短編小説『砂靄』
主人が亡くなって半年がたった。
主人の遺言の通りに所有のコレクションはかれの友人に引継ぎ、家具・家電や食料は恵まれない環境のひとびとに譲渡した。
からっぽになったこの家のなかで残っているのは、主人が飲んでいた薬とわたし、あとはかれが育てていた1つの蓮鉢だけとなった。
わたしは主人が所有していた生活サポートを行うアンドロイドである。
生前の生活サポートから病気療養中のかれに代わってのあらゆる対応、そしてかれが亡くなってからの後処理まで、すべてを行ってきた。
かれはわたしの譲渡先までは決めてくれなかった。家のなかのものをすべてがらんどうにするまで譲渡先を決めていたのに、不思議なことである。
いや、わたしと、この家と、かれが玄関先で育てていた蓮鉢の3つだけの譲渡先だけが決まっていなかった。
かれの蓮鉢はちいさなビオトープである。
蓮の植わる土の環境を整えるために小さな貝とエビ、あとはボウフラが卵を生みつけても食べてしまうようにと今では希少なメダカが住んでいる。
蓮鉢の管理はかんたんで、メダカに少量の餌をやり、蒸発で下がった水位を確認して水を足すだけである。あとは、メダカの糞をエビや貝が食べて分解しそれらの糞も土の養分となり、蓮の栄養となるのであった。
蓮は普段は青々と葉をたたえ、盛りの頃には花を咲かせ、冬前になると葉を枯らせる。しかし根茎は生きているので、またあたたかくなれば葉を青々とさせるのであった。
主人は常にナチュラリストであった。自然を愛し、偶然を喜んでいた。
人といさかいになることがあっても、それもまた人間的であるし、ホルモンなどの具合やそのひとや自分の立ち位置によって発生するものであり、時と場合によるものだとわらっていた。
たとえその人と二度と会えないほどの分断があっても主人はそれを受け入れた。
かれにとっては自然現象も人間関係もありのままがうつくしく、寿ぐ対象であった。
己が病気になった際にも、かれは延命は受けず苦しみも受け入れようとしていた。
薬を飲んで苦しみを緩和してほしいといったのはわたしだった。
わたしは生活サポートのためのアンドロイドであり、主人の生活の快適が至上の目的である。
わたしは主人の今は亡き奥様がこの家に導入したアンドロイドで、奥様が亡くなられたあとに所有権は奥様から主人にうつった。
もともとは奥様の所有物であった、いわば忘れ形見であるわたしの依頼である。
主人は少し苦笑いしたものの、「そうか、それはしかたないなあ」と言って痛み止めや咳止め、解熱剤など、あらゆる苦痛緩和のための薬を受け入れてくれたのだった。
主人の病気が発覚してから、主人は1年生きた。
服薬により苦痛がすくなかったため、体力的に弱り切ってしまった1か月半前までは家に人を呼び、自身が出向き、友人たちとのお喋りを楽しんでいた。
からだが弱ってしまい一日の殆どをベッドで過ごし、排泄もしびんやおむつにするようになってからも、友人たちはかれを訪ねてきた。
「こんな状態なのに悪いね」「あのね、ぼくは病人なの。ちょっとは遠慮しなさいよ」などと言いながら主人は友人を迎え入れ、薬でうとうとするか、体力が尽きて眠ってしまうかするまでお喋りをするのであった。
かれの最期の日まで友人たちは訪ねて来、かれの冷え切った手をさすりながらお喋りをしていた。主人はもう返事ができるほど元気ではなかったが、満足そうに話を聞いていた。
そしてかれが息を引き取って暫くの間も友人たちはかれの傍におり、涙をぼろぼろこぼしたり、亡骸を抱きしめたり、ずっと寝た体制だったため乱れてしまった主人の髪を整えてやったりしていた。
人間はひとが亡くなった後すぐには事務的な対応がとれない為、主人の死後1週間あとから友人たちへのコレクションや家具家電や食料の譲渡をおこなっていった。これはディープラーニングとニュートラルネットワークの学習によりわたしが判断したものである。
また、人的対応については友人たちを先、生活困窮者などへを後とした。
主人は衣類や家具家電について価値が特にあるものではないので、必要なひとに渡れば良いと考えていたようだが、実際にはそうでないとわたしは知っていた。
ひとが所有していたものには思い出という感情を駆り立てるものが沁みついているのである。
実際、主人の友人たちは、主人が出かける際に羽織っていた背広を見ては「なつかしい」と泣き、ネクタイや帽子などの小物を「形見分けとして分けてくれ」と言い、酒や食事が取れなくなった主人が最期に1日かけて1本飲んでいた200mlフルーツジュースのパックの残りを泣きそうな顔で1本ずつ持ち帰ったりしていた。一人掛けのソファは友人たちがあつまる家に「主人の椅子」として置きたいと乞われた。
皆それらを大事そうに持って帰った。主人が連絡せよと言っていた友人たちすべてに連絡し、対応し終えるまでにたくさんの家具や衣類や食料がかれらによって持ち帰られた。
そうして残った衣類や家具家電はわたしがメンテナンスをおこなったのち、食料は期限などをきちんと確認したのち、必要なひとたちに譲渡した。
蓮鉢に水を足す際、鉢底の砂が少し舞い上げられて砂靄となる。
砂靄は暫くゆっくりと鉢の水の中を漂い、時間をかけてまた鉢底に沈んでいくのである。
主人の友人たちが来訪し騒々しく感情をあらわにしていった日々はあっという間に過ぎ、来訪するものもぽつぽつと減っていった。
砂靄の落ち着くようにこの家には静謐が取り戻されようとしている。
この家に残ったものはわたしと、前述の蓮鉢だけとなった。
見落としていたが、主人が奥様の亡き後にアルバムから引っ張り出してきたふたりのツーショット写真が一枚だけ残っている。
電気代と水道代とメダカの餌代は主人の遺産から支払われることとなっている。わたしと蓮鉢は不慮の事故がない限り延命し続けられるのであった。
この家の生命体は蓮鉢とそのなかの生物だけとなった。
譲渡は行われなかったが、自動的にこの蓮鉢のなかのビオトープの住人たちが次のわたしの主人となる。
そうとなってはかれらの生活をサポートしていくのがわたしの仕事である。
いまは冬、蓮は葉をおとし、メダカは冬眠をしている。蓮鉢のなかは眠りと死のぎりぎりの間にいるのだが、蓮鉢を玄関先から家の中にとりこんだので死なせない為の温度管理は完璧だ。温度が下がるようならわたしのからだのヒーターであたためればよい。
この家はわたしの中の小さな機械たちの駆動音だけが響いている。次にほかの音が鳴るときは、蓮が花ひらくときの音だけである。
一枚ずつひらくときはパッと鳴り、数枚一気にひらくときはパサッもしくはパフと鳴る。
蓮の花の開き具合はわたしにはコントロールできない。
この自然的偶然を楽しみにし、開花の際には寿ぐこととしよう。
わたしはアンドロイドでありながらナチュラリストのよろこびを感受することになるのであった。
