うちの夫はルイ16世
今朝は夫とすごく良い会話ができて、もう一日大満足な気持ちです。
さてその場面を再現してみたいと思います。
朝起きてきた夫にすぐさましゃべりかける私。
私「おはよう~!あのね昨日ね〇〇(次男の名前)が夜食器を全部洗ってくれてね、しかも全部拭いて食器棚にしまってくれたんだよ。すごいと思わない?〇ちゃん(夫の名前)もいつもやってくれるけど〇〇が食器を拭いてくれるとこまでやってくれるなんてってびっくりしちゃった!」
夫「・・いつもそこまでやれって言ってるから」
うわ。また思いがけない返事が返ってきたと思いました。
ここで注釈です・・・
ちょっと我が家の、特に私の恥ずかしい日常がばれてしまうんですけどね・・・
私は、夜食事の後すぐに食器を洗い出すことがなかなかないんですね。で、たまに夫がみかねて洗ってくれます。
食器洗いはたまなんですが、夫は食器をふいて食器棚にしまうのは毎日必ず朝晩やってくれるのです。これは私への優しさというよりは夫の性格なんですね(笑)それならお前もやれよって感じなんですが私はもう洗うので精一杯なんですね。(笑)
ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」が見たい!と数日前から思い、家族に「見たい!見るね」と前宣伝をしていたのです。
そして昨日アマゾンプライム会員の娘に手配してもらって家のテレビで見ることになり、いそいそと一人ソファへ。
また案の定、食器も洗わず見出しまして・・・
するとカチャカチャ音がして、次男が自分のお弁当箱(をあらうついでと本人談)と一緒に夕飯の食器を洗い始めたのですね。
「えーわーいいよいいよ。置いといて~」とあわてて言ったのですけど「いいからいいから」と洗ってくれたわけです。
しかも拭いて、しまってくれてる!
うわあありがとう!ってホント心から感謝するとともに「うーん。これはやっぱりお父さんの影響もあるのだろうなあ」と心の中で思いました。
そして次の日の朝。
最初の場面になる訳なんですけど。
私は夫の答えにどんなものを予想していたかというと
「おおー。〇〇もなかなかやるなあ」とか
「へえーよかったねえ」とか
「父の背中をみていたってわけか」とか
そんな感じの事を言ってくるかなって思っていたんです。
だけど
「いつもそこまでやれって言ってるから」だったんですよね。
なんか偉そうですよね?(笑)
しかももうなんか他の手札がまるで見えない。
つまりは照れ隠しでホントの気持ちを隠している訳じゃないって感じがするんですよね(苦笑)。
皆さんも会話をしながら相手の言葉を無意識に予測することってありますよね?そしてあまりに違うと、あれ?っていうか、その違和感の積み重ねが相性になっていくのかなあなんて感じたことはありませんか?
まさに夫との会話っていままでほんとにその違和感の積み重ねばーっかりだったんです。だからお恥ずかしい話ですが、ケンカが絶えなかったんですね。
でもなぜケンカになるか。
それは私がいちいちその違和感を伝え、夫は絶対にその私の違和感を受け入れないっていうか認めないから。自分が悪いみたいに言われると思っていたみたいでいつも「なんで俺ばっかり責められなきゃいけないんだよ?」って言いだしてどんどん話が本筋から離れていっちゃってたんですね。
でもわたしが違和感を伝えるのは「仲良くなりたいから」なんです。
私の夫とのケンカはいつも「仲良くなりたい」「わかり合いたい」から。私が正しいって訳じゃないし、私が正しいっていいたいのでもない。
私はこう思う人間なんだ。これからもこういうところを気にすることになるし、このことについてあなたはどう思うのか知りたいという事が伝えたいのです。伝えなくては気が済まないのです。
以前、夫が機嫌が良い時に「〇ちゃん(夫の名前)どういうことが仲良しだと思う?」と聞いたことがあったのですが、「ケンカをしないこと」と言ったのが今でも忘れられません。
人が怒り出す、自分が怒る。それがケンカになっていく。仲が悪くなっていくというのです。
それを聞いてなんだかがっかりしたし、ああ夫らしい!と思いました。
私はまるで反対の意見でした。
ケンカは仲良くなるためにも必要だし、自分のことすらわからないのにケンカもしないで他人を理解しようなんてなんて甘くない?なんならケンカしてでも仲良くなりたいって思うくらいが本気の仲良しなんじゃない?
