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幼児と行く、10日間自宅隔離の旅 前編

第七波でとうとう新型コロナウイルスに罹患してしまい、詳しい時期は伏せますが、10日間、3歳児と(ほぼ)二人で自宅隔離を行っていたのでその時のことを書きます。

育児で今まで一番しんどかった時期は、娘が5ヶ月くらいの頃、深夜に2時間おきくらいに夜泣きをして全然寝なかった時期なんですが、それと張るくらい今回の10日間はしんどかった。
家から一歩も出ず、3LDKのマンションの一室で娘と過ごした10日間のこと、向こう数年は忘れられないだろうなと思います。なんとか乗り切れたので、そしてあの悪夢の10日間からしばらく経つので、その頃のメモを元に自宅隔離の頃の記録を残しておきます。誰かの役に立つと良いのですが。

①3歳児、熱を出す


始まりは娘の発熱でした。娘は滅多に熱を出さない親孝行な子供で、幼稚園から呼び出しの電話がかかって来た時も、”珍しいな”と思うだけで、この時点では新型コロナウイルスの可能性については正直全く想像していませんでした。電話がかかって来たのは昼過ぎで、その日の朝も元気いっぱいに登園して行ったし、そんな娘がまさか、という感じでした。

園に迎えに行くと、娘は大層元気で、”お昼ご飯、お友達と一緒に食べたかった”と泣きべそをかいていました。私が急遽迎えに行ったので、給食が食べられなかったのが悔しかったようです。おうちに帰ってピラフでも食べようね、と宥めながら帰宅し、自宅で体温を測定すると36.2℃でした。

園では38℃の熱があったらしい娘は、チンしたピラフをバクバク食べていたので、こんなことなら仕事を投げて帰ってくるんじゃなかった!と思いました。でもまあ、仕方がない。3歳くらいの子どもには熱はつきものですし、その頃すでに手足口病やRSウイルス、溶連菌などの感染症も流行しており、学級閉鎖の可能性についても園から連絡があったくらいなので、たまの呼び出しくらいは我慢しないとな、と思いました。

食事の後、娘は眠そうにしていたので膝の上で抱っこしながらお気に入りのアニメを観たりして過ごしました。手元のスマホで職場と連絡を取ったり、近くにノートパソコンを引き寄せて自宅でできる仕事をしたりしていたのですが、いつもはうるさいくらい元気な娘が妙に静かでした。ん?と思いながら背中の辺りに触れてみると、家に帰って来たときは平熱に復帰していた娘の体が明らかにめちゃくちゃ熱いのです。

39℃の熱が判明した瞬間に、”こ、これは…新型コロナだ!!”とピンと来てしまい、即発熱外来に連絡しました。既に時刻は夕方近かったので、小児も診察してくれる発熱外来は本当になかなか見つからず大変だったのですが、この辺りは特に面白いこともないので割愛します。
幸い夜までに診てくれる病院が見つかり、隔離された部屋で検査を行い、即日陽性が判明した瞬間、思わず天を仰ぎました。おお、神よ…どうして私をお見捨てになったのですか…。第六波まで耐えてきたというのに、ここにきてどうして新型コロナに感染するのですか…。娘はまだワクチンも打てていないのです、入院病床もないのに重症化したらどうすれば良いのですか。

しかし、天を仰いでいても仕方がないので解熱剤をもらって帰宅しました。娘は幸い熱があるものの元気で、病院の隔離室が物珍しかったらしく、”病院、楽しかったねえ!”と言っていました。私は別に楽しくないな…なぜなら毎日病院で働いているから…と思いつつ、”そうだね、楽しかったね”と返事をしました。
時刻は既に夕方で、勤務先から帰るスーツ姿の人たちに混じりながら、公共交通機関は使わず家まで歩いて帰宅しました。これが娘にとっては感染後最後の外出で、ここから10日間の隔離生活が始まりました。

②翌日、出勤へ

娘の陽性が判明したことで私は濃厚接触者となったのですが、医療従事者は無症状でかつその日の朝に抗原検査で陰性が確認できれば勤務が可能という特別ルールがあります。

https://www.mhlw.go.jp/content/000913724.pdf

なので、娘の陽性が判明した翌日も当然のように普通に出勤しました。熱もなく、咳や喉の痛みもなく、至って元気でしたし職場で行ったPCRも陰性だったので…。ただし、万が一偽陰性だった時のことを考慮して、N95を装着した上で患者さんはもちろん、他のスタッフにも一切接触せずに済む業務のみ行いました。

そんな働きぶりで役に立つのか?と思われるのも当然なのですが、ご存知の通り第七波の状況は本当に厳しく、猫の手も借りたいような多忙ぶりだったので、検査のオーダーを入れたり、電話やオンラインでの応対をするだけでも多少の役には立ったのです。

