり理解していなさそうだった。
思うに、大人は目の前のショーだけを純粋に眺めて楽しんでいるのではない。言葉の通じない動物を手懐けるのは大変だったろうなとか、本来海に生きるはずのイルカやシャチが芸を披露するなんてすごいなとか、そういう背景込みで楽しんでいる気がする。背景が必要になるほど娯楽としてはハイレベルになり、知っておくべき情報が多くなる。幼児にとっては、背景抜きで目の前のアトラクションに乗り込めば存分に楽しませてくれる遊園地の方がずっと愉快なんだろうなと思った。
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新年度になったが、異動先でも発熱外来は混雑している。発熱外来は患者を隔離せねばならない性質上、診察が可能な人数に明確な上限がある。一定数を超えればその日分の受付は終了するのだが、その診察可能人数の少なさから、いまだに患者さんからクレームを受けることも多い。
患者さんが看護師の説得に応じないと、医師が出ていくことになる。どうして診察用のブースを増やさないんだとか、発熱外来専用ダイヤルに何度かけても電話が繋がらないのはおかしいとか、まあ色々なことを言われる。
クレームの内容はある意味正しい。熱を出して苦しい思いをしている人がいるなら、診るべきである。でも、それは道徳のレベルで正しいだけであって、実際には医療機関側がルールを設定せざるを得ない。
スペースにも人員にも限りがあるし、電話回線は常にパンクしている。無限に診ることはできない。丁寧に説明しても、納得してもらえない場合もある。新型コロナウイルスの検査は出来ないが…と説明した上で、問診と身体診察をして薬を渡し、翌日以降の発熱外来を案内する。それで、やっと納得して帰ってもらえるというケースはそれなりにある。
そういう時、良いことをしたという満足感よりは、率直に言えばやれやれという感情の方が勝つ。恐らく、クレームも入れず受診を諦めた人は大量にいる。医療における平等って何だ?という気持ちになる。ごねた方が有利ってこと?毅然とした態度で診察もせず、ご帰宅願う方が平等と言えるのかもしれない。
この問いに対する答えはない。ただ、クレームを入れて院内に居座り、絶対に診てもらうまで帰らないぞ!という意思を見せる患者のことが、私は嫌いではない。そこまでして私の診察を(別に私じゃなくても良いんだろうが)受けたいんだったら、まあ仕方がないね、と思う。そっちが全力でぶつかってくるなら私も全力でできることをやるよ、という気持ちでガウンを着て診察をする。今のところ目立ったトラブルが起きたことはないが、ただ、今後この手のクレームが増えれば、こんなふうに呑気なことも言っていられないのだろうな、とは思う。
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そんなことを書いていたら、その後クレーム対応が何件か続いてしまい、note更新日の夜に、げんなりしながらこの文章を書いている。クレーム対応は比較的得意な方なのだが、流石にぐったりと疲れてしまった。全てに何とか片がついたので、今夜はこれを書いたらゆっくりと休むつもりである。
仕事に限らず、生きていると色々なことがある。幸福は一瞬で味が消えるのに、不幸はいくら噛んでも味がする。不幸の味をしつこく確かめながら、どうして嫌な目に遭うんだろうと考えることはある。それはそれで深刻な気持ちにはなるのだが、しかし、幸福はなぜ永続しないのかという問いの方が私にとっては重要だなと思う。
ふと、舞台装置が崩壊することがある。起床、電車、会社や工場での四時間、食事、電車、四時間の仕事、食事、睡眠、同じリズムで流れてゆく月火水木金土、———こういう道を、たいていのときはすらすらと辿っている。ところがある日、《なぜ》という問いが頭をもたげる、すると、驚きの色に染められた倦怠のなかですべてが始まる。
そこそこ楽しく過ごせているなあ!と感じているにも関わらず、”ふと、舞台装置が崩壊する”ように、人生が急に虚しくなる瞬間がある。どうしてそんなふうになってしまうのかというのが私の長年の問いで、それに対する答えを見つけるべく、最近は相変わらず哲学の本を読んでいる。哲学の本を読んでいる話を3週連続くらいで書いている気がするので、いい加減読んだ本の感想をnoteにまとめたいなと思っているが、まだうまく書けずにいる。1ヶ月以内には何とかしたい。ここで宣言することで自分を追い込んでいくつもりである。
いつも読んでくださっている方々のおかげで、何とか毎週更新ができている。いつもありがとうございます。今年度も引き続きよろしくお願いします。
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Big Love…