社会不適合でみんなと同じができない私が出した40歳の幸福論
椎名林檎の『幸福論』と、40歳を前に私が辿り着いた答え
2026年8月21日、
私は40歳の誕生日を迎える。
節目の日を目前にした今、ふとウォークマンから流れてきたのは、椎名林檎さんの『幸福論』だった。

この曲を聴くたびに、「彼女はこの歌を高校生の時に作ったんだよな……」と恐ろしくなる。 なんて達観しているのだろう。
私が高校生の頃なんて、まさに「箸が転げてもおかしい」年頃真っ最中だった。
毎日理由もなく笑っているだけで、何一つ深みのない能天気な学生だったというのに。
林檎さんの『幸福論』では、「あなたがそこに居てくれること」が幸福として歌われている。
けれど、40歳という節目を前にした私が辿り着いた答えは、彼女のそれとは少し違っていた。
我武者羅さと、浮き彫りになった社会不適合
私の20代は、とにかく我武者羅だった。 自分の「好き」をがむしゃらに追いかけて、衝動のままに突き進んだ。
けれど、情熱と引き換えに浮き彫りになっていったのは、自分の圧倒的な「社会不適合さ」だった。
決められた枠にはまることの苦しさ。
集団の中で上手く振る舞えない生きづらさ。
社会という見えない檻や、誰かの「こうあるべき」というコントロールや支配にぶつかるたび、私は息が苦しくなっていた。
それでも、自分を偽ることはどうしてもできなかった。
社会では「Yes」と言わなければいけないことを「Yes」と言える素直さは私にはなかった。「No!」の声を上げることでしか自分を守れなかった。
傷だらけになりながら、社会と、そして自分自身と、必死で戦い続けたのが私の20代だった。
30歳|ようやく立った、本当のスタートライン
そんな泥臭い20代を経て、30歳を迎えた時。
私はようやく、「自分の人生を自分で動かし始めた」という確かな感覚を得た。
自分の人生は自分の力で切り開くという覚悟を決めた。
社会の枠にはまるのではなく、
誰かの期待に応える人生ではなく、
自分の足で立ち、自分の言葉で歩き出すこと。
遠回りしたかもしれないけれど、30歳にしてようやく、私は自分の人生のスタートラインに立てたのだと思う。
30代は起業に、病気・・
さまざまな壁が立ちはだかったけれど、「わたしはわたし」であることを諦めずにここまで来られた。

私にとっての幸福論|私が私であるということ。
他者の存在を肯定する林檎さんの幸福論も、とても美しく素晴らしい。
けれど、社会の檻と戦い、自分を守り抜いてきた私にとっての幸福論とは、 「私が私で在り続けるために、この命を豪快に燃やすこと」だった。
何者かにならなくてもいい。
不完全で、ちっぽけで、器用には生きられない私のままで。
本音を殺さず、魂の感性を解放して生きること。それ以上に美しい幸福なんてないのだと、いま強く感じている。

最高の40代の幕開けへ
自分が40歳だなんて、本当に信じられない。なんせ、まだまだ大人になれない子どものような感性で生きているからだ。
大人の言うことはまだ分からないし(笑)
社会にもまだまだ馴染めないし。
みんなとおんなじ、ができないし。
だけど、誰よりも自分を「そのままでいい」と受け止められる器が出来上がった。
過去の自分に、「よく諦めずに自分を守り抜いてくれたね」と誇れるように。
自分の選択を愛し、自分の心地よさを100%の純度で紡ぎながら。 私はこれからも、「私」として命を燃やし尽くしていく。
いざ、最高の40代の幕開けへ!

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