その日の勤務を無事に終え、帰宅すると自宅でもマスクを装着して過ごしました。娘から感染を貰うのを防ぐために、娘を風呂に入れるときもマスクを着けていましたし、娘が食事をするときは横に座って介助はするものの、私はマスクを外せないので一緒に食事もできない状況でした。
幸い、娘は親が一緒に食事をしないことにそこまで神経質にはならず、むしろあれを食べたいこれを食べたいと我儘を言っても却下されないので喜んでいました。普段は好き嫌いは一切許さない方針なのですが、状況が状況なので娘の要望は基本的に全て飲むことにしていました。

③陽性、判明

娘の陽性が判明した2日後の夜、眠っていると明らかに喉の違和感があり、汚い話で恐縮ですが鼻水が鼻と喉の間にべったりと張り付いてる感じがして眠れず、段々と喉が痛くなってきて、”あっ…これは…”と思いました。
私は大抵風邪を引くと喉の痛みから症状が始まるのですが、この時は鼻水が張り付いて呼吸が苦しいというところから症状が始まり、いつもの風邪とは様子が違いました。

状況的に覚悟はできていたので翌日職場に赴き、隔離された部屋でPCR検査を行い、予想通り陽性が判明しました。覚悟はできていたものの、万が一の可能性に内心賭けていたのも事実で、同僚から陽性を告げられた時は全身の力が抜けました。

思えば、第一波からずっとCOVID-19の診療に携わってきました。まだワクチンもなかった頃からガウンやシールドを装着して慎重に診療をしていたこと、ワクチン接種が始まってもなかなか順番が回って来ずやきもきしたこと、同僚が何人も感染に倒れて後遺症も重かったこと、そして何よりワクチンも打てずに亡くなっていった高齢患者さんたちを何人も看取ってきたこと。色々なことが思い出されました。

それでも、ここまで数え切れないほどの陽性患者さんたちの診療をしてきて、それでも感染せずに乗り切ってきたので、今回も自分は陰性なのではないかという慢心がどこかにありました。結果は陽性でした。熱を出して帰宅した娘とノーマスクで触れ合ったのはほんの数時間でしたが、それでも即感染する感染力の強さに恐れ慄きました。

④食事の匂いがわからない

娘は罹患後即快方に向かったのですが、隔離期間中、私の体調はなかなか上向きませんでした。今まで外来で散々新型コロナウイルスの後遺症の診療にあたってきて、強い倦怠感や咳、脳に靄がかかったような記憶力や思考力の低下、食指不振や脱毛など、ありとあらゆる症状の治療をしてきたのですが、実際、自分自身にも似たような症状が現れました。

陽性判明後2日目に39度近い発熱に見舞われ、半日ほどで熱は下がったのですが、その後強い咳が出るようになりました。
元々喘息などはなく健康そのものだったのですが、このnoteを書いている罹患後1ヶ月程度経過した現在も、外来をやっていると強い咳が出て止まらなくなることがしばしばあります。喘息で使うような吸入薬を使用しているのですが、副作用で手が震えるのであまり使いたくなく、かと言って患者さんの前で咳き込むわけにもいかないので、咳の後遺症にはいまだに悩まされています。

後遺症のエピソードとして思い出すのは、隔離期間中に台所に立って野菜炒めを作っていた時のことです。大蒜を効かせてオイスターソースで肉や野菜を炒めているところに、夫が帰ってきました(夫は陰性を維持していたので、自宅内隔離をしつつ医療機関で働いていました)。”いい匂いがするねえ!”と言われてハッとしました。フライパンの前に立っているのに、私の鼻では何の匂いも感知できていませんでした。
やばい、鼻がバカになっている…と思いながらフライパンに鼻先を近づけ、炎の熱さを感じるくらいに近づいて初めて、微かに大蒜の香りがしました。新型コロナウイルスの後遺症として嗅覚や味覚障害があるということは知っていたのに、いざ自分の身に起きてみると、私はぼんやりした人間なので嗅覚障害が起きていることにすら気づいていませんでした。(※罹患後1ヶ月程度経過した現在は、ある程度匂いが分かるようになってきています)

新型コロナウイルスの流行が始まってから何人もの後遺症患者さんたちを診療してきたのに、後遺症の症状が実際にどんなものなのか、正直全く分かっていませんでした。嗅覚障害は平気でも、強い倦怠感や咳は仕事にも差し障りがあるのでいまだに参っています。特に罹患直後の倦怠感はひどく、自宅にあった薬を適当に飲んで誤魔化したりしていたのですが(絶対に真似しないでください)、元気いっぱいの3歳児の相手をするにはどんなに服薬をしても足りず、しんどかったです。後遺症の経過は徐々に良くなっていくことが多いのを私は知っているので、長引く咳や嗅覚障害、倦怠感にもいまだにあまり悲観的にはならずに済んでいます。


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紺 Big Love…