そんな乱暴な意見をエラソーに言ったらまた怒り出したのでやっぱり言い合いになってしまったのですが(笑)この信条だけは譲れず、その後のケンカの時や子どもたちにも「お母さんの考え方」として何度も伝えてきたのでした。
だからでしょうか。
今日はその成果を感じるような手ごたえを感じたのです。
というのも、
ここからは朝の会話の続きになるのですが、
あ、そうそう。その前に。
私がこの時思い浮かんだのは、昨日見た映画の最後の場面で映し出されたマリーとルイ16世の表情だったことを付け加えねばなりません。
ルイ16世のズレが夫のズレと重なったのです。
怒り狂った民衆から逃げ出し馬車に乗る二人は対照的でした。
ルイ16世はニコニコして優しく妻を見ています。対するマリーは疲れた表情に複雑な笑みをのせ、不安げに夫をみているのでした。そして映画はそこで終わる・・・。
その後の史実は御存じの通りです。
この映画はマリーのその若さと明るさが美しい映像の中で際立ち、その奔放さゆえにフランスという国の情勢が危うくなっていったという、その経緯を確認するかのようにたどってしまうのですが、いやいや違うと思いなおします。夫であるルイ16世の人間性のズレというものが本当は一番の問題点だったのではないか。
映画の中のルイ16世はけして怒ったり人を責めたり暴言をはいたりやりたいほうだいだったりはしないのです。悩みを抱えつつそれを吐き出すこともなくむしろ温和で物静かな繊細な人柄をみせます。マリーも夫に不満はあるもののそのことについて一言も口にしないので、とても「優しい妻」であり、だんだんにそのことに安心するようになったのかルイ16世も心を開くかのように笑顔をみせるようになっていきます。
お互いとても思いやっているのです。
争いなく優しくすごそうと、それぞれの思う「他者を大切に想う方法」をつらぬいているのです。
だけどどこかがズレている。
他者を想うということはどういうことなんだろう。
と考えさせれます。
私はこの考えを是非夫に話してみたいと思いました。
映画の中のルイ16世を見ていたら夫を思い出したなんて話したら
また怒り出すかもしれないし、ケンカになるかなあとチラっと思いましたが、「これがまた私の考えを伝えることになるし、絶対にこれからの生活にも必要になる話!」と確信しました。
朝の身支度をすまして朝食を食べだした夫の真ん前にすわり
「さっきのね」ときりだします。
夫はこんな時たいてい新聞をみているのですが、この時もこちらをみようともしませんでした。
「さっきね、〇〇のこと話した時〇ちゃん『いつもそこまでやれっていってるから』っていったじゃない?わたしもっと「へえーよかったねえ。」とかいうかなって思ったのにまた思いがけない返事でびっくりしたのね。(笑)。でね、昨日見た映画のルイ16世を思い出しちゃった。」
そしてなぜ思い出したのかを話しました。
手に手に火のついたたいまつを持ち宮殿にかけつける大勢の民衆は怒りのかぎり叫んでいる場面でマリーはようやく事態を把握し、民衆の心に寄り添います。その時はもう遅いのですが、しかし真実を理解し心から反省するのです。しかしルイ16世はそんな時も今まで通りに給仕に一つ一つ食事を運んでもらいながら少しも生活や心を変えず、それが国の長のするべきとばかりになにも乱れずすごすのでした。あげく、逃げ出した馬車の中でも妻にほほえみかけるというズレよう。
その表情を複雑な想いで見るマリーの運命を考えると胸が締め付けられそうな思いがしました。
こういうズレをよく〇ちゃんにも感じるということ、そしてさっきの「やれって言ってるから」という発言もなんだかえらそうだし、この会話のポイントがどこにあるのか全く考えていなそうで、それはつまり私の考えていることを考えようともしていないこと、〇〇のお母さんに対する優しい気持ちに寄り添うことも全くない様子が気になったこと。
昨日の映画には歴史的にもそういうズレがあったのかということを考えさせられたという事などを話したのでした。
たいていはいつもここで怒り出すので
すかさず言いました。
「でもね、〇ちゃんの話で私がズレていることもあるのよね。」
夫は「そう、そうなんだよ」と顔をあげて力強く言ったのでした。
しかし夫はその後は言葉が出てきません。
私は代弁するように続けます。
「前に区の花火大会の日、まっくろな雨雲が空いっぱいに立ち込めて、それでも会場にどんどん向かう人を車の中から2人で見た時、私もこの人達みたいに会場に行こうと思うだろうなと思いながらあの人たちを見ていたけど、〇ちゃんはこんな日には行かないときっぱり言って、ハッとしたのよね。だって花火大会は今日だけだし、行くって決めていたんだしって普通思うだろうと思っていたんだけど、でも(最近の自然災害は異常だったりするから雨の降り方も川の水嵩の増え方も予想をはるかに超えることがある)行ったら死ぬこともあるかもって、〇ちゃんと私の見方のズレを感じつつ自分の考え方の偏りみたいのをはじめて感じた。私は初めて自分の行動を客観的に見たのよね。そうやってみんななんかしらズレがあって当然なんだよね。
だからさ、他人とか家族とかで、はっきり意見してくれる人と暮らしたり常に身近にいるというのは大事だなって思う。そしてその言葉にちゃんと耳を傾けることができる関係があるというのがありがたいことなんだよね。
だってさ、自分のズレが死につながるかもしれないんだもんね。」
夫はおだやかにうんうんとかすかに笑みをうかべながらうなずきました。
「私はね、〇〇が食器を洗ってくれて拭いてまでくれた話をした時ね、〇ちゃんがいつもそうやってくれているのがこんな風にしっかり影響するんだなってつくづく思ったのね。だからね、〇〇にもちろん感謝しつつ、〇ちゃんの日頃にも感謝したの。そういうことを思いながら話したつもりだったんだよね。」
夫はそうだろう?といわんばかりの満足そうなドヤ顔になって笑ったのでした。そして私は言いながら、ああ私が「言わないでもここまで読み取れるよね」と思っていたこと、それこそまた自分のズレに気づき、反省したのでした。
しかし彼は照れ屋なのか?まあそれも少しはあるのかな。
でも確実に言えるのはこういうところ、すごくお義父さんに似ている。そしてお義父さんとお義母さんはいつもいーっつもケンカしているのです。
言葉で表現するということの重要さを日頃あまり感じていないから、そこをもっと変えたい鍛えたいというような発想がそもそもない感じがとても似ている気がします。
こうやってはっきりあなたの行動がとても私を喜ばせているということを言葉で言われるのは悪くないでしょう?と。言ってみたら、
「そうだね」ととても納得したように大きくうなずいてくれたのでした。
私はよく夫や子どもたちに言うのです。
「家族は死ぬまでつづく人間関係だから」
本当の意味での仲良しの家族でありたいという私の信条をまたひとつ説明できたような気がした朝のひと時でした。
