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同じに見える毎日に、"はじめて"は隠れている

私たち夫婦は、子どもが生まれて3時間後から、毎日「振り返り」を録っている。

スマホに向かって、その日のことを夫婦で話すだけ。問いはいつも3つだ。

  • 今日、この子の"おっ"と思った瞬間

  • 今日、相手に「ありがとう」と思った瞬間

  • 今日の自分の行動は、何点だったか

たいそうなことは、何もしていない。ただ、寝不足でふらふらの頭で、今日あったことを声に出すだけ。それだけのことを、生まれたその日から続けている。

引いて見れば、毎日は「同じこと」の繰り返しだった

正直に言うと、産後の毎日を遠くから眺めたら、ほとんど同じ絵にしか見えない。

母子同室で、2日目から昼も夜もよくわからなくなって、思い出せるのは授乳している場面ばかり。抱く角度まで、毎日同じ。1日に10回、同じ授乳を繰り返す。終わってシャワーを浴びて、15分後にはもう次が始まる。

退院したらもっと余裕はなくなるよ、とまわりは言う。たぶん本当にそうだ。意識が朦朧としていたら、変化に気づく余裕なんて、きっとない。

毎日毎日、同じことをしている。それは間違いない。

でも、振り返ると毎日「はじめて」があった

ところが、夜にその日を振り返ってみると、不思議なことに気づく。

「同じ」に見えた一日の中に、毎日かならず"はじめて"が隠れているのだ。

ある日は、はじめて手が動き出した。それまでずっと足だけピーンと伸ばしていたのに、ある朝から急に、手があっちこっちを触りはじめた。口に入れて、握って、振って。

ある朝は、両手をうーっと上げて、伸びをしながら起きてきた。あんまり可愛くて、思わず写真を撮った。

目だってそうだ。いつのまにか、こちらをしっかり見るようになった。何かを探すように、見つめるように。「認識してくれているのかな」なんて、わかってもいないのに嬉しくなる。

夫が一番好きなのは、ゲップのときの顔らしい。全身をこちらに預けて前に倒れ込んで、酔いつぶれたおじさんみたいな顔をする。授乳のあとの、湯上がりのおじさんみたいな顔。胸が張って痛くても、あの顔が待っていると思えば頑張れる。

体の色だって、昨日と今日で違う。「こんなにも1日で変わるんだ」と、毎日のように驚いている。

はじめて、飲んでくれた朝のこと

なかでも忘れられないのは、はじめて授乳ができた朝のことだ。

それまでは、うまくいかなかった。慣れない胸と、小さな口。お互いに不器用で、咥えさせては外れ、また咥えさせて、を繰り返していた。それがその朝、ふいにカチッとはまるみたいに、ちゃんと咥えて、ごくっ、ごくっと飲みはじめた。

ちいさな喉が、確かに上下している。眉間にしわを寄せて、全身で、生きるために飲んでいる。その必死な横顔を見ていたら、泣きそうになるくらい嬉しかった。この子と、物理的につながっているという感覚。そして、「私は必要とされている」という、生まれてはじめての種類の実感だった。

——もっとも、冷静に考えれば、ミルクのほうがよっぽど早く飲む。だからたぶん、母乳を飲むより赤ちゃんにとっては負担もあるのかな?と考えたこともあった。それでもあの朝の「飲んでくれた」は、何ものにも代えがたかった。

夫は、授乳のあいだ、隣にいた。母乳は、彼には出せない。代わることもできない。授乳のお世話に、男性の出番は、正直ほとんどないと思うだろう。「自分にできることはないから」と席を立っても、きっと誰も責めないと思う。

でも彼は、離れなかった。飲み物を渡してくれて授乳中の渇きを潤してくれたり、授乳時間を測ったり、母乳が出やすいように圧迫してくれたり、いそいそと手伝って、隣に居てくれた。

その意味を、夜の振り返りで話した。胸がこんなにも張って痛むこと。たった10分の授乳が、どれだけ長く感じるか。となりで見ていれば、それが伝わる。「わかってもらえている」というだけで、私はずいぶん救われていた。母乳は出せなくても、彼はちゃんと、授乳に参加していたのだ。

この朝、「飲むこと」を覚えたのは、この子だけじゃない。私は「誰かの安心になる」という役割を、生まれてはじめて引き受けた。夫は「ただ隣にいることも、立派な参加なんだ」ということを、覚えた。

子どもの"はじめて"の隣には、いつも、親の"はじめて"がある。

成長は、立ち止まって振り返る人にだけ見える

子どもは、毎日少しずつ育っていく。その姿は、日々たしかに変わっている。

でも、ただ過ぎていく毎日の中では、それは「同じこと」に紛れて、流れていってしまう。一昨日あったことさえ、もう忘れている。仕事でも何でもそうだけれど、忙しいと、自分の小さな変化も、心境の移り変わりも、「そういえば、なんでこれをしているんだっけ」という問いかけも、ぜんぶ流れて消えていく。

立ち止まって、声に出して、振り返る。

そのほんの数分があるだけで、流れていくはずだった一日が、ちゃんと味わえる時間に変わる。「今日も同じだった」ではなく、「今日はこんな"はじめて"があった」に変わる。

成長は、立ち止まって振り返る人にだけ、見えるのかもしれない。

いつか、机に向かう背中を見る日に

今はまだ、2日前に手が動き出したばかりのこの子も、いつか自分の足で歩き、自分の机に向かって、背中を見せて何かに夢中になる日が来る。

そのときの"はじめて"にも、ちゃんと気づける親でいたい。「もう手伝わなくて大丈夫」と言われる日だって、きっとあっという間にやってくる。

だから私たちは、今日も録っている。いつ聞き返すのかは、わからない。でも、いつか聞き返したい。あの日のこの子の様子も、寝不足で笑い合っていた私たちの声色も、そっくりそのまま残っているから。

同じに見える毎日に、"はじめて"は隠れている。

それに気づける毎日を、これからも、ゆっくり積み重ねていきたい。

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