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神居古潭(旭川市) 油絵 F4号 2022年10月制作


神居古潭


NHKの連続テレビ小説『旅路』という作品がありました。昭和42年から一年にわたって放送され、朝ドラとしては最後の白黒作品でした。平均視聴率が45パーセントを超えていたと聞けば、今の時代では信じられません。

舞台は旭川郊外の神居古潭。国鉄職員とその妻の物語を通して、大正から昭和を生きた人々の姿が描かれていました。あの土地には、人の営みと時間が静かに積み重なっているのです。

神居古潭――耳に残るこの地名は、アイヌ語の「カムイ・コタン」、すなわち「神の住む里」に由来します。道央から道北へ抜ける要衝でありながら、石狩川の渓谷が織りなす景色はどこか神秘的で、昔から人々の心を惹きつけてきた場所です。

かつては鉄道の車窓からその景色を望むことができました。明治の文人たちもこの風景を文章に残しています。列車に揺られながら、ふと広がる渓谷と川の流れを見る――そんな時間が、どれほど豊かなものだったか想像に難くありません。

私にも、神居古潭にまつわる個人的な記憶があります。

昭和41年の春、東京の学校へ向かうため、士別駅から急行「宗谷」に乗り込みます。旭川を過ぎると、やがて神居古潭に差しかかり左手に石狩川の渓谷、そして白い橋が見えました。

その白い橋を目にするたびに、「ああ、ここでふるさとと別れるのだ」と思ったものです。

旅の途中のほんのひとときに過ぎない神居古潭でしたが、その景色は確かに一区切りの印でした。

ところが、昭和44年に新線が開通すると事情は変わりました。列車は手前でトンネルに入り、あの風景は見えなくなりました。白い橋も、川の流れも、何もかも視界から消えてしまいました。

ふるさととの別れに、形がなくなったのです。

たかが車窓の景色と言われればそれまでですが、人は案外そういうものに節目を見出して生きているのかもしれません。見えなくなったことで、どこか気持ちの整理がつかないまま、今日まで来てしまったようにも思います。

そんな神居古潭で、近年、痛ましい事件が起きました。

あの静かな渓谷に架かるつり橋の上で、人の命が奪われたといいます。詳しく語る気にはなれませんが、残された人の思いを考えると、やりきれない気持ちになります。

神の住む里と呼ばれてきた場所にも、時代の影は落ちます。

けれど、それでも思うのです。

土地には、それぞれの歴史があり、記憶がある。人の営みや物語が折り重なって、その場所の意味を形づくっています。だからこそ、大人は子どもたちに語っていかなければならないのではないでしょうか。

「この町には、こんな物語があるのだ」と。

美しい風景も、懐かしい思い出も、そして受け止めなければならない現実も含めて、その土地のことを伝えていく。それが、次の時代へつながる小さな営みになるのだと思います。

神居古潭という名前を思い出すたびに、あの白い橋が、今も心のどこかに静かに浮かんできます。


コロポックル 水彩画 2024年1月制作


おしまい