幸せの価値
人の幸せとはなんだろうか。
金さえあれば幸せだ、と言う人が居た。
逆に、幸せは金で買えないという人も。人と人との繋がりが大切なんだ、と。
「僕は優柔不断なんです。選択肢を提示されると、いつまで経っても決められなくて」
古物店の店主――初対面の老人に、自分は何を話しているのだろうと思った。だが、老人にはなにか、雰囲気があった。つい、秘密を共有したくなるような、何かが。
「決められない、ですか」
自分にとって大切だと思われることに、二の足を踏んでしまう。
高校受験の時もそうだった。友達と同じ公立に通うか、学力に合った私立へ行くか。最終的に、親の決めた私立高校へ進学した。
「何か大切なことを決めなくちゃならない時が、人生にはあると思うんです。そんな時も、僕は親に決めてもらうんでしょうか。何か、大変な事になりそうで……」
直近で言えば、いずれ来る大学受験に際して、高校受験の時と同様に、親に進学先を決めてもらうのだろうかと。
何とかしたいのに、何ともならない。どうしても選べないのだ。今では、普通の勉強ですら、選べない。受験に備えた私学の受験ペースに戸惑い、何を勉強すれば良いのか迷い、成績は下降中だった。
「なるほど、貴方の仰る事は確かでしょう」
「と、言うと?」
「私には人の運命が見えます。貴方はその優柔不断さで、将来的に大きな損失を被ることになる」
店主は凡そ奇妙なことを言った。
「そんな貴方には、こちらの品をお勧めしたい」
店主の勧めに、彼は困惑した。恥ずかしい話だが、別に物を買うつもりで入店したのでもなければ、金も無かった。冷やかしだ。
店主は得心した様子で、微笑んだ。
「お題は結構です。道具は、必要な人の所に在るべきなので」
それは、カジノのルーレットのようだった。回転させ、金色の弾を落とす。コンパクトサイズで、大きな違いは赤と黒の二択しかないことだった。
「迷った時にはこれで決めるとよろしい。二択で問いかけるのです。赤がイエスで、黒がノー。幸せになるための、最善を選んでくれますよ」
「まるで魔法みたいですね」
「実際、魔法なのです」
店主の冗談はともかく、彼は頂くことにした。見るからに安物で、廃棄処分品なのだと思ったから。
「でもこれって、決めるのは僕ではなく、ルーレットなのでは?」
「貴方が決めるのです。賽を投げるのはいつだって人間の役割ですから」
翌日、店は消えていた。有りえないことだが、別のテナントが入っていたのだ。そのテナントは、十年前からそこに入っていると言った。だから、予感がした。本物かもしれないという、予感。
試しに、何を勉強すれば良いのかを決めてみた。数学か英語か、何時間勉強すべきか。休むべきか勉強すべきか。全てをルーレットで管理した結果、彼の成績は大幅に伸びた。
だから、大学も就職先も、人付き合いも、全てルーレットで選んだ。ルーレットに対する信頼は元より、店主の言葉が不安だったからだ。
『優柔不断さで、大きな損失を被ることになる』という――。
彼に取って必要なもの、必要な知識、必要な取引。必要な選択。最善の選択。ルーレットでそれらを選び続けた。
結果、40代前半にして、彼は年商一兆円を越える総合商社のトップに君臨していた。
60歳を迎えた頃、彼自身の資産も数百億を越え、これからも伸び続けるであろうと確信出来た。
人生の成功者と言えた。人が羨む幸せを手に入れているように思えた。
だが、彼の胸には虚しさが広がっていた。
友達はいない。最善のために切り捨てたから。結婚はしていない。最善のために切り捨てたから。親の葬式にも出ていない。最善には必要のないことだから。
これが人生の幸せなのだろうか。
そんな時、彼はあの古物屋を見つけた。
「やあ、お久しぶりですね。私にとっては昨日のことですが」
そう言った老年の店主は、歳を取っていないように見えた。
「ルーレットは役に立ったようですね。最善を選び続けて、今や貴方は人生の成功者だ」
「そうでしょうか」
「と、言うと?」
「私には妻も、子供もいない。頼れる友も居ないし、親の葬式にも出なかった。これが幸せと言えるでしょうか」
彼が言うと、店主は頭を振った。
「人は自分に無いものを欲しがります。貴方が普通の家庭を築いていたとして、その貴方は今の貴方を羨むのではないでしょうか」
「そう……そうでしょうか」
そうですよ、と店主は笑った。
「いつかお話したでしょう。私には人の運命が見えます。貴方が選ばなかった運命もね。仮に貴方がルーレットに従わなかったとすれば、なるほど、妻と子供が居て、信頼できる友も居て、親との関係も良好だったでしょう。しかし、その代償に、貴方が築いた資産というものは、今の半分ほどになっていたでしょうね。半分ですよ。それを知っても、貴方はそれが幸せだと言えますか?」
